第13話

 「ねぇ、いっちゃん。ちゃんと学校に行ってる?」


 綾子が帰って来て、すぐの事だった。

 突然うちに訪れた綾子は、俺の部屋に入るなり咎めるような口調で言った。


 ちっ、と小さく舌打ちする。きっと、母さん

が綾子に告げ口したんだろう。

 母さんは、俺の事を何でも綾子に頼みたがるんだ。


 そういうの、余計なお世話なんだよな。


 俺が、むっとして黙っていると、綾子は少しその場の雰囲気を柔らかくして、

 「いっちゃん、髪染めたんだね」

 と言って、笑った。


 前に喧嘩した事なんか、全然覚えてないみたいだ。

 何の躊躇いもなく、俺の方に近付いて来て、細い指で俺の髪を一房つかむ。


 「へぇ~、案外似合うじゃん。ミュージャンみたい」

 綾子は、そう言ってまた笑った。


 こうして近くで見ると、身長差はもう殆どない。綾子の目線が、俺の目線と同じになっていた。


 ドキッとする。胸が、ぎゅっと締め付けられる感じだ。

 綾子としては、ごく自然にそういう行動をとったんだろう。身長が伸びても、俺は弟みたいなもんなんだ。


 でも、俺はそうじゃない。それに、去年までとは違う。

 俺の心は荒れていて、どうにもセーブが出来なかった。


 ここは俺の部屋で、二人だけしかいないと思うと、かっと頭に血が昇って、変な衝動がこみ上げてくる。


 ここで俺が抱きしめたら、どうするだろう?無理矢理キスしたら、どうするだろう?押し倒したら・・・・・。


 綾子は、泣くだろうか?


 俺は、はっとして乱暴に綾子の手を振り払った。

 「お前、来るなよ」

 低い声で言う。


 綾子はびっくりした顔になり、振り払われた手を引いた。

 「いっちゃん?」

 戸惑った声が、俺の胸に突き刺さる。


 なんだか、自分が獣にでもなった気分がして、益々嫌気がさした。

 「帰ってくれ」

 俺は、声を絞り出して言った。

 綾子は、まだ戸惑ったようにそこに立っていた。


 ・・・・ったく、分かんねぇ奴だな。そんな所にいたら、俺が何するか分かんないんだよ。


 お前が、危ねぇんだって。


 なにか小さなきっかけでも、俺はきっとやばくなっちまう。

 綾子を泣かせるような事、しでかしちまいそうだった。

 だから俺は、綾子を乱暴に部屋から追い出した。


 「もう、しばらくは来るな!」

 叫ぶなり、バタンと部屋の戸を閉じる。

 俺は、そのまま戸に背を預けると、大きく溜息を吐いた。


 綾子は何も悪くないのに、そう思うと辛かった。八つ当たりされている綾子が、とても可哀想に思えた。


 「いっちゃん、どうしたの?何かあったの?ねえ、いっちゃん!あたしにも、話せない事?」

 戸の外で、まだ綾子が叫んでいる。俺は拳を握りしめ、一度大きく戸を殴りつけた。


 「うるさい!お前、うざいって。もういいから、俺の事は放っておいてくれ!」

 綾子はしばらく無言でいたが、そのうち重そうな足音が遠ざかっていった。


 泣きたい気持ちになる。

 本当は、こんな事をしたいんじゃない。俺は、綾子が好きだから、ただ見ているだけでも良くて、傷つけたい訳じゃないんだ。


 けれど今の俺は、どうにかなっちまってる。綾子を目の前にすると、傷つけてやりたい気分になる。衝動的に、何かをしちまいそうで怖い。


 綾子は、俺を可愛い弟と思っている。そんな綾子を、失望させたくはなかった。

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