ガイ、ベティーに感謝する・5-終

 二人は部屋の隅に行くと、お互いに向き合った。

 最初に話し出したのは、ラインの方からだった。 


「また助けてもらった。ありがとう」

 ラインの言葉に、ガイは苛立ちげに目を細めた。

「誰もがむちゃをするといっていたが確かにむちゃだな。ライン、おまえと話がしたかった」

 ガイは名前を呼ぶと、ラインは少し目を伏せ、寂しそうにほほ笑んだ。

「ああ、私も君に会いたいと思っていた。ようやく言える。半分諦めていたんだ」

 

 そんなラインの顔を見ながら、ガイは自分の気持ちをぶつけるつもりであった。なぜ、特別捜査官になったのか。なぜ、魔物担当になったのか。本当のことを知りたかったから、誤魔化すつもりもなかった。

「俺に会いたかったというのか? ようやく言えるだと?俺に何を言いたいんだ?」

 ラインは少し沈黙した後、視線を上げて、まっすぐガイを見た。

「君に謝罪したかった。十年前のことだ。同じ人ではない、私たちとは違うと言ったことを謝りたかった。申し訳なかった。本当にすまなかった」

 ラインは真摯に謝罪した。

「十年前の子供のころに言った言葉のために、俺に会いたかったというのか?」

「ガイ、もう一度会って謝りたかった」

 苦い思いが湧き上がる。そんな少年の頃の言葉で十年もの間、自分を探していたと言うのだろうか。


「おまえ、なぜ特別捜査官になった?」

 ガイの絞り出すような声に、ラインの表情はどこまでも冷静であった。

「理由は二つあった。犠牲の上で助かった命だから、魔物と戦うことで償いをしたかった。あとは、君にいずれ会う機会があるのではないかと思っていた。謝りたかった」

「犠牲の上で助かった命だと?償い?どういう意味だ?それに俺を十年も探していたというのか? 名前だけで? 」


「君には話したことがなかったが、私は八歳の時に町が魔物に襲われた。父は私を助けるために魔物に命を奪われた。私は魔物が怖くて、とてもパニックになってしまったのだ。両親は私を宥めるために、逃げ遅れてしまった。自分でもわからないがとにかく恐ろしくてしかたがなかった。私がパニックにならなければ、父は死なずにすんだ。私のせいだ。母も魔物に襲われたが、神将が魔物から助けてくれた」


「馬鹿なこと言うな。魔物を前にしたら誰でもそうなる」


 ラインの表情が苦痛に歪んだ。

「父が目の前で死んだ時に感じた気持ちが、幼すぎてわからなかった。十六歳のときにわかったよ。あれが、絶望だった。何もどうすることもできない絶望だった。絶望の中から神将が助けてくれたとき、子供ながらも神将が恐ろしくもあり、とても、とても崇高なものとして強く心に焼き付いた」

 少しラインは息を吐き出した。そして、再び床へ視線を落とした。


「私が寄宿舎のある学校に入ったのは、それからだ。母は私を憎んだからだ。誰の犠牲の上で生きていると思うのかと母は私を強く憎んだ。父が亡くなったことが、母にとっては耐えられなかったのだろう。その原因を作った私を許せなかった。そして、私も自分自身を許せなかった。魔物のことも神将のことも心から無理に追い払った。悪夢は見ていたが、魔物のことは忘れて父のように学者になれればいいと思っていた。それなのに再び魔物に遭遇してしまった」


 ガイに向けられた言葉の裏に何があるのか、ガイは一切考えなかった。

 友達ではない、もう道は違う、君は私たちと同じ人ではない。

 あの当時、ラインは静かにそう言った。だから、君は君の世界に帰った方がいいと言った言葉を思い出す。一般人は魔物を滅ぼす神将を恐れている。そして、自分たちとは違う存在として畏怖している。ガイは子供のころから普通の人たちから畏怖の目で見られてきた。だから、ガイは十年前のときもラインの言葉に込められた意味を自分に対する恐れと嫌悪だと受け取った。ラインは未知なる力を恐れ、自分の前から消えてほしいと思っているのだと思ったのだ。

 あの言葉の裏にこれほど苦しい思いが隠されているとは思いもしなかった。

 自分はラインの言葉をそのまま受け止め、自分なりの考えで結論づけた。やはり、一般人には俺たちのことなどわからないのだ。ただ闇雲に力を恐れ、自分を見ようともしないのだと。


「なぜ、おまえはあのように俺に言ったんだ? 」

 ガイはとても静かな気持ちで聞いた。十年前に聞かなかった質問だった。

 ラインの視線は下に向けられたまま、どこか懺悔しているように見えた。


「再び魔物に遭遇し、本当に魔物が怖かった。あのとき、全員が死ぬと思ったし、自分のせいのような気がした。自分が魔物を呼び寄せたのではないかと、絶望と恐怖と謝罪、私の心にはそれしかなかったよ。君はとても強かったね。あの魔物が簡単に消滅した。君が特別な存在だとわかった時、一年間ともに一緒にいた親しい友が神将であったことが私には悲しくて、苦しくて、そして私が友であることが罪深いと思った」

「罪深いだと」

「父の犠牲の上で命を永らえた自分が、また神将に命を助けられた。ひどく罪深い。私は助けられる命に値しないのにと。君は神将にならないでこの学校を卒業すると言った。君は、君の世界に帰った方がいいように思えた。畏怖の存在である神将の世界へと帰るべきだと思った」


 勝手なことを言うと、ガイは苦笑した。だが、勝手なのはお互いさまなのかもしれない。ラインも自分も勝手なことを考えて、勝手に結論づけていたのだ。


「まったく、あの頃の私は自分のことしか考えていなかった。君が去ったあと、とても後悔したよ。君が神将の世界に帰るかは君が決めることで、私が言うべきことではなかった。なぜ、君が普通の学校に通っていたのか。いろいろなことをしてみたいという君の夢を聞いてたのにね」

 まるで泣いているような顔になった。ガイは言葉が出なかった。


「私はどうしても魔物と神将を忘れることができなかった。そして二回も生き延びた命だ。少しでも魔物と戦う力になりたくて、警察に入った。君は神将になっていると思っていたから、特別捜査官になれば、いずれ会う可能性を考えていたしね。自分は魔物によっていずれ命を失うだろうが、死ぬ前に会って謝りたいと思っていた。ここで会えてよかった」

 ラインは顔を上げ、まっすぐとガイを見て笑った。


 馬鹿なことだ。本当にお互いに馬鹿なことだ。だが、一番の大馬鹿は自分だった。親友だと言いながら自分はラインに会おうとも思わなかった。この広い世界の中で、彼は自分を探してくれていたというのに、彼の言葉を聞いて遠い隔たりだけを感じてしまった。自分とラインではこんなにも違う。

 心底、自分は神将なのだ。普通の人たちにとってかけ離れた存在だ。力を使うからではない、身体的な能力が超人的だからではない、根本的に精神や心が違うのだ。


 神将として生まれた者は、神将にしかなれない。そんなことはとうにわかっていたことであったが、改めて実感したことであった。

 ラインを忘れたことはなかったが、学園に戻りラインに会うことも、卒業した後、彼を探すこともしなかった。ラインに言われなくても、きっと神将の道へと戻っていただろう。理由は簡単だ。自分の道は魔物との戦いしかない。魔物への恐怖も絶望もない。未来など考えない。ラインとのこともすべては過去のことであり、神将は今しかない。今、この世界の脅威である魔物を滅ぼすためだけに生きている。

 だから十年前にラインが言った言葉は間違っていなかった。初めから自分が、一般社会に入ること自体が間違っていたのだ。ラインとは道も違うし、相容れない存在なのだ。諦めとともに、話は終わったとガイは考えた。

 

 現場は、警察と特別捜査官たちが検証を行っていた。自分たちの仕事である、この場所の瘴気の浄化はゲイブたちによってほぼ終わっていた。

 ガイは話を終わらせるために、ラインの穏やかな茶色の瞳を見た。 


 その時、ベティーの話を思い出した。

 ベティーとミリーの話だ。

 お互いに道は違う、世界も違うかもしれない、心も違うかもしれない。それでもベティーはミリーと友達でいたかった。ミリーが大好きだと言った。これで別れるのは間違っていると思ったと、ベティーは言った。

 世界が違う、道が違う、でもそれで別れるのは間違っている。二人でよく話をした。お互いに思っていることを言葉にした。

 そのとき、強く頭を叩かれたように感じた。


「違うだろうがよ」

 違う。これは正解ではない。また、愚かにも十年前の二の舞をするところだった。

 神将だという逃げ道を作っているのは自分の方だ。今、またラインの話を聞き、勝手に自分の中で結論づけていた。自分は何もラインへ言葉にして言っていない。勝手に隔たりを感じて自己憐憫に浸るところだったのだ。


「そうだよな。もっと単純なことだった。友達でいたいかどうかだけじゃねえか」

 そして、その答えは彼のことを知りたいと思ったときから決まっていた。


「まずな」

 ガイは深く息を吸い込むと、ギロリとラインを見た。


「おまえはいろいろと間違っている。十年前のことだが、謝る必要はない。あれはお互いさまだ。俺も勝手に神将の力を持つ者だから理解されないとひがんでいた。それからな、俺は薄情だからおまえのことを忘れたことはなかったが、探して会おうとは思ったことはなかった。俺は、いや、たいていの神将はとても薄情だ。去る者追わずなんだよ。離れちまえばそれまでと考えるやつが多い」


 ラインは目を丸くして、首をかしげた。

「ああ、この仕事についてから事件のために全米を回って歩いた。そのとき神将にも会ったよ。だから、彼らが去る者を追わずというのは知っているよ。ガイは私を探そうとしないだろうから、余計に私の方から探したのだよ」


 ラインは普通に頷きながら答える。ガイは苛立ち、怒鳴りたくなった。分かっているなら、そんな薄情なやつ、放っておけばいいのだ。それも謝ることなどこれっぽちもない。

「それなら、さっさと忘れろ!俺なんて薄情すぎるだろうが。友達だと言いながらあの時言われたことを鵜吞みにして、はい、さよならだぞ」


 ラインは優しい顔で首を左右に振った。

「この仕事についてから、君にあんなことを言ったことを本当に後悔したんだ。魔物と戦うしかない道に行けなど、魔物の恐怖や絶望を知っていながらよくも言えたものだ。魔物との戦いで命を落とした神将たちを知っている。神将も神ではなく、人なのにね。魔物との戦いで命を失うことがある。去る者は追わずで、それでいい。薄情でもなんでもない、明日もなく、今この瞬間も命がなくなるかもしれない世界に生きているなど思わなかった。だから私が勝手に探していたのだから、気にすることはないよ。謝りたいのも自己満足だ」


 ガイは頭をガシガシかいた。

 まったく自分が成長していない子どもに思える。ラインは、自分を、いや神将を理解しようとしてくれていたのだ。そして自分を探して歩み寄ってきた。自分が好きだった優しくて人の心に寄り添う人柄は変わっていなかった。

 それがとても懐かしかった。


「わかった。まあ、あの時の話はわかった。お互いに言葉にしなかったのは悪かった。おまえの謝罪もわかった。だから」

 これからはと、続ける前にラインはあっさりと言った。

「君に会えてよかったよ。もう、会うこともないだろう」

 ガイはもう終わらせようとしているラインの話を途中で止めた。


「ちょっとまて、まだ言いたいことがある。言わせてもらうが、おまえは特別捜査官に向いていないから、さっさと転職した方がいい。魔物絡みは特に向いていない。というか才能がない。よく今まで無事だったな。何も備えず魔物がいる部屋に突っ込むなど、周りの者が迷惑だ。それから謝罪とか、罪滅ぼしとかで仕事をするのはやめろ!」


 ラインはきょとんとする。

 ガイは、こいつが意外に天然であることを思い出した。


「おまえ、よく見たら体の中に瘴気がある。奥の方だからわかりにくいが、確かにある。俺も十六歳のときは神将候補なだけでプロじゃなかったからまったくわからなかったが、今はわかるぞ。その後ろ向きの考え方は瘴気のせいだ。八歳の時に瘴気を浴びたのだろう。それが体の奥に残ったままだ。俺が特別に浄化してやる。おまえのその罪深い自分というのは、まったくの妄想だ。父親が亡くなったのは、おまえのせいではない。おまえのせいで助かったり死んだりしていたら、この世に運命など神など必要なしだ!そう思う方が傲慢だし、父親に申し訳ないだろうが。助けた息子が償いのために生きていると言われてみろ、おまえも想像してみろ。はっきり言って、死ななければよかったと思うだろうさ」


「いや、その」


「何が、そのだ。とにかく瘴気を浄化してやるから、よく考えて、今の仕事はやめろ!それから俺はこれからも薄情だ!それでも今後ともよろしくというのなら、メールアドレスと携帯の番号、住所を教えてやるから、そこに連絡してこい」


 そう言い切ると、思わず、我ながらえらそうだと思った。連絡して来いではない。

 ラインはまじまじとガイを見る。


「連絡?」

 その呟きに、ガイは覚悟を決めた。

 ここはベティーのまねをすることにした。ベティーのおじいさんも言っていた、恥ずかしがらずに友にはちゃんと言うようにと。少しでも変わることが大切だからだ。


「俺と友としてつき合ってほしい。友として今後もつき合ってくれるなら、おまえの住所も教えてくれ」

 ラインはぼうぜんと立っていた。そして、その後、あろうことか吹き出して笑ったのだ。こちらは恥ずかしさをこらえて言葉にしたというのに、なんてやつだと憤慨する。


「いや、変わらないな。最初に私に話しかけてきたときと同じだ」

「え? 」

「友達になってほしい。なってくれるなら、部屋番号を教えてくれと言ったじゃないか」


 思わず沈黙する。そんなことを言っただろうか。


「そうだったか? 」

「覚えていないのかい? 俺は402号室のガイだ。おまえ、名前は? 友達になってほしいから部屋番号を教えてくれ、夜、お菓子を持っていくからと」


 十六歳の俺は幼稚すぎると、思わず自分で突っ込みを入れる。

 まったくのガキだ。十六にもなってお菓子を持っていくはないだろうが。思わず遠い目をしてしまう。そんなこともしたような気がする。とにかく神将候補は一般常識がないのだ。ある意味、世間知らずともいう。

 俺は十年たっても変わらないと言われている。ラインはあの当時と同じようにほほ笑んだ。それは、ガイが好きだった笑い方だった。


「よろしく、ガイ、私は今でも君のことがとても好きだ。君といると飽きなかったからね」

 ガイはその言葉にほっとした気持ちで笑った。


「まあ、仲直りということだな。仲直りの最初は、まず浄化だ。覚悟しろよ」

 ラインは少し天を仰いだ。







 

 夕食後、ガイはリビングでお茶を飲みながら、ベティーにラインの話をしていた。

 最近、夕食後は食後のお茶とデザートを食べながら、ベティーと話をするのが定番となっている。

 今日は、まだアレスもレイスターも帰ってきていないので、ガイはこれ幸いとベティーに事のいきさつをすべて語り終えたところだった。

 ベティーはにっこりと笑った。


「よかったですね、ガイ様」

「ああ、まあな」

 ベティーが作ったマフィンを食べながら、ようやくほっと安心した気持ちになる。


「ちゃんとガイ様が、仲直りだと言えたのがよかったのです。そうでなければ、ラインさんはガイ様とさよならだったはずです」

 ガイはぎょっとする。

「でも、探してくれていたんだぞ。十年も、今後もよろしくだからじゃないのか? 」

「でも二度と会うことはないと思うと言っていたのですよね」

「う、まあ、そうだ。でも仲直りだろう?それは、俺が何も言わなかったからだろう? 」

「違うと思います。ガイ様に会う前からそう決めていたのかもしれません」

「よく、わからねえ。十年間も謝るためだけに探していたなんて、無駄じゃねえか」


 ベティーは小さくうなった。

「だいたいの神将様は、合理主義者なのだと思います。神将候補の方や機関に入って神将様たちに会って思いました。行動を起こすときは、合理的で無駄が嫌いです。感情で行動しませんし、行った結果、何か得られるのではない限り動きません。神将の方に限らず一般の方もそういう方はいます。ですが、神将様はその性質が顕著だと思いました。一般の方は何も得られないとしても行動することがあります。その、神将様にそれがないという訳ではないのですよ。一般の方は、なんというか、気持ちで生きるときがあるというか」


 ガイは、何となくベティーが言いたいことがわかった。つまりラインは、ガイから何も反応がなくても、逆に冷たい態度をとられたとしても、それでもよかったのだ。ラインにとって、自分が行ってきたことは無駄ではない。人に何かを期待して行動しているわけではないということだ。


「ああ、まあ、俺たちは薄情だからな。実利主義というか」

「違います。祖父は神将様のことをこう言っていました。魔物と戦い、神との関係の中で生きる神将様は厳しく己を律しなければならない。自分の命だけではなく、他人の命も守らなければならないのだ。己の気持ちだけで動けるはずがない。合理的なのはより多くの人を救うためであり、結果が得られなければ死しかないのだから、当然のことだと」

「なるほど」

 ガイは思わず納得する。分かっている人もいるのだ、それがとても嬉しかった。

「一般の方の中では、ラインさんのように見返りを求めない方もいます。ですが、そういう方は身を引いてしまうのです。ミリーもそうでした。我慢して、それで身を引いてしまうのです。ちゃんと要求を言えばいいのにいわないのです。ですから、ガイ様が言わなければ二度とガイ様の前に現れなかったかもしれません」

 ラインは二度と現れない。それはとても寂しいことだった。十年間探そうとも会おうとも思わなかったが、ようやく話をして誤解も解けたし、ラインの気持ちがわかったというのに、それでお互いの関係が終わりなど考えられない。


「ありえねえ」

 その言葉に、ベティーはにっこりとする。

「神将様は薄情ではありませんよ。おそらく情が深い方が多いのです。大切なものと決めたら、ずっと大切にするのです。私はそう思います」

 情が深い?いや、冷酷なやつばかりだ。

「うんん、まあ執念深いやつは多いな」


 まだ幼い女神の顔を見ながら、改めて目の前の女神が高位であることを実感していた。

 

「ベティーさあ、俺に渡してくれた封書の中に何が入っていたか知っていたのか?」

 ベティーは、まんまるい目をきょとんとさせる。そして慌てて言った。

「封を開けてみていません。そんな礼儀がないことはしません」


 その言葉で封書の中に試供品の化粧水と安物の小さな手鏡が入っていたことを、ベティーは知らなかったことがわかった。しかし、ベティーがこれには意味があると言ったことは、確かに意味があることだった。


 小さな手鏡がラインの命を救った。

 あの部屋に飛び込んだとき、魔物はラインの近くにいた。炎を放てば魔物の近くにいたラインも炎に包まれる。そしてあの距離では、ラインを魔物から助けるには間に合わなかった。

 ガイは、あの時、神将として冷静な自分がラインの命を助けることができないと判断していた。同時にもう一人の自分は心に悲鳴を上げていた。無意識のうちに制服のポケットを握りしめていた。そして、ポケットから取り出した手鏡を見て、瞬時に思い出したことを実行していた。

 苦手であったので弱い光しか出せないが、力を太陽の光に変え、小さな手鏡にぶつけたのだ。そして鏡の反射を利用して、その光が魔物の顔に向かうように動かした。

 ガイの弱い光を直接トロールへぶつけるより、鏡を使って光を集め、強い光をトロールに当てることができると考えたからだ。それに直接光を当てれば、ガイの行動に気が付き、避けられる可能性もあった。

 

「魔物はトロールだったんだぜ」

 ベティーは何度も目をぱちくりし、トロールと呟いた。

「北欧に出てくる有名な魔物ですね。トロールは、太陽の光を浴びると石になる弱点がありましたね」

 ガイはにんまりした。

「ベティーは勉強もできるんだな、その通り」

 

 魔物は、あの時、あのぐらいの光では石になることはなかったが、動きを止めて硬直した。ガイにとってはその時間さえあれば、十分であった。

 ベティーの助けがなかったら、友を失っていた。


 それだけではなかった。

 ラインが自分を探してくれていたのは間違いのないことだが、今回、自分とラインを結びつけるように運命が動いたのはベティーが動いたからだ。

 ベティーの話を聞かなかったら、俺はラインのことを考えることはしなかった。それに一度、自分は部下に任せ、あの現場から退いていた。

 ベティーが、ラインが特別捜査官になったことに謎があると言わなければ、十年ぶりの再会でも、それ以上、ラインのことを知りたいとは思わなかっただろう。


 学園の先生に電話を掛けてライン自身のことを聞かなければ、トロールが現れた場所へ向かわなければ、ベティーから手鏡が入った封書を受け取らなければ、どの選択も誤ればラインは死んでいた。すべては最後、ラインが生き残る道へのプロセスだった。

 

 恐ろしいとさえ思う、でもとても尊いとも思う。

 稀なる女神は、俺にチャンスを与えた。

 ベティーは、今でも何が起こったのか知らないだろう。

 もしかしたら、運命はラインが死ぬ方へとつながっていたのかもしれない。もし、今回のことでラインが死んでいたなら、どれだけ後悔しただろうか。十年前に負った傷よりも深い傷となっていただろう。

 運命を選ぶのは各々だ。今回は、俺が動いたことで運命は変わった。

 すべてのきっかけはベティーの話からだった。


 ベティーはにっこりと幼子のように笑うと、第二弾として、次に手作りのシフォンケーキを切り分けてくれた。

 ガイの心の中は不思議な感情でいっぱいになる。

 まるで運命の女神であるかのようなベティーへの畏れと、人の運命に関わる業を背負ったベティーへの憐みと哀しみ、神を抱える孤独、だからこそ優しくしたい、大切にしたいと思う己の気持ち。


 今、心は軽く素直に思う。

 俺にとって大切な妹分だ。大切にしたっていいじゃねえか。

 

 ガイはにっこりと笑った。

 シフォンケーキを受け取ると、パクリと一口食べる。

 ベティーのお菓子はとても美味しい。


「ラインさんとはメール交換したのですか?」

 ガイはぎょっとした。考えてみれば、何もしていなかった。電話番号も何も知らない。言葉だけだ。

「いや、していない」

 ベティーは大真面目に言った。

「さっそくした方がいいです」

 ガイは危機感を持って大真面目に頷き、そして心から言った。


「ありがとう、ベティー」


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