変わり目と雪女 4

 一時間もせずに、それどころか一分くらいで雪女は私達に追いつき、公園に足を踏み入れた。冷気を纏いながら、周りのものを凍らせながらこちらへ歩いてくる。


「あんだけ息を吐けるんだから、相当な肺活量を持っているんでしょうね。足を怪我してる僕なんかじゃすぐに追いつかれちゃいますよ」


 助手曰く、そういうことらしい。


 あの雪女が走っているところを想像したら少し可笑しかったが、笑っている場合ではない。今度ばかりは命の危機だ。


 いつもは亜太郎君に任せてしまうところだが、今亜太郎君は戦えない。


 それに彼女を草区に入れてしまったのは私の責任だ。


 いいや、面倒くさい理屈はいい。自分にまで嘘を吐く必要はない。


 弱い私の見栄っ張り。


 言葉には出さないけどね、私の中で言わせてもらうよ。


 私は君を守りたいんだ。


 部長として、先輩として、年上として、彼女として、婚約者として、人として、愛してくれる君のために。


 得意じゃないが、私は賭けする。


 彼から釘バットを奪った。


「⁉ 部長! 駄目です!」

「……………………」


 眼鏡の位置を直し、雪女の前にゆらっと現れる。月明かりが雪女の顔を照らす。隙間から覗く目は困惑の色を見せていた。


 私と雪女はしばらく睨み合った。その末、私の方から彼女に近づいた。


「部長! 部長!」


 全く、こんな時くらい景ちゃんと呼んでくれよ。そしたら戻ってあげるからさ。


「部長! 早く戻って下さい! 戻れッ! クッソ! なんで動かねえんだ!」


 そりゃそうさ、君の足は凍傷を起こしたうえ、その足で二キロくらい全力で走ったんだから、もう動かないよ。


「早く逃げろッ! 死ぬぞッ! おい、部長ッ! 深山景!」


 ははは、やっと呼び捨てで呼んでくれたね。でももう無理だ。これから私は、賭けに出る。根拠は薄い。


 悪いけど、私はもう一人で生きていく気はない。二人で生きると言うことは助け合うと言うことだ。


 結婚するんだろ? それくらい覚えておけ。


 私はバッドを振り上げて、そして――


 捨てた。


「私と彼はあなたの敵ではありません。先ほどの無礼はどうかお許しください。降参します。


 本物・・の雪女なんて、敵うわけないじゃないですか。


 これから説明をします。話し終えて、それでも怒りを納め出来なかったら、その時は氷漬けにしてくれても構いません」


 雪女の動きが止まった。そして――泣き出した。


「あなたが、あなたこそが、私の仲間だったのね……」

「いいや、私は仲間じゃない。だけど敵じゃない。少なくとも、あなたの村を焼いた人とは何の関わりもない」


 茫然とした雪女はやがて下を向いた。


「少し話をしないか? ああそうだ、彼も敵じゃない。君を殴ったと思うが、彼の足も君の息のせいで凍傷をおこしたからお互い様ってことで許してくれ」


 そう言って私は助手の方に向かった歩いた。


 ○


 部長が僕の方へ歩いて来た。


「……部長、どういうことですか?」

「ああ、彼女は泣いていることだし、君の方から説明しようか」


 部長は呑気に地面に座り込み、そして話し出した。


「彼女は私が作った雪女じゃないんだよ」

「……え?」


「本物だよ、本当の雪女。きっと新潟県から来たんだろう」

「本物って……どういうことですか?」


 なんだか話が噛み合わない。うーんと唸った部長は、つまりねえと置いてこう言った。



「実在したってことだよ。雪女は」



「……? 部長、いつも雪女なんか実在しないって言ってたじゃないですか」

「あれはあくまで科学的にって意味だよ。口から人間が凍傷を起こすレベルで温度が低い気体を出せるような人間がいるわけがないって言ってたのさ」


「いや、いるわけなくないですか?」

「でもさ、よくよく考えてみなよ。視力が八の人間がいると思う?」


「いやいないでしょ」

「いるんだよ。マサイ族って知ってる?」


「いや、マサイ族は別でしょう」

「そう、彼女たちは別なんだよ。正確には雪女とかじゃなくて、雪隠ノゆきがくれのたみって言うらしいけどね」


 あそこで冷気を吐いた女が雪女じゃなくて、その、雪隠ノ民とかいう奴なんですか?


 もうわけがわからん。


「つまりどういうことかまとめてください」

「つまり、私たちの勘違いだってことだ。さあ、彼女も交えて話し合おう」


 ○


「「すいませんでした」」と言って、私たち二人は土下座した。するとやっぱり、雪女(じゃなくて雪隠ノ民)は困惑した。


「私たちは敵ではありません。いや、マジで」

「マジです。殴ってすいませんでした」


「いや、あれかわしたんで大丈夫です……」

「あ、普通に話せたんですね」


 彼女は私たちに合わせて正座で座った。


「え、どうやってかわしたんですか?」

「冷気で温度をこう……上手いことして」

「なるほど、蜃気楼を作り、当たったように見せかけたってことか」


 蜃気楼は極端な温度変化を扱う敵キャラの基本だね。


「ところで、あなたは雪隠ノ民ということでよろしい?」

「ええ、その通りです。よくわかりましたね」


「この助手が買ってきてくれた本に書いてあったんだ。最初は嘘かと思ってたけど、まさかガチだとは」


 刊行も千八百年代の後半で、まだ第一次世界大戦すら始まっていない頃に書かれたものだったので、真偽が分からなかったが、まあとにかくあの本に救われた。


 五百ページくらい合って大変だったけどちゃんと読んどいてよかった。


「それにしても、なんでこんなところに来たんだい? 千葉に来るならもっと楽しいところあるぞ?」

「どこ……ですか?」


「ビール工場とか」

「部長、ビール工場潰そうとしないで下さい」


「酒の勢いでプロポーズとか駄目だからね? ちゃんと素面じゃないと認めないからね?」

「あーあーあー、その話はまた後で! で、雪隠ノ民さんはなんでこんなところに来たんですか?」

「私は……冬を感じて、こちらの方へ来たのです」


「冬? 冬を感じて……ですか?」

「はい……今年の七月、一週間だけここらへんの地域が完全に冬になっていたんです。七月に冬が訪れるなんて、有り得ません。私のような雪隠ノ民以外はそんなことはできません。なので、私はこちらの地域に来たのです」


 なるほどな、段々話が見えて来た。


「あー……それは申し訳ない。私の仕業だ。でも私は君のような雪隠ノ民じゃない」

「そんな雰囲気はしていました……」


「あの、立ち話も何なので、良ければうち来ますか? ここから近いですよ」

「そうだな、それがいい」


 やっぱり悲惨なことが隠れていそうだな。

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