変わり目と雪女 1
草高校、九月下旬、残暑が残る季節の変わり目、昼休みの科学室より。
ボブカットとスカートが左右に揺れている。耳をすませば鼻歌も聞こえる。少し冷えて来たなと思った景は、ポッドで湯を沸かし、部室こと科学室のガラスケースからティーセットを取り出した後、二人分の紅茶を入れた。
「いやあ、恋人ってのはいいものだよ。うん、本当にね。いるだけで幸せになるし、好きって言ってくれるし、無条件で肯定してくれるし、何より甘えられる。いやあ、素晴らしいね。恋人が居ない人生なんて考えられないね。こんなキチガイの私でも愛してくれる人がいると言うのだから、世界はカップルで溢れているのだろう!
ええっ⁉ これを読んでいる君、彼女がいないの⁉ はあ、惨めだねえ、私が恋人になってあげよっか? ああ、ごめんね。無理だよ。私には君より格好いい彼氏がいるからねぇ!」
と、虚空に向かって話しかけるくらいには浮かれていた。もはや病気のようである。
「はっやくこないっかなー」
景はそう言って、彼が科学室に訪れるのを心待ちにしていた。
彼女は、彼のことを好きになりつつあった。このままいけばきっと本当に結婚してしまうかもしれない。
しかしそれは、彼女自身の強さを損なう行為でもあった。
深山景は圧倒的な発明力を持っている。普通では思いつかないような発想とそれを実現するぶっとんだ知識と運がある。それもこれも、自らを幸せにするために、自分で身に着けたものだった。それこそが強さであり、彼女が病まず生きていける理由でもあった。
しかし、彼女は自らの発明無くして幸せになろうとしている。
自分の力を失いつつある。
いつか幸せになった時、そして幸せな瞬間が終わった時、あるいは幸せになれてしまった時、彼女は果たして彼女でいられるだろうか。
部屋の扉が開いた。
「どもー」
「おっ! やっと来たか。ずいぶん遅かったじゃないか」
「いやー、色々ありましてね。とりあえず、今日の分のお弁当です。どうぞ」
「ありがとうねー、ほーんといい彼氏だよ君は」
そう言って、亜太郎は景に、彼女用に作って来た弁当を渡した。
「ほへえ! 生姜焼きだあ! これ私好きなんだよねえ」
「今日は朝、時間が無かったので、昨日の夕飯の残りなんですけどね、それでも良ければ」
亜太郎は、景と付き合うことになってから昼食の時間を共に過ごすようになった。
そして、景は昼、エネルギーバーしか食べないことを知り、朝早くに起きて彼女の分の弁当も作ることにしたのだ。
「昨日もそう言ってたけど、その昨日も私の好物を作ってきてくれていたじゃないか。本当は無理して朝、私のために弁当を作っているんだろう? 無理はしちゃだめだよ」
「いいえ、昨日も今日も本当に残りものですよ? ただ、部長に美味しく食べてもらいたいので、夕飯の方を部長の好物にしたんです。これなら、朝寝坊して時間が無くても部長の弁当には困りませんからね!」
「お、おう、相変わらずの重い愛だな。でもそういうとこ好きだよ。重いってことはその分私に想いを持ってくれているってことだからね、押しつぶすくらいの愛が私にはちょうどいいよ」
「はい、早く僕のこと好きになって下さいね」
「うん、きっと好きになる」
○
亜太郎が作ってくれた生姜焼き弁当をぺろりと平らげ、彼に美味しかったと伝え、そしてお礼を言った。
実際のところ、この生姜焼きの味は特別うまくもなく、特別不味いわけでもなかった。味付けがかなりおおざっぱで、庶民的な味であった。景の味覚は他の人と変わらない普通の味覚をしていたが、味付けは細かい方が好きだった。
しかしそれでも、彼の作ってくれた生姜焼きは彼女にとって美味しかった。
まるで彼女の心の方が、彼の愛によって味付けされてしまったようだ。
「はあー、少し前まではエネルギーバーでお腹を満たせていたと言うのに、もう君の弁当なしじゃ昼を超えられない体になってしまったよ。だからあまり学校は休まないでくれよ? 亜太郎君」
「部長が変な薬を飲ませなければ昨日も学校来れたんですけどね」
「いや、別に薬の作用でアフロになったくらいじゃ誰も気にしないよ」
「僕が気にしますよ! あとあの薬は髭もめちゃくちゃ生えましたし」
「育毛剤の実験なんだから仕方ないだろう? あれで全国のハゲは救われるんだからいいことだろう」
「でもあれ、アフロにしかなりませんよね? しかも一日たつと髪も髭も全部元に戻りますよね? 意味あるんすか」
「…………」
「黙秘権使ってんじゃねえよ!」
「まあ、なんだ、私はもう君がいないと生きていけなくなりつつあるってことだ」
「急に話を戻しましたね……そう言われると満更でもないっていうか」
あまりのチョロさに、景は吹き出しそうになったが、ぐっとこらえ、続きを話した。
「私は今まで一人だったけれど、君という恋人が出来てしまった。だから孤独がいかに寂しいかを知ったんだ。もう一人で生きていけるなんて言えないね。愛を知ってしまった私には、もう一人でいることは出来ないね。きっと、愛を知って尚、孤独で生きていけるような人が誰よりも強いんだろうなって思うよ」
「……部長の言う通りかもしれませんね」
「あ、ちょっと待て、今私のことを部長って言ったか?」
「はい、言いましたけど」
「付き合ってそろそろ一週間だし、私のことは呼び捨てで読んで欲しいんだけど」
「え、えぇ?」
「いやあ、意外とあこがれだったんだよ。呼び捨てで呼んで貰うの。私のことを呼び捨てで呼ぶような距離の人って中々いないからさ」
「いや、でも部長は先輩だし……」
「その先輩の私がいいって言っているんだ。ほら、早く呼んで! 景って、もしくは景ちゃんって」
「あ、ああ――ああ、そういえば部長に言わなくちゃならないことがあったんですよ!」
「むう、照れてんじゃねーよ」
むくれる景を無視して亜太郎は話を勧める。
「このネットニュース、見て下さい」
そう言って彼は自分のスマホを景に渡した。
彼女は、亜太郎のスマホの壁紙が、自分とのツーショットだったことに心の中で小さく喜び、機嫌を直した。
「えーっと、どれどれ」
ネットニュースにはこう書かれてあった。
○
『通り魔的凍傷事件』
2023年3月29日、千葉県 草区で通りすがりの女にドライアイスのような白い空気を押し付けられ、被害者が凍傷を起こし、怪我をした。
女の特徴は白く長い髪と着物を着こんでいたそう。
そして凍傷の原因であるドライアイスが気体になったような白い空気は、女の口から出ていたそう。
死者三名 軽傷一名
○
「…………」
「……これ、雪女ですよね? 僕らが作った」
「…………」
「…………」
黙ってんじゃねえよ。
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