第3-3プラン:現在価値と未来価値? セレーナによる家賃交渉
◆
シャオさんの自宅は商店街の最も南東にある。裏手にはレイナ川が流れていて、窓から竿を垂らせば魚が釣れるような位置関係だ。建物は石造りの2階建てで、1階の床面積は大きめの集合住宅くらい。そこに息子夫婦や孫たちの計6人で暮らしている。
年齢は60代半ばで、日に焼けた肌とふくよかな体格が特徴。ちなみに頭はてっぺんだけがツルツルしている。
昼間は庭で日向ぼっこをしていることが多くて、今日もまさにその最中だった。私たちは安楽イスに背を持たれかけさせてウトウトしているシャオさんに歩み寄り、声をかける。
「こんにちは、シャオさん」
「ん? あぁ、ミシェルの薬店で働いてる子か。セレーナだっけ。と、精肉店のザックと青果店のサラも一緒なのか。若い者がお揃いでどうした? 私に何か用かな?」
「はい、空いている店舗を貸していただけないかと思って条件などを聞きに来ました。場所はフルール薬店の隣です」
それを聞くとシャオさんは目を見開き、興味深げに身を乗り出してくる。
「ほぉ? 薬店が手狭になったのかね? それとも精肉店と青果店のどちらかが支店を出すとか?」
「いえ、私たちで新しい商売を始めようと思いまして」
「それは素晴らしい! 若いうちはどんどんチャレンジするといい。キミたちとは知らない仲じゃないし、貸すのは大歓迎だよ」
「ありがとうございます。それで家賃についてなんですけど、月にいくらくらいになるでしょうか?」
「本来は月10万ルバーなんだが、若者を応援する気持ちを込めて8万ルバーということにしてあげよう」
即座に2万ルバーも割引してくれるなんて、気前がいい人だ。ただ、それでも今の私たちにとっては厳しい価格であることは間違いない。
もちろん、ある程度は予測していたことなので私は価格交渉に入る。
「……月3万ルバーじゃダメですか?」
「っ!? 3万っ!? あー、ダメダメ! それは安すぎる! 市に税金を払ったら儲けなんてほとんど出ないよ!」
即座に手と首を大きく横に振って拒否するシャオさん。あの地域の家賃相場を考えれば当然の反応だよね……。
だからこそ、ここからが交渉力の見せ場だ。家賃を下げさせる材料――つまり貸し主であるシャオさんにとって痛いところを衝いていく。
「でも空き店舗のままだと、その税金の分が赤字ですよね? 入居者がいない状態で遊ばせておくよりは全然良いんじゃないですか? 私がフルール薬店でバイトするようになった当時、つまり最低でも1年前からずっと空いていると思うんですが」
「うぐ……」
「それとも誰か借りてくれそうな当てってあります? 難しいですよねぇ。特に最近は総合商店が出来て、商店街は人が減ってますしねぇ。多少は家賃が高かったとしても、総合商店に近い北地区にある空き店舗を借りたいってみんな考えますもんねぇ」
「うむむ、私の足元を見ようというのか……?」
「いえ、事実を述べたまでです。それよりもこのままで良いんですか? 総合商店にお客さんを取られたままだと、商店街が衰退して廃業するお店だってたくさん出ますよ? シャオさんは商店街に何軒も店舗を所有していて貸してますよね? その家賃が入ってこなくなるんですよ?」
私の問いかけにシャオさんは肩を落とし、苦虫を噛み潰したような顔をする。
「商店街の状況は私だって分かっている。家賃を納めに来た連中から話を聞いているからな。危機感を覚えているよ……」
「だったら私たちの未来に投資しませんか? 私たちが新規開業するお店に人が集まれば、商店街に活気を取り戻せます。それに商店街の既存の各店舗とも力を合わせれば、総合商店なんかには負けません!」
「少なくともボクの精肉店とサラの青果店は全面協力します」
「それとミシェルさんの薬店もです」
すかさずザックとサラも私の援護射撃を入れる。事前に打ち合わせをしていたわけではなかったのに、効果的なタイミングだ。しかもふたりは心の底から本当の気持ちを述べているので嘘くささがない。
そう考えると、結果論になるけどふたりと打ち合わせをしていなくて良かったのかもしれない。事実、シャオさんの心は揺らぎ始めている感じだ。
「どうですか? 空き店舗の税金負担がなくなって、しかも商店街が活性化すればすでに貸している店舗の家賃収入も守れる。シャオさんにとって悪い話じゃないと思うんですけど」
「……それはキミたちの店が成功するという前提だろう? 失敗したらどうするのかね?」
「店舗は1年契約で、前もって現金で全額をまとめてお支払いします。以後、私たちが申し入れをしない限りは自動で契約更新ということで。それなら私たちが失敗しても、シャオさんは最低でも1年分の家賃を先に受け取れます」
「……ほぅ!?」
私の提示した条件にシャオさんは興味を示した。
ようやく好感触。でも当然だよね、割引かれているとはいえ即金で1年分の家賃が手に入るんだから。それなら途中で私たちの店が失敗して、家賃を取り損なうということもない。
もちろん、現金は未来よりも現在の方が価値が高いから、前払いなら割引いた金額になるのが自然だけどね。だって現在の現金を誰かに貸せば、未来には利子が付いてくるから。つまり同じ金額でも現在価値の方が高いのだ。
ここで私はシャオさんに対してさらにもう一押しする。
「それにこのままだと商店街の衰退はほぼ確実です。いずれ家賃収入が激減するのは避けられないでしょう。だったら希望の光がある方へ投資するのは悪くないんじゃないですか?」
「確かに……その通りかもな……」
「私は自分の青果店やこの商店街を守りたいんです。シャオさんは商店街が衰退していくのを、指を
サラは真剣な表情でシャオさんを真っ直ぐに見つめながら訴える。声にも想いが込められていて、思わず私まで胸が詰まりそうになる。
すると彼は静かに目を瞑り、少し考え込んだ。そしてわずかな沈黙のあと、意を決したように目を見開いて私に問いかけてくる。
「キミたちはどんな商売を始めるつもりなのかね?」
「それはまだ秘密です。情報漏洩の危険性もありますから。でも安心してください、非合法なことはしません。それはお約束します。それと食品を扱うということだけは言っておきます」
「……分かった。月3万ルバーでキミたちに店舗を貸そう。ただし、貸すからには商店街に活気を取り戻してくれよ」
シャオさんの期待に応えるべく、私はハッキリとした力強い声で返事をする。
「ありがとうございます! では、お互いに気が変わらないうちに書面で契約を締結しましょう!」
「はっはっは! しっかりしてるな、キミは。だが、商売を始めるならそうでなくてはな」
「サラ、ザック! 店長へ商店街加盟店組合の臨時会合の招集をお願いしに行って。そのあとはそれぞれご両親に絶対に出席するように説得してきてもらえる? 私はシャルさんともう少し用事があるから、あとでフルール薬店で合流しましょう」
それを聞くとサラとザックは声を揃えて『はいっ!』と答え、フルール薬店の方へ駆けていった。素直でやる気もあって、お姉さんとしては嬉しいぞ、うんっ!
こうして私はふたりの姿が見えなくなるまで見送ったあと、シャオさんの方へ向き直ってニタリと微笑む。
「――で、シャオさん。実は契約書のこととは別にお話があるんですよぉ。儲け話についてなんですけどぉ」
「儲け話?」
「損はしないと思いますよ? 1口でいいので乗りませんか? その儲け話というのはですね――」
私は両手を摺り合わせながらシャオさんに歩み寄り、そっと耳打ちをしたのだった。
(つづく……)
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