【幕間】お手をどうぞ

 朧月志乃の噂が流れている。

 あの子が皇鬼様のお気に入りかもしれないという噂。ものによってはあの子が朧姫かもしれないなんて言う噂もある。


 私はあの時、理解したのだ。皇鬼様が朧姫である私に会ってくださらなかったのは、千年桜が伐られるのを知っていたから。だから合わす顔がなかったのだと、そう理解した。

 千年桜を直接に見に行きたかったのだけれど、水無瀬、いや、クインズの家の力を使ったとしても、ダメだった。

 私のイギリスでの名前はアリス・クインズ。由緒ある大貴族クインズ家の長女。水無瀬という名は父方の名前。とは言うものの、もう父だとは思っていないし、何年も会っていない。有効活用してあげているだけ。水無瀬という名を売ってあげている。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。

 だから私は中継で我慢するしかなかった。中継でも皇鬼様のお顔を見ることはできるから。

 だから、だから、だから、我慢してたのに。あの子は急に教室を飛び出していった。ひそひそと聞こえる声。


「まさか、会場に行ったんじゃない?」


 この声が聞こえたときは、怒りを抑えるのに必死だった。なんで、あの子はいつも私が不快になることをするの?

 でも、その時、皇鬼様のお声が聞こえたの。それだけで私の怒りは収まった。だって、皇鬼様が今この時も私の事を考えていてくださっているから。そして、皇鬼様が話し終え、断木の儀だんもくのぎが始まった。


 私は少し見るのが辛かった。だって、私たちが愛を誓い合った私達だけの千年桜が伐られてしまうのよ? でもここはちゃんと見るべきだとそう思ったの。でも、皇鬼様が仰っていた神絶の斧しんぜつのおのが振りかざされたとき、中継画面にノイズが走ったの。クラスの子達も騒ぎ始めた。そうして完全に見えなくなってしまったの。


 だけど、だけど一瞬、白い髪の女が見えた。私にははっきりと見えた。私が知っている白い髪の人物は朧月志乃ただ1人だけ。私はこんなに我慢しているのになんであの子だけが皇鬼様がおられる空間にいるのよ。そこからはずっとイライラしていた。

 


 少し経って、校舎の生徒たちがまたざわつき始めた。中には黄色い歓声まで上げている子もいた。私も一応窓から顔を覗かせてみた。


 私は驚いた。そして、再確認できた。やはり私が朧姫なのだと。

 メインストリートにはなんと皇鬼様がいた。

 まわりの人たちは私の事を褒めたたえる。


「良かったね」

「やっぱり水無瀬さんが朧姫なんだ」

「皇鬼様が自ら会いに来てくれたんだよ」


 その言葉たちに私は悦に入った。優越感を感じた。だから、気付かなかったの。皇鬼様の目線の先に朧月志乃がいることに。


 他人には絶対に見せない優しい笑顔、優しい眼差し、やわらかい雰囲気。

 それらはすべて私に向けられているのもだと思った。思っていた。

 あの子に何かを話しかける皇鬼様。そして、握手をした。朧姫である私でさえ触れたことなんてないのに。なんで、なんで、なんで。


 でも、皇鬼様が校舎の方を見て微笑んだの。あれは絶対に私に向けられた笑みだった。やっぱり、私が朧姫なんだ。やっぱり、やっぱり、やっぱり。


 でも、私が私こそが朧姫なのに、なんであの子の噂が流れるの? みんなも私が朧姫だって言ったときは称賛の声を上げてくれたのに。なんで、あんたはいつも私の邪魔ばかりするの? なんで、私の思い通りにならないの? なんであんたみたいなブスにそんな噂が流れるの? なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんで!


 私は自分の屋敷で滅茶苦茶に泣いた。こんなたかが冴えないブスのために泣いてるというのを知られたくなかったから、自分の部屋で泣いた。



 

「君は朧姫になりたいんだよね?」


 そんな時どこからともなく声がした。

 朧姫になりたい、ですって? 何を言っているの? 私が正真正銘の朧姫よ!


「あはは、そんなに怒らないでよ。僕達は力になりたいんだ。君は皇鬼に愛されたいんでしょ?」


 何を言って、私は愛されているわ!


「でも君から焦りと不安を感じる。本当は分かっているんでしょう?」


 クスクス、クスクス。部屋の闇から笑い声が聞こえる。女とも聞こえるような男とも聞こえるような声。大小さまざまな声。

 

――クスクスクスクス、クスクス、クスクス


 嗤わないで! 私は正しいの! それが真実なの!

 私がそう叫ぶと、闇から聞こえる笑い声は止んだ。そして、”それ”は闇から現れた。


「ねぇ、僕達の手を取って……? 君のその不安を取り除いてあげる。お手をどうぞ、哀れな姫君?」


 大きな、人間ではない、黒い黒い漆黒の悪魔の手。でも、私は悪魔の手でも何でもよかった。皇鬼様が手に入るのなら。どんな手段でも使ってやる。悪魔にだって魂を売ってやる。

 


 私は”それ”に手を伸ばした。

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