【第32話】久方ぶりの開花

 そこは桜色のカーテンの中だった。


 甘い香りの中に包まれていた。


「咲いてくれたの……?」


 志乃は開花したという事実に嬉しく感じた。千年桜は枝という枝にピンク色の花をいっぱいつけて、佇んでいた。

 警備の者達は驚きが隠せなかった。


「千年桜が咲いた、だと」


 


 観覧席の人々も驚き、また、感嘆した。





「す、皇鬼様……?」


 吉谷は呆然と立っている皇鬼を見て、桜よりもそちらの方に驚いていた。


「皇鬼、それ……」


 カタカタと耳飾りが震える。それにいち早く気付いたのは伊万里だった。すると、耳飾りの宝石が光の粒子となって消えたのだ。


「待て……!」


 皇鬼は手を伸ばして、光の粒子を掴んだが、するりと手の間から通り抜けていった。



 



 志乃は喜んだのも束の間、激しい頭痛に襲われていた。


「はぁっ、は、はあっ……」


 まるで流れの速い川のように、誰かの記憶が流れ込んでくる。その中に蒼真と紅賀もいた。でも、愛しいあの人の顔は見えなくて。


「ねぇ、あなたは誰なの……! 私は誰なの! 痛い、苦しい……誰か、助けて」


 手をぎゅっと強く握って、耐える。志乃は痛みの中で、あの人の記憶を再生していた。


「――、愛してる」

「――は撫でるのが上手だね」

「俺だけの――」


(何時のあなたも顔は見えない。私の名前を呼ぶ声も聞こえない)

 


 満開の桜のカーテンの中でうずくまる志乃。痛みで涙は出てこない。ギュッと強く握った手の中に何かがあるのに気付いた。痛みに耐えながら、そっと手を開く。紫色のアメジストのような宝石だった。

 キラキラと桜の木の隙間から差し込む陽光を反射して、輝きを放つ。


 その宝石を見ている間、不思議なことに頭痛は止んだ。光に翳してよく見る。

 

 そして志乃は本能的にその宝石を口に運んだ。口の中に入り、喉に突っかかるはずの宝石は、ごくんと自然に体内に入った。そして元から自分の一部であったかのようにすぐに体に溶け込んだ。


 ある記憶が再生される。




***

 誰かの肩に乗って、立派に花をつける枝垂れ桜を見る記憶。

 幾度となく見てきた夢なのに、初めて見る気がした。


「朧姫、綺麗だね……やっぱり君の言った通りだ」

「皇鬼様……そんなことはございません、私も外す時は外しますよ」

「ははっ、朧姫はいつも俺の事を楽しませくれるなぁ……」

「むぅ、今の笑う所じゃありませんよ」

「ごめんごめん、じゃあ、この桜に俺たちの思いが千年、万年と続くように願いを込めて誓おう」

「ふふ、そうですね。ずっとずっと愛していますよ、皇鬼様。生まれ変わってもずっと――」

「俺も愛してるよ、朧姫――」



 嗚呼、私は朧姫なのか。そして貴方は――





「全て、分かったでしょ」


 声が響いた。私の声。だけど私ではない人の声。私は満開の枝垂れ桜の下に立っていた。桜の木の上から声がする。


「貴女は私、私は貴女」


 見上げると私と同じ顔の十二単の人がいた。白い髪で紫色の瞳、黒い角。優しく微笑んでいる。


「これから辛いこと、悲しい事があるかもしれない。でもね、皇鬼様がずっと貴女の隣に居る、だから大丈夫ですよ」

「それってどういう……」


 私が話そうとしたら、強い風が吹いた。目を開けると、私の後ろに私と同じ顔の人がもう1人居た。黒髪、桃色の瞳。


「あなたもありがとう、手伝ってくれて」


――いえ、滅相もございません。私は朧姫様、貴女様に存在を見出されたのですから。こうしてお姿も貸して頂いております故。


 桃色の欠片が舞う。嗚呼、彼女は千年桜その物なのか。私はすぐに理解した。何故だか分からない、だけどそう思った。私も朧姫だからかな。朧姫が木から降り立つ。私の目の前に降り立った。


「夢の中だと、歩けるのは良いですね。貴女も足は大切にして下さいね」


 そして私の頬を両手でそっと包む。


「蒼と紅にもよろしくね」


 朧姫は私に抱き着いた。私も優しく抱きつき返す。そして朧姫は私の中に溶け込んだ。私達はひとつになった。

 桜が舞う。私達を祝福するように、軽やかに舞う。桜の君は満開の桜のように笑う。


――朧姫様、またお会いしましょう。私はいつも貴女のそばにいます。


 彼女はそう言うと、桜の花弁になった。そしてその暖かい色の花弁で私を包み込んだ。





***

 志乃は千年桜の下で木に寄りかかって、眠っていた。

 東雲率いる焔朝の者達は桜から離れ、志乃を見張っていた。


「う、んん……」


 目を覚ます。そして、ふらつきながらも立ち上がった。焔朝職員は武器を持ち、警戒の色を強めた。しかし、志乃の元に行くことは無かった。


「皇鬼綾斗だと……!」


 焔朝職員がざわめく。皇鬼が護衛も付けずにこちらに向かって来たからだ。


「あれが皇鬼様……」

「綺麗な方だ……」

「お美しい……」


 それを見ていた観客も声を色めかせ、記者たちは一斉に写真を撮った。


 そして、志乃の前に少し間を開けて止まった。重い口を開く。


「君は……なんで……!」


 皇鬼は抑えられなかった。言おうとしていたことと思っていたことが反対になってしまった。志乃はそんな皇鬼を見て、優しく笑いかけた。


「綾は、皇鬼様だったんですね」

「あ、思い、出したの……?」


 皇鬼は泣きそうな顔になって、やっとの事で言葉を紡ぎ出した。その顔にその場の全員が驚きを隠せなかった。


「思い出せなくて、ごめんなさい。ただいま戻りました、皇鬼様……!」


 ぽろりと涙が零れた。

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