羽のない天使と僕だけの卒業式

なつの夕凪

天使の囁く罪

 教員にとって中三の担任になるのは大変な事だ。


 高校受験を控えているし、思春期の真っただ中の生徒たちは落ち着きがない。

 

 それまで何も問題を起こさなかった生徒がある日突然事件を起こすこともある。


 彼らは多くの問題を抱えたまま『良い子』であることを強要されている。

 

 大人たちは、自分が子供だった頃は忘れ「自分の頃はこうだった」「今の子たちは恵まれている」「大人になったら通用しないよ」などただ見下ろす発言のみを繰り返す。


 こんなものはストレスにしかならない。


 それでも多くの生徒たちは、思春期という荒波を乗り越えていく。

 

 たまに上手く乗り越えれない生徒もいる。


 小田切春風おだぎりはるかは、手のかからない生徒だった。

 

 学力は中学三年間で常に学年三位以内、バレー部のエースとして県大会で活躍、生活態度もよく遅刻欠席もなく後輩からも慕われていた。

 

 異変が起きたのは、受験直前の時期だった。

 

 それまでの志望校を全て変更し、県外の学校に切り替えた。

 

 元々の志望校は、本校から徒歩十分ほどにある県内御三家の一角といわれる共学高。

 

 彼女の家からも近い事、仲のいい生徒も同じ学校を志望していたことから順当な選択と思われた。

 

 しかし突然の進路変更に教職員の間でも動揺が広がった。

 

 公立中学とはいえ、教員は学校の進学率、正確には何人を御三家に入学させたかを常に気にしている。

 

 下らない話だが、進学実績は他校教職員との研修や懇談会があった際に自慢の種になるし、出世を考える教員にとっては県教育委員会へのアピール材料の一つとなる。

 

 小田切春風は模試や三年間の成績から御三家でも合格確実だと思われていた。


 県外の学校では、優秀な生徒の流失となるためアピールに繋がらない。

 

 打算が狂ったことに慌てた校長の指示で、僕はすぐに小田切と面談を実施した。


 そして公立校に進むことの経済的メリットや大学への推薦枠など、御三家の評判の良さ、強みを喧伝し志望校変更を思いとどまる様進めた。


 もちろん生徒に進路を強要することはできない。

 

 結局、小田切に変更の意思がないことを確認すると、そのまま校長に報告した。


 彼は諦めきれない様子だったが、他にも御三家を受験する生徒がいるのでそちらに希望を託すことにしたようだ。 


 その後、小田切は県外の志望校を難なく合格し、他の生徒より一足先に受験を終えた。

 

 問題はそこからだった。


 受験が終えた後、卒業式も含め一度も小田切は登校することがなかった。

 

 欠席した最初の日こそ連絡をもらったが、以降は無断欠席が続いた。 

 

 せめて卒業式だけは出席するように連絡したが、やはり欠席だった。

 

 卒業寸前で、問題児と化した小田切を公正させる意志など学校にはない。


 むしろさっさと出て行ってもらいたい。

 

 だが卒業証書やその他の贈り物や教室に残る私物の回収をしてもらわないと困る。

 

 卒業式後も一向に学校に来ない小田切を電話で再三の説得の末、ようやく学校に来ることを約束させた。

 

 久しぶりに学校に来た小田切は姿が一変していた。

 

 長く綺麗だった黒髪はバッサリと切り落とし、ブリーチのショートカット、耳にはピアスと目には青のカラコンを入れ、化粧も薄くしている。

 

 白のオーバーサイズパーカーとスキニージーンズの姿は、スタイルが良いせいか野暮ったさこそ感じないものの頽廃的な雰囲気があり以前の清楚で可憐なイメージとかけ離れていた。


「こんにちは先生、ご無沙汰しております」


「あぁ…… 小田切随分変わったな」


「変ですかね?」


「いや…… ただ少し驚いてる」


「そうですか。お時間をとらせるのも申し訳ないし、さっさと終わらせませんか?」


「わかった、先に教室の前で待っててくれるか」


「はい」


 学校は春休み期間のため、運動部の生徒以外は登校していない。

 

 わずかな生徒たちもグラウンドや体育館にいるので校舎内の生徒は皆無だった。


 小田切に来てもらったのが今日で良かったかもしれない。

 

 模範的な生徒の変わり果てた姿を在校生に見せるのはあまりにも刺激が強すぎる。

 

 職員玄関で小田切と別れ僕は職員室に保管されている卒業証書と記念品を持ち、三階にある三年C組の教室に向かった。

 

 教室に入ると金髪の少女は先日までの自席に座り、つまらなそうに窓の外に広がるグラウンドを眺めていた。

 

「またせたな……じゃあ、卒業証書渡すから呼ばれたら来てくれ」


「小田切春風」


「はい」


 小田切は真っすぐ進み、教卓の前で止まった。

 

「右のものは中学を卒業したことを証する 令和四年三月九日川岬市立向ヶ丘北第七中学 校長〇〇 卒業おめでとう」


 小田切は一礼した後、賞状を受け取り、二歩下がってまた一礼した。


「ありがとうございます。江藤先生」


「これは記念品、ちゃんと持って帰れよ」


「わぁ…… 随分多いですね。大丈夫ですよ、捨てたりしませんから」


「なぁ小田切少しだけいいか。担任として最後に」


「はい、大丈夫です」


「なんで学校に来なくなった?」


「実はカレシの家から出してもらえなくて……」


「ご両親からどこにも出かけず家で普通にしていると聞いている」


「ただ行きたくなかったというのは理由になりませんか?」


「いや行きたくなっただけならまだいい。もし小田切が何か問題を抱えてて、僕がそれを見逃していたのなら申し訳ないと思ってね」


 僕が教師をしているのは大学で教職課程を取ったから


 そして安定した職業に就きたかったから


 別に教育者として熱意に燃えてたわけでもなければ


 何が何でも教員になりたかったわけではない。


 それでも担任としてできるだけのことをしてあげたかった。


 小田切は何かを問題を抱えていたに違いない。


 そうでなければ不登校になる理由がないから

 

「先生から見て今のわたしは変ですか?」


「変とは思わないが少し派手ではあるな。個人としては似合ってるし良いと思う」


 元々整った容姿をしているせいか、今のブリーチも様になっている。


 金色の髪は春の柔らかな日に照らされどこか非現実的、妖しくも美しく映る


 長い睫毛と切れ長の瞳、白い肌


 もし僕が彼女の同級生なら、そばを通る度に視線で彼女を追いかけていただろう。

 

「ありがとうございます」


「でも後二週間もしたら高校の入学式だろ…… それまでには元に戻しておけよ」


「このまま行ってみるのも面白いと思いますが…… 入学前には戻します。わたしの行く学校は校則厳しいみたいだし、このピアスもフェイクですよ」


 彼女はピアスを外して見せ、耳に穴が開いてないのを僕に見せた。

 

 小田切の進学予定の彩櫻さいおう女学院は都内の伝統校、ブリーチなど絶対に許されない。

 

「それを聞いて安心したよ。入学早々退学とか勘弁してくれよ」


「……はい」


「ところで江藤先生は、四月からは新入生の担任になるんですか?」


「いや…… 言ってなかったが、僕も三月で卒業なんだよ。家業を継ぐことになってね」


 実家はコントラバス・バイオリン・チェロなどを扱う楽器の修理工房、九つ歳の離れた兄が継いでいたが、昨年末、不慮の事故で亡くなった。


 不況の影響もあり工房を閉める事も考えたが、僕が兄の後を継ぐことになった。

  

「じゃあ先生も卒業なんですね。今から先生の卒業式をしましょう」


「別にいいよ。一応教員同士で送別会をしてもらうことになってる」


「駄目です、先生とわたしだけの卒業式をしましょう」


「……わかった」


 わずか十五歳の少女からそう告げられると僕はなぜか逆らうことができなかった。


「江藤先生…… あなたはわたしのようなダメな生徒を苦労の末、

 見事卒業証書を受けとらせました。その成果を讃え…… 


 ハグとチュウどっちにしておきます?」


 小田切は朗々と読み上げた後、右手の人差し指を唇の前で立ていたずらな表情でウインクし、突拍子もないことを言うから思わずドキっとする。


「どっちもダメだ!」

 

「え~ つまんない。それともわたしの魅力が足りないですか?」


「魅力とかそれ以前に、僕は生徒と自分の未来を潰したくないだけだよ」


 どうやら彼女は僕をからかっているらしい。全くもって困った生徒だ。


「先生はやさしいですね。でも……」


 それまでの雰囲気が打って変わり、冷めた表情のまま僕との距離を一気に詰めると唇に暖かいそれを押し当てた。


 刹那のような悠久の時間の中で


 僕は空気と唾液を奪われていく


 息苦しさと高揚感がピークに達したところで


 甘い香りと柔らかな感触だけ残し


 小さな顔はゆっくり離れ元の距離に戻ると

 

「それは罪ですよ。鈍感なのもね……」

 

 僕の罪状を読み上げる


 今起きたことに理解が追いつかない


 小田切の云っている事もわからない

 

 ただ目の前の現実が体を蝕み、それ以上の何かが体を駆け抜けていく


 そして走ったわけでもないのに息苦しい


「小田切…… 何を考えてる?」


「わたしは何も考えてませんよ

 それより先生が今考えていることを教えてもらえますか?」


 少女は誘う様に甘く囁く


 ただその青の瞳には光がない


 頽廃的であり殺伐としている


 驚くほど細い首筋を見ると


 頭の中に良くない想像が浮かぶ


「僕は小田切を助けたい……」


 それらを振り払う様に何とか言葉を絞り出した。

 

 余計な事は考えてはいけない。


「……つまらない答えですね」


 小田切は先ほどまでと打って変わり、突然苛立ったような表情を浮かべた。


「今の君は酷く荒々しい…… 調律の狂ったピアノのように、音が取れず必死に足掻いている様に感じる」 

  

「さすが音楽教員ですね。とても詩的な表現です

 わたしが先生に好意を寄せてるとは考えないのですか?」


「三十手前のうだつの上がらない僕に君が好意を持つとは思えない」


「随分とネガティブですね…… 興が醒めました。失礼します」


 小田切はそう告げると荷物をまとめ足早に帰る準備を始めた。


「ああ、気をつけて帰れよ」


「さよなら先生……あとこれ」


「何だ?」


「わたしの連絡先です」


「……後で処分しておく」


「先生にはできませんよ。待ってますから……」


 彼女は微笑だけを残し颯爽と去っていく。


 僕は一人取り残され静かな教室の中で大きなため息をついた。


 小田切春風は優等生ではなくやはり問題児だった。


◇◇◇◇


 仕事を終え、家に帰った僕は缶ビールを片手に一枚のメモを見る。


 電話番号が記されたメモ……

 

 ビールの苦さを忘れるような甘さと


 今までにない胸の高鳴りが広がる


 ダメだ…… 絶対に連絡してはならない


 教員として一人の大人として自らを戒めるが


 甘美な毒は時間を経つにつれ確実に蝕んでくる


 目を閉じると彼女の姿が浮かび上がり、そして消えていく


 ただ電話をかけるだけでいい


 もうすぐ僕は教員でなくなる


 そうすれば……


 いや、事と次第では全てを失うかもしれない


 それでも毒は僕をいざな

 

 自分自身に都合の良い理由で

 

 欲を正当化しようする


 そうだ……

 

 僕を勾引かどわかしたのは彼女だ

  

 相応の罰を与えなければいけない

   

 不真面目な天使が自由に空を飛べないように……

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