第6話 普通と違うと気付いた時
本当はきっと、慣れてしまってはいけなかった。
彼らによって繰り返し与えられる肉体的苦痛。
存在自体を否定され、罵倒され続ける心の苦痛。
本当はそんなものに慣れてしまってはいけなかったのに、まだ小さかった私と妹は…だんだん痛みの感覚が麻痺してしまい、いつの間にかそんな日常に慣れてしまった。
薄暗い部屋に閉じ込められること。
彼らの機嫌が悪ければ、殴られ蹴られること。
食事は菓子パンかカップ麺が、1日1個しかなかったこと。
パパ、ママ、弟の名前を呼ぶことも絶対に許されなかったこと。
笑ったり泣いたり、声を出すことが許されなかったこと。
学校や保育園のお友達の家に、遊びに行くのが許されなかったこと。
私は2歳下の妹ととても仲が良かった。
薄暗い部屋の中で、会話できるのは妹ひとりだけだった。
1日1個の菓子パンかカップ麺も、妹と仲良く半分にして食べた。
暗い部屋が怖くないように寂しくないように、いつも2人で手を繋ぎくっついて眠った。
小さな子供は、他所の家庭を見た事がないので『 普通 』を知らない。
だから目の前にあるこの現実が『 普通 』なんだと思い込んでしまう。
そして、他所の家庭を見た事がない子供にとっては、目の前にいる親というものは絶対であり…たとえどんな仕打ちをされたとしても、この親に愛されたいと願う。
そんな私が
これって『 普通 』と違うのかな?と思い始めたのは9歳の時だった。
私が9歳、妹は7歳、弟が5歳の時。
弟は4歳くらいから剣道教室に通うようになった。
毎週火曜日と金曜日。
夜19時から21時までは剣道教室でお稽古をする。
彼ら(両親)は揃って18時過ぎに弟を車に乗せて練習場へと出掛ける。
お稽古中は彼らもそれを見学して、終わると道場の近くにある食堂で3人で夕食をとって22時過ぎに帰宅する。
それも私と妹にとっては『 普通 』で当たり前の日常だった。
この毎週火曜日と金曜日の、18時過ぎから22時過ぎまでの4時間だけは、私と妹が唯一彼らに『 絶対に殴られたり蹴られたりすることのない時間 』だった。
廊下の奥にある暗い部屋から自由に出ることが出来た。
普段は絶対に入れてもらえないリビングや、2階にある彼らの部屋、弟の部屋も覗くことが出来た。
ただ…暗い部屋以外の場所に足を踏み入れたことが彼らに知られると、帰宅したあとに大激怒して殴られるのはわかっていたので…こっそりと、ほんの少しだけ覗く程度にした。
それでも普段、暗い部屋から出ることの許されない私と妹にとっては、その週2日の4時間だけはちょっとした冒険をしているような、そんな楽しい気持ちにさせてくれる時間だった。
その日も私と妹は、ほんの少しの冒険をしていた。
だけどその日に限ってリビングのテーブルの上には、いつもは置いていない『 みかん 』が籠に盛られて置いてあった。
私も妹も、学校や保育園の給食・おやつ以外で果物やお菓子を食べたことがない。
食べてはいけない…。
これを食べたら絶対に大激怒されて殴られる…。
そんなことはわかっていた。
わかっていたけど…その日に食べたものはお昼の給食と夜の菓子パン1個だけ。
食べたことが知られたら、どんなことをされるかなんてわかりきっていたけれど…私と妹は空腹でその誘惑(みかん)に負けてしまった。
22時過ぎに帰宅した彼らがそれを見つけると、鬼のような形相で奥の部屋に飛び込んで来たのは言うまでもない。
『 ごめんなさい…!! 』
私は、繰り返し何度も何度も謝った。
何度ごめんなさいを繰り返しても、彼らの怒りは収まらない。
襟首を掴まれ床に叩きつけられる。
そして蹴飛ばされる。
髪の毛や腕を引っ張り上げ、顔や腹部を殴られる。
何度殴られたのか?
何度蹴飛ばされたのか?
何度床に叩きつけられたのか?
わからない。
数える余裕なんてない。
最後はもう『 ごめんなさい 』の声さえ出なくなる。
私と妹が声も出せず動かなくなると、彼らは吐き捨てるように言った。
『 お前たち(私と妹)なんて産まなければ良かった! さっさと死ね! 』
この言葉を聞いたとき
あぁ…もしかしたら家って『 普通 』じゃないのかも…??
だって、保育園の時の先生が言ってたもん…。
『 みんな、産まれてきてくれてありがとう!先生もみんなのパパとママもそう思っているからね!』って…。
彼らが部屋を出て行ったあと、私は隣で動けなくなってぐったりしている妹の手を握った。
私も妹も、もう声なんて出なかったけど…私が妹の手を握ると、妹も私の手を握り返してくれた。
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