◆3◆ あたしの特技と桜野さん

「こんにちはーっ!」

 放課後、あたしはある一軒家にお邪魔した。

 足を踏み入れた途端、木材のいい香りが漂ってくる。お母さんの実家みたいな、和風のお家だ。

 でもあたしは、親の実家に来たわけでもなければ、友達の家に遊びに来たわけでもない。

 だってここは——、

「おー、珠優。いらっしゃい。今日も頑張れよ」

 奥へ入っていくと、あたしのおじいちゃんの年齢と同じくらいの男性がニッコリ迎えてくれた。

 うんっと答えて、あたしは窓際の席、いつもの定位置に腰を下ろす。

 そしてカバンから、茶色いたまがたくさんついた計算道具——「そろばん」を取り出した。


 そう! ここは、あたしが通うそろばん教室。さっきの男性は、この教室の先生なんだよ。

 あたし数原珠優のが、このそろばん——珠算しゅざんなんだ。

 親も昔はそろばんをやってて、お母さんとお父さんは、なんとそろばんの大会で出逢ったらしい。それで結婚までしたなんて、ホントすごいよね。

 そんな二人の元にあたしが産まれたもんだから、あたしの名前には、珠算の「珠」って字が入ってる。もちろんあたしもそろばん好きだから、この名前は結構気に入ってるんだ。

 そろばんをイヤイヤやったこともないし、これも遺伝なのかもね。

 ちなみにあたしは二級まで取得してて、今一級合格を目指して練習中。

 あたしが受けてる試験は日本商工会議所が主催しているもので、その一級は難しいって言われてる。もちろん、合格者はたくさんいるんだけどね。

 あたしと同じ小学生でも合格してる子はいるし、あたしもきっと大丈夫。けど確実に合格するためには、やっぱり練習あるのみ!


 あたしは髪を結び直し、ついでに袖もまくった。

 机の上に一級の練習プリントを用意してから、タイマーを準備し、よしっとスタートボタンを押そうとしたところで、

「あっ、桜野さん。よく来たね」

 先生の声が耳に入り、ピタッと動きを止めた。

 い、今、なんて……?

 あたしはタイマーに手を添えたまま、ゆるゆると首を巡らせる。

 目に飛び込んできたのは、顔の横で編み込みをしてるミディアムヘアの美少女。

 ——桜野もえさんだ!

 見入っちゃうほど可愛らしい顔立ちの彼女が、先生の横に立ってる。

 思わずガタッと椅子から立ち上がった。

 な、なんで? なんで彼女がここにいるの……!?

 あたしはあんぐり口が開いちゃう。

「今日からここに通うことになった桜野さんだ。珠優、桜野さんのことは知ってるよな?」

 先生があたしを見る。桜野さんもこっちを見た。

「う、うん。知ってるよ。それに、今日あたしの学校に転校してきたもん」

 あたしはまだ口が開いたままだけど、彼女が「そろばん教室」にいること自体は驚かないんだ。


 だって彼女は、あたしと同じくそろばんの大会にも出場したことのある実力者。いつもあたしの成績と近くて、勝手にあたしがライバル視してる存在だから。


 今日学校で顔を見たとき、すぐには分からなかったけど、名前はやたらと覚えてた。

「そうかそうか。なら珠優、桜野さんに色々教えてやってな。東京に来たばっかりで不慣れなことも多いだろうし」

 先生がニコニコ、桜野さんをあたしの前に押し出した。

「数原さん。でもよろしくね」

 目の前でニッコリ笑う桜野さん。デジャヴだな……。

 彼女に握手を求められ、あたしはゆっくりと右手を体の前に持ってくる。

 そして、彼女とがっちり握手を交わしたんだ。

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