第22話 帰途の馬影
私は黒馬の背に揺られて、山道をくだっていた。
サカキのジッケンシツを辞した後、ミズキが街まで送ってくれるというので、再び馬を出してくれたのだ。
私が街に帰ると言ったとき、サカキは引きとめたそうな顔をしていたが、すぐにくるりと背を向けて「帰るとよい」と言った。
その丸まった背中がまた、私をいたたまれない気持ちにしたが、「また来ます」と言い残して、私はその場を去った。
「クロ、重いだろうけど、よろしくね」
出発する前、私が黒馬の鼻筋をなでてそう話しかけると、クロは賢そうな目で私をじっと見返した。
実のところ、こんなに間近で黒馬と触れ合うのは、初めてだった。
本気を出せば、黒馬は空を駆けるように走るという。その跳躍力は風に乗るようで、多くの動物は、人にはない不思議な力を持っているものだが、黒馬の力は特に、輸送でも戦場でも、非常に役立つと聞いたことがある。
ただ、野生種に近い黒馬は、飼いならすのが難しいため、扱える人が限られている。「山の人」がその扱いに長けているというのは、確かに聞いたことがあったが、ミズキが普通に乗っているのを見て、改めて、私は驚嘆していた。
来るときは、薬のせいでぼんやりしていたからな……。
山の人の集落を出て最初の頃は、深い森が続いた。
私もミズキも、ほとんど話さなかった。ともすれば意識が、「まれびと」と呼ばれるサカキの存在と、今朝目にしたジッケンシツの光景に戻っていった。
ニホンから来た人。私の前世の世界を知っている人。
そして、まれびとの末裔だという、山の人……。
突然知ったそれらの情報に、私の頭はかなり混乱してもいた。
やがて森の木々がまばらになってきて、山の麓と、その先に広がる平野が見えてきた。遠目に街も見えている。
山の麓には茶畑が広がっていて、馬はその間の細い道をぬって歩いていった。
やがて道が踏み固められた街道に出ると、ミズキは馬を軽く走らせた。
クロはまるで体重を感じさせない足取りで、街道を駆けていく。馬に乗り慣れない私でも苦しくない、雲に乗るような揺れだ。
しばらく進んだとき、道の先に何頭かの馬が見えてきて、ミズキは馬の歩調をゆるめた。
「あれは……警備兵?」
近づくにつれ、それが赤馬に乗った警備兵だと気づく。三人いる。
「何かあったのかな……」
「マズいな……」
ミズキがつぶやいた。緊張感が、背中越しにも伝わってくる。
向こうもこちらに気づいたのか、ぐんぐんとこちらに近づいてくる。
後から思えば、黒馬の脚力ならば、簡単に逃げられただろうに、ミズキは逃げようとはしなかった。
「動くな」
先頭の警備兵が厳しい声で言った。肩章を見ると、階級の高い軍人だということがわかる。
ミズキは大人しく馬を止めて待っていた。
後ろから来ていた二騎の警備兵は、素早い動きで左右から私たちを取り囲んだ。
正面にいる一番偉そうな兵が、慎重な声でたずねた。
「お嬢さん、名前は?」
「て、テアです」
私が戸惑いながら答えると、警備兵が深くうなずいた。
「……後ろの少年は?」
「彼は……山の人です。私を街まで——」
警備兵の目が、鋭く光ったようだった。
次の瞬間、私の言葉が終わる前に、左右から槍が伸びてきて、私の後ろに座るミズキののど元に突き付けられた。黒馬が警戒したように鼻を鳴らしたが、ミズキが手綱をぐっとおさえるのがわかった。
「ちょっ、何を———」
先頭の警備兵の馬が一歩近づいてきて、私の腕をとった。
「さあ、こちらへ。トーナ様の命で、お探ししていました」
「え? トーナが?」
「昨夜から行方不明だと、ご友人から連絡がありました。珍しい夜光石が伝書鼠により、送られてきたとも——だからトーナ様が、山の人が関与している可能性が高いと」
その言葉に、私ははっとした。
昨夜は、もしものためにと、ミズキからもらった夜光石を、モルスに送ったのだ。——そういえば、トーナにはそれが、山の人からもらった物だと、言った覚えがある。
「色々と、事情があるんです!」
私は弁解しようとしたが、相手は今この場で話を聞く気はないらしく、私は有無を言わせず警備兵の馬に移された。
「ちょっと待って、彼は——」
私の制止の言葉も虚しく、馬は踵を返して、街の方へ走り出す。
振り返ると、二人の警備兵に捕まって、ミズキが馬から引きずり降ろされているのが見えた。驚いた黒馬が後足で立ち上がって暴れている。
「ミズキ――!」
私は警備兵の手を振りほどこうとしたが、警備兵の馬は、容赦なく歩調を早め、駈歩に移る。
その激しい振動に、私は振り落とされないように、必死で鞍にしがみつくことしかできなかった。
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