第19話 鼠への言伝

 食事が終わると、私は今夜休む場所として、土間の隅に置かれた寝台をあてがわれた。

 ミズキ自身の寝室は、隣接する隣の小屋にあるらしい。 

 彼が火の後始末をして隣へ消えると、私も靴を脱いで寝台に横になった。

 固い布団は藁の匂いと、あまり使われていないのか、埃っぽい匂いがする。


 目を閉じてみるも、疲れているのになかなか寝付けなかった。

 一瞬、今なら逃げられるのではと思ったが、すぐにその考えは打ち消す。

 大体、帰り道がわからないし、彼らが私に危害を加えるつもりがないらしいことは、理解できた。

 それに……記憶の世界から来たという人の存在が、どうしても気になって、もう少し話をしてみたい、という気持ちが残っていた。


「まれびと、か……」

 私はサカキの姿を思い出す。

 ニホンから来た人。

 彼が言っているその国の景色は、私の覚えている風景と、本当に同じだろうか。

 私は目を閉じて、記憶の奥深くを探ろうとする。

 そこで私はどんな風に暮らし、何を思っていただろうか——その人生の最期は、どんな風だったか。

 だって、今私がここに生きているということは、前世の私は死んだってことだろうからね。

 断片的な光景は浮かんでくるのに、途中で靄に包まれて、どうしても最後まで思い出せない。それがもどかしかった。


 そこへ、かすかな物音がして、私は目を開いた。何かが布団の上を走ってくる。

 私が体を起こして薄暗がりの中に目を凝らすと、伝書鼠がちょこんと座っていた。


「……モルスの鼠?」


 あまりにも見慣れた、白と茶の斑の鼠。

 こんな場所にいる私のことも、見つけ出して文を届けてくれたのか。

 そのことに、私は思わず泣きそうになった。私がその小さな体を手のひらで包み込むと、鼠はキョトンとした顔で、こちらを見上げる。モルスの鼠の毛並みはやわらかで、ふわふわしていた。そのぬくもりが、優しい。


 気を取り直して、私は鼠の持ってきた文を確かめた。

 いわく。


『飯食った? 夕方、店に寄ったら閉まっていたが、どこか出かけていたのか?』


「あいつ、今日もまた来たんだ……」

 いつも通りの豪快なモルスの筆跡に、私のことを心配するような内容。

 私はまたもや泣きそうになって、服の袖で目元をぬぐった。

 幸い、携帯文箱は持ってきていたので、小さな紙と鉛筆を取り出して、返事を書こうとして、手が止まる。


 今の状況を伝えたら、モルスはきっと、ものすごく心配するだろうな。

 山の人の集落に連れてこられたなんて言ったら……どうなるだろう。私の居場所を探そうとするだろうか。警備兵に伝える? そうしたら、この集落に警備兵が乗り込んでくるだろうか。

 その光景を想像して、私は頭を振った。

 自分と奇妙なつながりがあるらしい彼らとの関係を、今は壊したくなかった。

 もっとまれびとや異界のことを知りたい、という気持ちもある。


『トーナのお屋敷に行ってたのよ』


 私はそう、事実だけを書いた。

 それから、ふと思いついて、付け加える。


『この石を、トーナに』


 私は首にかけた赤い夜光石をはずし、革ひもをはずして石だけを鼠の背負い袋に入れた。

「重いけど、ごめんね」


 携帯文箱に入れていた鼠用の木の実は、最後のひとつだった。

 私はそれをモルスの鼠に渡して、言伝をモルスに届けてくれるように頼んだ。

 鼠はトコトコと走り出して、ふっと闇の中に消えていった。



 その夜は、うつらうつらしては、また目が覚める、ということを繰り返した。

 やがて、長い夜が明けてきて、辺りが明るくなってくる。

 私はこれ以上眠るのを諦めて、寝台の上に体を起こした。


「もう起きていたか」

 

 声に振り返ると、ミズキが部屋に入ってくるところだった。

 短い髪には寝癖がついている。

 彼も寝起きのようだ。


 ミズキは囲炉裏に向かって、火をおこしはじめた。

 その間に、私は手洗いを借りて手早く身支度をした。

 水をためた水瓶が外にあって、そこで顔を洗っていると、集落の人が遠巻きにこちらを見ていることに気づく。


「まれびとだ」

「ミズキが見つけたらしい」

「サカキ様はなんとおっしゃっているのか?」

 そんな声が聞こえるようだ。

 私はその視線から逃げるように、あわてて家の中に戻った。


 ミズキが囲炉裏に向かって朝食の準備をするのを黙ってみていると、家の扉が開いて誰かが入ってきた。

 どこか見覚えのある、壮年の男性。

 背は高くないががっしりとしていて、よく日に焼けた肌をしている。

「……薬草師さん」

 彼は、昔からうちの薬屋に生薬を納めてくれる薬草師だ。それで、ミズキの父親が薬草師だったことを思い出す。名前は確か……ナギさんだ。


「椿屋のお嬢さんではないか……まさか、噂のまれびとは、この子だったのか?」

 ナギさんも私が誰かすぐに気づいて、ミズキに問いただした。

 ミズキが気まずそうに、目をそらした。

「まれびとでは、なかった」

「なんと」

 ナギさんは困ったような顔をして、私とミズキの顔を見比べる。

「サカキ様は?」

「落胆しておられた」

「……そうだろうな」

 ナギさんは私に向かって、頭をさげた。

「お嬢さんには、申し訳ないことをした。後で、倅に街まで送らせますので」

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