第18話 山の人の起源

 異界から来た、まれびと。

 

 その言葉で、昨夜観た影絵芝居を思い出す。

 神話の英雄が、異界からやってきた「異人まれびと」の賢者に助けられるという筋書き。

 この地域の人間なら、誰でも知っている有名な物語だ。

 

 このサカキという名の男の人が、「異人まれびと」ということ?

 そして、その異界というのが、私が前世で生きていた「ニホン」という国?

 私は、囲炉裏の前に座る男を改めて見やった。

 肩まである半白の髪に、伸びたひげ。肌の色は黄みがかった白で、目は黒い。正直に言って、とりたてた特徴もない、くたびれた男のように見えた。


「では、君はここで生まれ、育ったというのか」

 サカキがしわがれた声でたずねた。

 私はこくりとうなずく。

 サカキは乾いた笑い声を立てた。

「ミズキの話を聞いて、やっと同胞が現れたと喜んだが……ぬか喜びだったようだな」

 サカキは、はたから見て気の毒になるくらい、落胆している様子だった。

 私は何かかける言葉を探した。

 せめて、前世の言葉で話しかけられたら……と思ったが、言葉が出てこなかった。聞けば意味はわかるものの、私にとって、ワ語もニホン語も、遠い世界の言葉だった。


「少し、考えたい……ひとりにしてくれ」

 サカキという男が、しわがれた声でそう言った。

 私がミズキの顔を見ると、ミズキは黙ってうなずいた。

 私たちは、うなだれているサカキを残して、彼の家を後にする。


 黒馬は、家の外で大人しく待っていた。

 ミズキは馬の手綱をひいて歩き出す。私はその半歩後ろをついていった。

 しばらく歩いて、ミズキは別の家の敷地に入っていった。

 黒馬を軒下につなぎ、家の扉を開いて私に中に入るよう身振りで示した。

 私が、また先ほどのサカキのような人が中にいるのではと、入るのを躊躇っていると、ミズキがそれを察したのか「ここは俺の家だ。親父は隣でもう寝ているし、他には誰もいない」と言った。


 家の中には、やはり同じように土間に囲炉裏がきってあり、ただ、先ほどのサカキの家とは違って、炎は落ちて熾火がかすかに燃えているだけだった。

 ミズキは慣れた手つきで薪を動かして、熾火に息をふきつけ、囲炉裏の火を盛り返した。

 ぱちぱちと炎があがり、家の中をぼんやりと照らす。

 どうやら、この山の人の集落には、焚火やかがり火の他には、明かりがないようだった。

 私たちは、先ほどと同じように、囲炉裏の側に置いた小さな椅子に腰を下ろした。

 

 ミズキは、囲炉裏の脇にあった鍋の中をのぞいてから、火にかけて鍋の中を温めはじめた。

「……悪かったな」

 鍋の中を木の匙でかき回しながら、ミズキが申し訳なさそうにぼそりと謝った。

「あなたが私をここに連れてきたのは、あの人のためだったの?」

「ああ。説明しても、来てくれるとは思えなかったから、乱暴な手を使ってしまった……サカキ様は——まれびとは、俺たちワ族にとって、神の使いだ。彼の望みは、なんとしてでも叶えないといけない」

 ミズキの語った言葉は、私にはあまりぴんとこないことだった。

「まれびとが、神の使い……」

 物語でも、英雄を助ける賢者だったし、特別な人なんだろうけれど……。

 でも、物語ではなくて現実に、そんな人がいるのだろうか。


 ミズキが、鍋の中の汁物をお椀についで、私に渡してくれた。

 キノコと山菜が入った汁のようだ。正直、今まで空腹を感じる余裕などはなかったが、いい匂いが鼻をくすぐると、食べてみようという気になってきた。

 暖かい汁が胃の腑に落ちていくと、急に体の力が抜けて、ほうっとため息がもれた。突然、ひどい疲れを感じた。それもそのはず、今日の夕方から、ずっと緊張と不安が続いていたから。

 だけどそれ以上に、私の頭には疑問が一杯で、ミズキに説明してもらわないといけないことが、山ほどある。

 何しろ、今の状況を作った直接の原因は、彼なのだから。 


「ひとつ、聞いていいかな」

 私は先ほどから気になっていたことを口にした。

「どうして、ワ語と異界の言葉が、同じなの?」

 ミズキも汁物をすすっていたが、私の質問に、食べるのを止めて椀を下におろした。

「……お前、やっぱりワ語が——いや、ニホン語が、わかるんだな」

「そうね。さっき、思い出した」

「正確には、違うところも多いが、確かにワ語と、サカキ様の話す言葉は似ている。それはおそらく、俺たちがそもそも、まれびとの末裔だからなんだと思う」

「まれびとの末裔? どういうこと?」

「俺たちの祖先は、異界から来たと言われているんだよ」

 それは、にわかには信じられないことだったが、言葉が同じということが動かぬ証拠だった。

 私だって、前世の異界のことを覚えているのだから——もしかしたら、異界から来た人がいても、おかしくないのかもしれない。

 それこそ、あのサカキという人のように。


「もしかして、あなたも——異界から来たの?」

 私の質問に、ミズキは頭を横に振った。

「いや。俺はここで生まれた。この集落では、サカキ様の他には、異界から来た人間はいない」

「そうなのね……」

 私は囲炉裏の角向かいに座るミズキを眺めた。

 山の人の肌は浅黒く、顔は彫りが深い。確かに、見た目はあまり、サカキや記憶にあるニホンの人とは、似ていないようだった。もしかしたら、他の民族の血も、混じっているのかもしれないな。


「信じなくてもいいぞ。他民族のものには、理解しがたい話だろう」

 ミズキは再び汁をすすりながらそう言ったが、私は頭を振った。

「信じるよ。私だって、似たようなものだから」

「……そうだな。異界の記憶があるというのなら——ある意味お前は、俺たち以上に、ワ族の起源に、近いのかもしれないな」

 

 全く共通点のないはずの私と彼らに、奇妙なつながりがあるということが、とても不思議な感覚だった。

 

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