第15話 不穏な黒い馬
「テア、ありがとうね」
「少しでもトーナの役に立てれば、私も嬉しいよ」
半刻ほどトーナの話を聞いて、私はトーナのお屋敷を辞することにした。
話を聞いたからといって、トーナの直面する問題がすぐに解決するわけではないけれど、今何を感じ、何を望んでいるかを整理することで、納得のいく選択をする助けになると、私は思っていた。
屋敷の外に出ると、すでに日が傾いて、空はやわらかい夕暮れの色に染まっていた。
トーナに見送られて、広い庭園を横切りお屋敷の門まで向かう。
「その首飾り、素敵ね」
並んで歩きながら、トーナが私の首にかかった夜光石の首飾りに目を止めた。
「赤く光る夜光石なのよ」
「あら、珍しい。モルスにもらったの?」
「もう、何でもかんでも、モルスに結び付けないでよ。これは、山の人の薬草師さんからもらったの。彼ら、珍しいものを知っているから」
「そう、山の人……」
トーナはふっと真面目な顔になって、赤い夜光石を見つめた。
「テアは、もっとモルスを大切にした方がいいと思うわ」
トーナに言われると、私も強く言えず、ぐっと黙ってしまう。
自由な恋愛がしにくい立場の彼女からすると、もしかして私は、すごく贅沢なことをしているのかもしれないな。
「わかっているわよ。あいつがいいヤツだってことくらい」
「それに、あんなにテアのことが好きな人、他にいないと思うわ」
「なっ……」
昨日のことを思い出して、私はほおに熱がのぼるのを感じた。
思わず手のひらでほおをぺしぺしと叩く。
「あいつは、妹の面倒を見るような気持ちで、私にかまっているのよ」
「そうかしら」
トーナは上品に手を口元に添えて、ふふっと笑った。
私はトーナと別れると、馬車は使わず歩いて帰ることにした。
ここから家まで少し距離はあるが、歩けないわけではないし、完全な夜までにはまだ間がある。
高級住宅街を抜けて、雑然とした通りに戻ってくると、人や車が増えてくる。
ちょうど、仕事を終えて帰宅する人たちが多い時間帯だ。
私は混雑を避けて、人通りの少ない道を選んで歩いた。
そのとき、後ろから馬の蹄の音が近づいてきた。
カッカッカッ、と軽い速歩で路面を打つ音。
振り返ると、黒い馬にまたがった人が路地の向こうからやって来る。
「黒馬……警備兵かな?」
街で見かけるのは、ほとんどが大人しく扱いやすい赤馬だ。
長角種の黒馬は、力が強く足も速いが、気が荒いので、使役用としてはあまり好まれなかった。
私は馬とすれ違うために、道の端へ寄って立ち止まった。
黒馬はあっという間に私のいる場所へやってくると、急停止する。
「え……何?」
馬の鞍にまたがっていた人が、ひらりと身軽に飛び降りた。
黒い服を身にまとい、口元を布で覆っているので顔はよく見えないが、服の袖に入った赤い刺繍で、山の人だなと気づく。
山の人が、私に何か用?
混乱している私の間近で、黒馬がブルル……と荒い鼻息をついた。その額には細長い角が生えている。角を焼いていない、野生種に近い馬。
警戒して私が身を固くしていると、ふいに後ろから、声がかかった。
「テア」
振り返ると、そこには若い男が立っていた。
黒馬の男と同じように、口元を布で覆っているが、彼がちょっとだけ布を下げて顔を見せたので、ミズキだとわかった。
手には小さな香炉をさげており、かすかに煙の臭いがする。
「ミズキ……どうしたの、こんなところで」
「あんたを探していた」
「この人も、あなたの知り合い?」
私は低い声でたずねた。
何か様子がおかしいのは、聞かなくてもわかる。
ミズキは私の問いかけには答えず、ただ一言告げた。
「一緒に来てほしい」
「……意味がわからない」
私は逃げようと素早く辺りを見回したが、小道で男二人に挟まれていて、とても逃げられそうにない。
「ミズキ、人が来る。急げ」
馬の男が警告した。
「テア、悪い。後で説明する」
ミズキが私の腕をつかみ、手にさげた香炉を私の顔に近づけた。
甘い匂いの奥に、つんとする刺激。
私はミズキの手を振り払おうとして、力が入らないことに気づく。かすかに指先が痺れている。そこでやっと、煙になにか薬が含まれているのだと気づいた。
喉の奥がきゅっとしまり、恐怖が背中をのぼってきた。声を出そうとするが、それもかなわない。
足の力が抜けてへたり込みそうになったところを、ミズキが脇の下に腕を入れて、私の身体を支えた。
「ミズキ、お前が連れていけ」
「わかった」
馬の男に手綱を渡され、ミズキは身軽に馬に飛び乗った。続いて馬の男が私を下から押し上げ、私は抵抗も出来ないまま、馬上に引き上げられる。
「しばらく辛抱してくれ」
ミズキは片手で手綱を握り、片腕で鞍の前に座る私の身体を押さえた。
「お願い、降ろして」
私は懇願したが、ミズキは答えず、馬を歩かせはじめた。
はじめはゆっくりと、やがて大通りに出ると速歩に移り、素早く街を抜けていく。
私は意識がぼんやりとする中、馬の揺れと蹄の音、そして私が落ちないように支えるミズキの腕の力を感じていた。
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