第13話 領主補佐官の屋敷
その日の午後、私は早めに店を閉めることにした。手持ちの中で一番上等な服に着替えて、外に出る。
通りで乗合馬車をつかまえて、先客の隙間に滑り込んだ。
馬車はがらがらと音を立てて、街の中心部のほうへ向かった。
私がやってきたのは、街の有力者や金持ちが多く暮らす区画だ。
領主の館が丘の上にあって、その周りを取り囲むように、立派なお屋敷が並んでいる。
私はその中の一軒、頑丈な石垣に囲われた、とりわけ壮麗な屋敷の鉄門に近づいた。門の脇に立つ警備の門番が、私の顔を見て、相好を崩した。
「よう、テアか」
「こんにちは」
私は顔なじみの門番に挨拶をする。
「今日はクロトン様にご用があって来ました。事前に、鼠で了承はいただいています」
「ああ、ご主人様から聞いているよ。執事が迎えに来るから、ちょっと待て」
やがて、門の向こうに、ピシッとした背広を着た初老の男性が現れた。
門番が門を開けて、中に通してくれる。
執事に先導されて、私は広い庭を通り抜け、お屋敷の中へ入っていった。
天井が高くて、床はピカピカに磨き上げられた黒木だ。壁には、緻密な文様の織り出された織物がかかっている。
いつ来ても、ちょっと気後れしてしまう荘厳さ。
私はできるだけ音を立てないよう歩きながら、執事の後についてお屋敷の二階へあがっていく。
その途中で、執事がふと振り返って私に声をかけた。
「トーナ様も、テア様にお会いになりたいとおっしゃられていました」
「わかりました。用事が終わったら、トーナ様のお部屋に伺います」
そう、ここはトーナのお屋敷だった。
正確に言えば、領主の弟君であるクロトン様の邸宅ということ。
クロトン様は領主の補佐官でもあり、この街では領主に次いで力のある人物だ。
本当なら、私のような庶民が出入りできる場所じゃないけれど、父が昔からここに薬を納めていた関係で、懇意にさせてもらっていた。
父はただ薬を届けるだけではなく、よくクロトン様の話を聞いたりもしていた。
薬を扱っていると、病のことにも詳しくなるから、健康のことで不安があると、クロトン様はよく、父に相談していたのだ。
その流れで、歳の近い私とトーナも仲良くなって、今でも「お友達」として、親しくしてもらっていた。
二階の廊下奥の部屋までくると、執事がコンコンと扉をノックした。「入れ」という声を聞いて、執事はうやうやしく扉を開き、私に入るよう促した。
私は少し緊張して背筋を伸ばし、声をかけた。
「失礼します」
一礼して、そっと部屋の中へ足を踏み入れる。
ここは屋敷の主人の執務室だ。
入って正面に、大きな執務机があり、その向こうに、半白の髭をたくわえた恰幅のよい男性が座っている。
トーナの父親で、この屋敷の主でもあるクロトン様。
「例のものをお持ちしました」
「うむ。そこに座りなさい」
執務机の脇にある、小さな長椅子に通される。
背の低いテーブルを挟み、向かいあって座ると、私は懐から布に包んだ陶器の小壺をとりだした。
「質の高い
これは、昨日ミズキから買った熊の胆を、服用しやすいように粉末にして、その一部を壺に詰めてきたものだ。
「胃腸の調子が悪いときに、熊の胆はよく効きます」
「それは有難い。どうも最近、胃が悪くてな」
クロトン様は腹をさすりながらうなずいた。
「トーナ様からも、クロトン様は大層お忙しいと聞いております」
私が言うと、クロトン様は苦笑した。
「来月、近隣の領主が集まる、大きな会議が開催されるのでな。その準備でもう、目が回るほどだ」
「領主様の筆頭補佐官であられますものね」
「兄は、細かい仕事が苦手で、すべて私に押し付けてきよるのだ」
クロトン様がため息とともに愚痴をもらす。
私は相づちを打ちながら、それを聞く。
誰でもたまに、弱音を吐きたいときもある。そうしたとき、私たちのような、政治的に関係のない人間が、聞き役としてちょうどよかったりするのだ。
「胃が悪いというのは、疲れがたまっておられる兆候ですので。ときどきは、息抜きをされるのも、大事かと存じます」
「そうだな。お主の父親にも、よく言われる」
話をしながら、クロトン様は手形に額面を記載し、さらさらと署名した。
その額、20万エン。
まだあと4壺あるから、全部売ったら、十分に利益が出そうね。私は顔色を変えずに素早く計算して、妥当な額であることを確かめてから、謹んで手形を受け取った。
「後で、娘のところにも寄ってくれ」
「ええ。そのつもりでおります」
「最近、よい縁談が来ておるのだが、娘が渋るのだ。何が不満なのか聞いても、私には本音を話さぬ。お主のことは信頼しておるようだから、それとなく聞き出してくれぬか」
クロトン様は、厳格な補佐官の顔から、娘を心配する父親の顔になって、そう私に頼んだ。クロトン様は、末娘のトーナには甘いところがあるのよね。
「承知しました」
私は深々と礼をして、クロトン様の執務室を辞した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます