第10話 お嬢様と影絵芝居
両替商を後にした私は、スリに遭うこともなく店に帰ると、金貨を鍵のかかる頑丈な金庫にしまった。
その後は、いつも通りの店番をする。ときどきお客さんが来て、その対応をして。
日が落ちると、いつもの通りのぼりと日よけ暖簾を片付けて、店先の掃除を始めた。
私が箒を動かしていると、そこへ見慣れた人影が現れた。
もっさりとした熊みたいな男。幼馴染のモルスだ。
「よう、テア。お疲れさん」
「モルス、また来たの」
私は箒を動かす手を止めずに、ちらりとモルスの顔を見やる。
「しょうがないだろう。帰り道なんだからさ」
モルスは「代わるぞ」と言って、私の手から箒を奪い取った。
「ちょっと、掃除くらい、自分でするから」
私は抗議したが、モルスは素知らぬ顔で、掃除を始める。
「親父さんもいなくて、大変なんだろう」
「……まあね」
モルスの場合、こういうおせっかいの心理はわかりやすくて、単純に、ひとりで店番をしている私のことを、心配しているのだ。
あと、彼は四人兄弟の一番上で、昔から弟や妹の面倒を見てきたから、そういう立ち位置に慣れているっていうのもあるんだろう。人の役に立ちたい、という気持ちが良くも悪くも強い。
何はともあれ、私はそのモルスに助けられているので、素直に感謝して、今日も掃除をモルスに任せることにした。
私は店の中で、小銭の残金を数えたり、帳簿をつけたりする。
そこへ、今度は馬の足音が近づいてきて、店の前に車が停まった。
「テア、行きましょうよ」
華やかな声が聞こえて、顔を上げると、店先に綺麗な格好をした女性が立っていた。艶のある栗色の巻き髪を肩に垂らして、白い刺繍の入った紺色の服が、いかにもお嬢様風。
「トーナ、ちょっと待って。もう少しで終わるから」
そう、今夜は彼女から、芝居を観に行くお誘いをもらっていたのだ。
私は大急ぎで店じまいの作業を進める。
「あら、モルスもいたのね」
トーナがモルスに話しかけている。
「はい、お嬢様」
モルスはかしこまって、トーナに挨拶をしている。
モルスは私が相手だと、ふざけたり気安い態度をとるのに対し、トーナにはすごくきちんと対応するのよね。
それがまた、ちょっと腹立たしかったり。仕方のないことなんだけど。
何しろ相手は、領主様の弟君の娘だから。
つまりは、領主様の姪御にあたる。
小さな街だから、領主様と言っても雲の上の存在というほどではないけれど、それでもこの街の中では一番の有力者だ。
私が超特急で作業を終えて、薄手の上着をはおって外に出ると、トーナがこんなことをモルスに言っていた。
「私たち、これからお芝居を観に行くのよ。あなたも行かない?」
「えっ、いいんですか?」
一度私に断られているモルスは、勢いよく「行きます!」と答えている。
「なんで、そいつも誘うの!?」
「ね、テア。いいわよね」
「……わかった」
トーナに言われると、私も断れなくて、しぶしぶ同意した。
「テアはつれないので、俺が誘ったら断るんですよ」
ここぞとばかりに、モルスがそんな告げ口をしている。私はモルスのすねを蹴飛ばしたが、頑丈なモルスは平気な顔だ。
トーナは口に手をあてて、くすくすと笑った。
「あら、そう。テアも素直じゃないのね」
「ちょっと、そんなんじゃないから!」
私はあわてて否定する。
「ここからは、歩いていきますわ。後でお迎えをよろしくね」
「かしこまりました」
トーナが御者にそう言って、馬車を一旦帰らせた。
私とトーナは並んで歩き、その後ろを、護衛さながら、モルスがついてくる。
暗くなった通りの両側には、夜光石の明かりがともり、辺りをやさしく照らした。
「トーナは相変わらず、庶民的な遊びが好きね」
「あら、影絵芝居はおもしろいもの。私は好きよ」
領主の姪という立場でありながら、トーナは貴族ぶるのが嫌いで、私たちのような庶民とも交流するし、影絵芝居なんて地味な娯楽を好んだ。
私は父の仕事の関係もあって、子どもの頃からトーナの話し相手として、定期的に彼女のお屋敷に出入りしていた。
大きくなってからも、トーナは私を「お友達」と呼んで、仲良くしてくれている。
しばらく進むと、通りは広場に出た。
そこには、夜店が立って、ちょっとした小物や服、食べ物屋台などが出ており、広場の一角には小さな舞台があった。
芝居はまだ始まっていないようで、ざわざわと人が舞台の周りを行き来し、客席は半分くらい埋まっていた。
私たちは屋台で観劇中につまむ食べ物を買ってから、舞台へ向かった。
椅子を並べただけの簡易な客席に近づくと、劇団の支配人がトーナに気づいて、すっ飛んできた。
「トーナ様、ようこそお越しくださいました」
「今日はただの楽しみで来たので、気をつかわないでちょうだいね」
トーナはそう言ったが、支配人は「さささ、こちらへ」と舞台の真ん前の一番いい席に私たちを案内した。
「こんな粗末な席で恐縮です」
「大丈夫よ。ありがとう。下がっていいわ」
「お楽しみください」
支配人は深々と礼をして、去っていった。
トーナと私は蜜のかかったナッツを、モルスは揚げ芋をつまみながら、影絵芝居が始まるのをま待った。
舞台には白い紗の幕がかかっており、後ろからかがり火で照らされている。
やがて、楽器の演奏が始まり、白幕に木や建物の影が映った。
語り部が、よく通る声で物語のはじまりを告げる。
つづいて舞台に人形の影が現れて、語りの言葉と共に、物語が進んでいく。
今日の演目は、『ショレア王子とまれびと』だった。
神話の英雄ショレア王子が、魔王にさらわれた姫を取り戻すという、古い冒険物語の中のひとつの場面だ。
王子が悪魔に騙され殺されかけたところを、異界からやってきた「
最初、ショレア王子は「
ショレア王子が騙されて殺されかけるシーンでは、手に汗握るやりとりが舞台上で繰り広げられ、影が複雑に舞台を動き回る。
「こら、なんで悪魔の言うことを信じるんだ!?」
モルスが身を乗り出して、思わず声をあげている。
私はこっそり苦笑い。
モルスはこうやって、すぐに熱くなるのよね。
トーナはと見ると、こちらも目をキラキラさせて、影絵芝居に見入っている。
やがて、一度退けられた異人の賢者が戻ってきて、すんでのところで悪魔の言葉を打ち消し、王子を助けるところでは、観客がほうっと吐息をついた。
「あー、おもしろかった」
舞台が終わって、観客がバラバラと立ち上がるのに合わせて、私たちも立ち上がった。
「テア、ありがとうね。お父様も、テアが一緒なら夜遊びしても怒らないのよ」
トーナがそう私に向かって言った。私はおどけて、深々とお辞儀をした。
「信頼していただいて、光栄なことです」
「テアはお友達だもの」
トーナは高貴な身分なのに、純粋なのだ。
ときどき、危ういくらいに。
広場の入り口に戻ると、トーナの馬車が迎えに来ていた。
送ってくれると言われたが、近くだからと断った。
だって、トーナの高級馬車に乗せてもらうのは、気が引けるからね。
「夜道は危ないわ」
トーナは眉を曇らせた。
「まだそんなに遅くないし、平気よ」
「そう。ではモルス、テアを家まで送ってあげて」
「もちろんです」
なんでこいつに、送ってもらわないといけないの。子供じゃあるまいし。
そう思ったが、トーナには逆らえず。
トーナの馬車を見送ってから、私とモルスは、夜光石に照らされた道を歩きだした。
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