第9話 両替屋の番頭さん

 今日も気持ちのいい春の陽気。

 お昼ごろにいったん店を閉めて、私は両替屋へ向かった。

 天気が良いからか、道行く人も多い。

 がらがらと音を立てて、赤馬の曳く乗合馬車がテアを追い越していく。


 しばらく歩いて、私は隣の通りにやってきた。

 その一角に、両替商や金屋の集まっている区画があって、その中のひとつが、うちでいつもお世話になっている両替屋『玉木屋』だ。

 間口の狭い細長い建物に入ると、奥に机がひとつあって、そこにはいつも玉木屋の番頭さんが座っている。


「こんにちは」

 私は番頭さんに挨拶した。彼は枯れ木のように痩せて背の高い人で、眼鏡をかけている。

「おや、テアじゃないか。親父さんのお使いかい?」

「父は今、仕入れの旅に出ているんです」

「そうか、もうひとりで店を預かれるようになったんだな」

 番頭さんは、私が子どもの頃からこの玉木屋で働ているから、私のことをなんとなく、まだ子ども扱いするのよね。

「私ももう二十歳だもの」

 これでも、小さいころから父の仕事の手伝いをしてきたから、基本的なことは理解しているつもり。

「二十歳なんて、まだまだ若造だな」

 番頭さんはふんと鼻を鳴らしてそう切り捨てる。

 この人はいつも、こういう物言いをする。

 悪い人じゃないんだけどね。


 私は預り手形を出して、50万エン引き出したい旨を伝えた。

「手形を出した方が、いいんじゃないか?」

 わざわざ現金をやりとりしなくても、と番頭さん。

「熊の胆が入ったんですよ。相手が『山の人』なので」

 私がそう言うと、番頭さんは「なるほど」と状況を理解して、すぐに額面の金貨を用意してくれた。


 現金を持ち歩かなくていい手形は便利なのだが、両替商は「山の人」との取引を嫌がるところもあるし、「山の人」も現金での支払いを希望することが多いのよね。

 だからうちでは、山の人への支払いはすべて、現金ですることになっていた。


 私は金貨を数えて、間違いないことを確かめると、素早く布で包んで、それをさらに巾着の中に入れてしっかりと口を縛り、懐深くに入れた。

「あんまり、懐を抱えたり、キョロキョロしたりするなよ。いかにも怪しい」

「そんなことしませんよ」

「どうだか。油断していると、スリのカモになるぞ」

「わかってます」

 番頭さんはくどくどと、忠告をしてくる。

 それを適当に受け流す私。

 

 こういうとき、ふと相手の心の内を考えたくなる。

 は、人の話を聞いては、その人の奥にある無意識の心理を考えて、それを伝えたり、どういう風にすればいいか提案したりしていたから。たぶん、その癖が残っているのかもしれない。

 覚えていることも、忘れていることもあるから、そんなに深く、わかるわけではないけどね。


 私は、番頭さんの小言を聞きながら、その痩せてしわの刻まれた顔を眺める。

 なんでこの人は、こんなに忠告したり、厳しいことを言ってくるのかなと。

 

 もしかしたら、番頭さんもそんな風に、誰かからくどくど言われて育ったのかな。それとも、番頭さん自身が日々盗人を警戒しながら暮らしているから、ついつい、他の人にもそれを言ってしまうのかな。


 いつもなら、あまり深堀りをしないのだが、今日はなんとなく、いろいろ聞いてみたくなって、私は質問を投げかけた。

「番頭さん、両替屋のお仕事って楽しいですか?」

 全く予想もしていなかったのだろう。私の問いかけに、番頭さんは目を瞬かせた。

「藪から棒になんだ?」

「そういうお話、聞いたことなかったなと思って」

「聞かれたことはないだろうな」

 番頭さんはそう言って、あごを撫でて遠い目をした。

「どうだろうな。もうかれこれ、三十年になるな。こんなに長く、働くつもりもなかったんだが。まあ、金の動きから世の動きがわかるのが、楽しいと言えなくもない」

「三十年も続けられるというのは、やっぱり好きだからですか?」

 私がさらにたずねると、番頭さんは渋い顔をして、肩をすくめた。

「好きと言うよりも、うちの大旦那が厳しくて、必死で続けてきたというほうが、当たっているだろうな」

 その言葉で、そういえば昔、番頭さんがまだ若い頃、玉木屋の大旦那様にこっぴどく怒られていたのを思い出した。

「昔は、番頭さんも怒られてましたよね」

「そりゃあもう、しょっちゅうな」

 番頭さんは腕を大きく広げて強調した。

「嫌になって、辞めようと思ったりしなかったんですか?」

「そう思うこともあったがな。大旦那が厳しいのも、俺らを思ってのことと気づいてからは、感謝するようになったな」

 おかげで一人前になれたからな、と番頭さんはうなずいた。


 なるほど……なんとなく、番頭さんの背景が少しだけわかった気がした。

 厳しさは愛情の裏返し、という体験があったから、きっと彼も、私のような若い人を見ると、親心でいろいろ言いたくなってしまうのかな。

 それが彼の、人を気にかける方法なのだろう。

 そうやって思えば、ちょっとは小言も素直に受け取れる気がしてきた。

 まあ、うるさく言われるのは、私はあんまり好きじゃないけどね。


「ほら、こんなところで油を売ってていいのか? 店番はどうした?」

 また番頭さんの小言が始まった。

 だけど、私がそれに対してにっこり笑顔を返したから、番頭さんはぐっと言葉に詰まった。

「気にかけてくださって、ありがとうございます」

 私が礼を言うと、番頭さんは明らかに気まずそうな顔をした。

「……いや、あれこれ言って、悪かった」

「いえいえ。帰りますね」

「気をつけろよ」

 最後まで、番頭さんは忠告をやめなかったが、少しだけ、声がやわらかくなった気がした。

 私はぺこりと一礼すると、いつもより少しだけ周囲に気をつけて、急ぎ足で店へ戻った。


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