第8話 秘薬と赤い石
朝市の買い物を終えて店に戻ってくると、私は開店作業を始めた。
紺色に白字で『各地の薬種あり〼』と染め抜いたのぼりを出して、日除け暖簾をかける。
それから、店先を掃き清め、棚の商品を整える。
うちの店では、木の根や皮、木の実や種、乾燥させた葉や茎といった生薬に、それらを調合した煎じ薬や、丸薬、油で練った軟膏、薬草酒など、各地のありとあらゆる薬種を扱っている。
これらは、地元の薬草師から仕入れたり、全国を回って買い付けてきたものだ。
今、父と母は仕入れの旅に出て不在。
だから、私がひとりで店番をしているってわけ。
そこへ、店先に人影が現れて、私は振り返った。
黒い着物をまとい、足に脚絆を巻いた少年が立っていた。浅黒い肌に、服の袖や襟に入った赤い刺繍で、「山の人」だとすぐにわかる。背には竹で編んだ大きなかごを背負っていた。
「あれ……昨日の?」
私は彼の顔を見て、昨晩、うちの前で喧嘩に巻き込まれていた人だと気がつく。
そう……ミズキという名だったはず。
「どうも」
ミズキは軽く会釈して、背負ったかごを地面に降ろした。
「薬を届けにきた」
「えっ、ありがとう! お父さんが薬草師だって言ってたけど、あなたもそうだったの?」
「親父が足を怪我したので、代わりに来ただけだ」
ミズキは淡々と説明した。
「怪我? 歩けないくらいひどいの?」
「ちょっとな。しばらく前に、熊とやりあったから」
「熊!?」
私はぎょっとして声をあげてしまう。
そう、山の人は狩猟用の犬を飼い、山で動物を狩る技に長けていることでも有名だ。私たちからすると信じられないけれど、山の王と言われる熊までも、平気で狩ってしまうから、恐ろしい。
薬草師さんが来るのはひと月に一回ぐらいだから、彼の父親が怪我をしたことは知らなかった。
「だから、今日は貴重な薬がある」
そう言ってミズキが取り出したのは、手のひらサイズの黒い塊。平たい袋状になっていて、口を麻ひもでしばってある。
「
これは、貴重な薬種だ。ものすごく苦いが、秘薬と言われるくらい、特別な効能がある。あまり手に入らないから、いい値がつくのよね。
彼のお父さんは、怪我はしたが、熊は仕留めたということなのだろう。
「とりあえず、中に入って」
店先でこんな貴重品のやり取りをするのは、だいぶ危険だ。
私は彼を奥の座敷にあがらせた。
「ちょっと待っててね」
店の奥から、生薬の種類と今年の値段をまとめた帳簿をもってきて、その中から「熊の胆」を探した。
「等級は……」
黒い塊の色や乾燥具合を確かめて、よい状態の品であることを確認する。
私は小さな
「7
「わかった」
ものすごい高額を耳にしても、ミズキは顔色ひとつ変えず、うなずいた。
熊の胆を持ち込む人は、だいたい値段を聞いて、にこにこするんだけどな。
なんというか、淡々とした人ね。
「他にも生薬がある?」
私がたずねると、ミズキはかごの中から、何種類かの木の根や種、乾燥させた薬草などをとりだした。こちらは、定期的に納めてもらっている、普通の生薬だ。
それもさっと値を計算して、代金はその場で払った。
薬の取引が終わった後、ミズキはためらいがちに何かを懐から取り出した。
「……それと、これは昨日の礼だ」
彼が差し出してきたのは、白っぽい丸い石。
「あ、もしかして、夜光石?」
私は受け取りながら、ぴんときてたずねると、ミズキはうなずいた。
「滅多に出ない、赤く光る石だ」
手のひらで石を覆うと、石はぼんやりと赤っぽい光を放った。
「わあ、きれいね」
夜光石は普通、緑か青に光るものが多い。
赤く光るのは、かなり珍しいはずだ。
「これ、どうしたの?」
「洞窟に入ったときに、見つけた」
「こんな珍しいもの、私がもらっていいの?」
「俺が持ってても仕方ない。昨日は手当てまでしてもらったしな」
なるほど、淡々としてるけど、案外律儀なんだな。
「大したことしてないのに。でも、ありがとう」
素直に礼を言って受け取ると、ミズキは無表情に目をそらした。
「じゃあ、明日また来る」
ミズキは空になったかごを背負って、立ち上がった。そこで私はふと思いついて、あわてて彼に声をかけた。
「そうだ! 『鼠』の匂い交換しときましょうよ。店を留守にするときもあるから。来る前に連絡をくれたら、いるようにするわ」
「わかった」
断られるかと思ったが、彼は案外普通に、提案を受け入れてくれた。
私は「ちっちっ」と舌をならして、自分の鼠を呼んだ。たぶん、その辺で遊んでるはず。
すぐに、どこからともなく、小さな鼠がチョロチョロと姿を現した。私が鼠の前に手を差し出すと、慣れたように手のひらの上に乗る。
背中が灰色で、お腹の白い、尻尾の短いタイプの鼠だ。私はマメちゃんと呼んでいる。
一方、ミズキは懐から、丸まっている黒鼠を取り出した。どうやら眠っていたようで、主に起こされて、ぼんやりと薄目を開けて口をもぐもぐさせている。
私たちは、それぞれの鼠を交換して、手のひらにのせた。こうやって相手の匂いを鼠に覚えさせておくと、後で手紙を送るとき、間違えずに届けてくれるのだ。
ミズキの黒鼠は、目が覚めてくると活発に動き出して、私の肩の上によじのぼった。
くりくりとした目が、いかにもやんちゃそうだ。
「この子、名前は?」
「……特にない」
あら、名前をつけないなんて、やっぱり淡白なのね。
「この子は、マメよ」
ミズキの手の上で大人しくしている自分の鼠を指して、私はそう説明した。
「そうか」
ミズキはつぶやいて、私の顔を見た。
彼の目は何か聞きたそうにしている気がしたが、結局帰るまで、何も言わなかった。
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