第7話 朝市と饅頭
翌朝早く、私は店を開ける前に、かごを背負って朝市に出かけた。
食糧調達のためだけれど、そうでなくても、私は市場のにぎわいが好きだった。
その中でも朝市は楽しい。
私は軽い足取りで、石畳の通りを歩いていった。
途中で細い路地を通って近道し、隣の通りに出ると、急に人や車が増えて、道がごった返してきた。市場が近い印だ。
朝市は、川に沿って立つ青物市だった。
近隣のお店や農家の人が、朝早くに農産物などを持って集まり、昼前には解散する。
地面に敷かれたござには、季節の野菜に果物、産みたての鶏の卵、獲れたての魚なんかが並んでいる。
売り子の中には、珍しい山菜やキノコを売りに来た「山の人」も混じっている。女の人は、頭に赤い刺繍をした黒い布を巻いていて、ひと目で「山の人」だとわかるのよね。
あとは、蒸したての饅頭とかちょっとしたお惣菜もある。
見ているだけで楽しい。
「お嬢さん、このカンの実、甘くておいしいよ」
山積みにされたオレンジ色の柑橘を眺めていると、売り子のおばさんが声をかけてくる。
私が思わず足を止めると、おばさんは素早く、果物ナイフでカンの実を半分に切って、私に渡してきた。
「ほら、味見してごらん」
「いいんですか?」
遠慮なく、ぷるっとしたオレンジ色の果肉を口に含むと、甘酸っぱい味が口に広がった。鼻にぬける爽やかな香りがたまらない。
「おいしい!」
私が歓声をあげると、おばさんはここぞとばかりに、「ひと山、200エンよ」と売り込んでくる。
うーん。200エンなら安い。買っちゃおうかな。
おばさんの上手な営業にまんまと乗せられて、「ひと山ください」と私が言うと、おばさんは満面の笑みで「まいど~」と。
さっそく背負いかごをずしりと重くして、私はさらに朝市を見て回る。
朝早いのに、なかなかの賑わいで、ときどき荷を背負ったロバにもすれ違う。ロバは哀しそうな目をして、黙々と重い荷を運んでいた。馬に比べて小さいけれど、力が強いから、荷役にはロバがよく使われるのだ。
ちなみに馬は、急ぎの移動で重宝される。街で見かけるのは、角が短くて比較的おとなしい、赤馬がほとんどだ。
私はさらに、卵をいくつかと、青菜を一束、それに、青唐辛子をひとつかみ買った。
それから朝ごはんにと、朝市のすぐ側で店を出している、顔なじみの饅頭屋に寄った。店先には巨大な蒸籠が置いてあって、ふたを開けると、もうもうとした湯気をまとって、おいしそうな蒸し饅頭が並んでいる。
「おじさん、白饅頭をひとつね」
白饅頭は、ふわふわとした餡のない饅頭だ。そのまま食べてもいいのだが、半分に切って間に厚切りのハムを挟むのが、この店の看板メニュー。ちなみにこのハムも自家製で、肉のすり身に香辛料を混ぜ込み、葉っぱに包んで蒸したもので、これがまた、おいしいのだ。
饅頭屋のおじさんが、紙に包んで、まだ暖かい饅頭を手渡してくれる。
「テアは本当に、これが好きだね」
実は、ここ数日、毎朝この饅頭を買っていた。
「だって、おじさんのは特別おいしいもの」
「おや、嬉しいことを言ってくれるね。よかったら、そこの席で食べていきな。サービスで珈琲を出すよ」
「やった、ありがとう!」
店先には背の低い座卓と木の椅子が二組ほどあって、買ったものを座って食べられるようになっていた。
私は買い物かごを下ろすと、小さい椅子に座って、温かい饅頭をほおばった。
「これこれ。やっぱりおいしい!」
ほんのりとした饅頭の甘みに、香辛料がきいたハムのしょっぱさが、絶妙な組み合わせだ。ちょっとだけ挟んだ瓜の甘酢漬けが、またいい仕事をしている。
私が饅頭を堪能していると、おじさんが、小さなカップに入れた濃い珈琲を持ってきてくれる。
「練乳は少なめが好きだったね」
「さすがおじさん、覚えてくれてたのね」
スプーンで珈琲をかき混ぜると、底から練乳があがってきて、真っ黒だった珈琲がやわらかい茶色に変わる。
練乳で甘くした濃い珈琲をくっと飲むと、しゃきっと目が覚めるのよね。
客が途切れたので、おじさんも店先の椅子に座って休憩し、大きめのカップで茶をすすった。
「親父さんは、仕入れに行ってるんだって?」
「そうなのよ。誰もいないから、私が店番」
「テアは、ひとりで店を預かって、偉いね」
「そんなにお客さんが来るわけじゃないもの」
それは事実で、小売りよりは卸の方が主だからね。
生薬を求めてくる個人のお客さんもいるけれど、大忙しというほどではない。
「うちの息子なんて、店を手伝う気もない」
「あら、おじさん、息子さんがいたのね」
いつもひとりで饅頭屋をしているから、てっきり家族はいないのかと思っていた。
聞いてみれば、だいぶ前に奥さんは出ていってしまって、男手ひとつで、残された息子さんを育ててきたのだとか。
「儲からない饅頭屋だから、あいつは俺に、愛想をつかしたんだろうね」
おじさんは元妻について、自嘲気味に語った。
ああ、おじさんの丸い背中に哀愁が漂っている。
半白の髪が、苦労を物語っているな。
「息子さんはもう大きいんですか?」
「テアよりいくつか、上だろうね。『饅頭屋なんか、やってられるか』と言って、外へ働きにいってしまってな。……まあ、儲からないのは事実だから、仕方ないがね」
「むしろ、安く売りすぎな気も。こんなにおいしいんだから、もう少し高くても、きっと売れますよ」
「いやいや、昔からこの値段でやっているんだ。たかが饅頭だしな」
おじさんは諦めたように頭を振った。
「おじさん、もっと自信をもってよ。私は、ここが街一番の饅頭屋だと思うわ」
本気でそう思っている私は、拳を握って力説した。
「そう言ってくれるのは、テアくらいだよ」
「もう、おじさん、信じてない」
そこへ、饅頭を買い求めるお客さんがやってきて、おじさんは話を止めてそちらに向かった。
お客さんは持ち帰りで、饅頭を八個も頼んでいた。
いわく、子どもたちが大好きなんだとか。
……ほら。おじさんの饅頭は、こんなに愛されているのに
なかなか伝わらない饅頭愛に、朝から切ない思いを抱えながら、私は立ち上がって家路についた。
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