第5話 鼠のやりとり
「あ、モルスの『鼠』が来てる」
存分に蒸し風呂を堪能した私が脱衣所に戻ると、『鼠』こと『伝書鼠』が
モルスの鼠は白と茶の斑で、見慣れている私には、ひと目で送り主がわかる。鼠のほうも、しょっちゅう私のところに来るから、すっかり匂いを覚えているみたい。私の顔を見ると、後足で立ち上がって、ちょいちょいと合図をした。
モルスの鼠は真面目で、ちゃんとお仕事するいい子なのよね。
飼い主に似たのかな。
鼠が背負った平べったい袋に、折り畳んだ小さな紙が入っていたので、それを開いて中を読んだ。
いわく、モルスの豪快な字で『飯食った?』と。
「……また、どうでもいい
その場で返事を書けば、この鼠がそのまま、飼い主のところへ運んでくれるのだが、今はその気にならなかった。
私は携帯している小袋から木の実を一粒与えて、鼠を手ぶらで帰らせた。
この『伝書鼠』は、短い手紙や言伝を相手のところに素早く届けてくれる、特殊な訓練を受けた鼠だ。大体の人は、自分の鼠を一匹は飼っていて、日常的に友達や仕事相手とやりとりをしている。
もちろん私も飼っている。
本当に重宝していて、なくてはならない存在だ。
「それにしても、あいつは本当に、めげないよね」
モルスはこうやって、鼠を使ってマメに連絡をくれるのだが、私はそれに、返事をしたりしなかったり。
ちょっと避けてみたり、でもなんだかんだ、仲良くしていたり。
幼馴染で長い付き合いだから、お互いよく知っているし、一緒にいて気楽なんだけど、最近のモルスはあやしい空気感を出してくるから、それが嫌なのだ。
変わらないでいてくれたらいいのに。
そこで、はたと気づく。
「……よく考えると、私も『回避型』?」
先ほどの恋愛相談の彼の特徴が、自分自身にも多少当てはまる気がして、ブーメランを食らった気分だった。
「いやいや、うちは両親とも元気だし、大したトラウマもないし、怖れを感じる理由が思い当たらない……」
私、面倒くさい女かな。
そう思って、ちょっとだけへこんだ。
かわいそうなモルス。
やっぱり後で鼠の返事をしておこう。
私が衣服を着て、濡れた髪を乾いた手拭いでふいているときに、今度は別の鼠がやってきた。
真っ白で毛足の長い、きれいな鼠だ。
ちなみに、この手の品種は値段がけっこうお高い。
「誰だろう、トーナかな。見たことない鼠だけど、新しく買ったのかな」
こんないい鼠を使いそうな友達は、良家のお嬢さんであるトーナくらいしかいない。
文を確かめると、きれいな字で『テア、明日の夜、お芝居を観にいきましょうよ』とある。差出人は思った通り、トーナだった。
「やった、もちろん行く!」
夕方にモルスから誘われたときは断ったが、本当は行きたくて仕方なかったのだ。しかも、トーナと一緒に行けば、いい席で観られるに違いない。なにしろ、トーナはお嬢様だから。
私は携帯文箱から小さな紙と鉛筆を取り出して、返事をしたため、鼠の背負い袋の中にしまった。白い鼠は上品に毛づくろいをしていたが、私からお礼の木の実を受け取ると、さっと走り去っていった。
この『鼠』には特殊な能力があって、ただ走って文を届けているわけではなく、途中で人間には見えない『亜空間』を経由しているらしい。だから、遠い場所にでも素早く文を届けられるのだとか。
最近の研究で、長らく謎だったその生態が、少しずつ解明されてきたと新聞で読んだ。
「そういう研究は、やっぱり王都でやっているのかな」
いいな、楽しそうよね。
私だったら、「世界をまたがって生きる」と言われる猫の研究をするな。
そしたら、前世の異世界のことも、わかるかもしれないもの。
***
風呂あがりでほっこりとした私は、涼しい夜風をほおに感じて、のんびりと帰途につく。風呂屋からうちまで、湯冷めしない距離なのもまた、頻繁に通ってしまう理由よね。
家の近くまで来たとき、夜光石に照らされた通りの向こうから、何やら騒ぎが聞こえてきて、私は足を止めた。
何人かの人影がかたまっているのが見える。
「なんだろう……喧嘩?」
嫌だな、いい気分でいるときに。
しかも、あそこはちょうど、うちの前じゃない。
私は眉をひそめ、慎重な足取りで、そちらへ近づいていった。
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