第2話 幼馴染

 日が落ちて辺りが薄暗くなってくると、私は店じまいすることにした。

 

 店先の「薬種あり〼」ののぼりを片付け、日よけ暖簾には手が届かないので、台を引っ張り出してよじ登っているところで、後ろに人の気配がした。頭上に手が伸びたかと思うと、誰かがひょいと暖簾を外す。


「背が低いと大変だな、テア」

  振り返るまでもなく、声で誰かわかって、私は言い返した。

「そっちがでかいんでしょ、モルス」

 私は登りかけた台の上に座って、背の高い男がくるくると暖簾を巻き取るのを、軽くにらんだ。

 こいつは、昔から家がご近所同士で、子どもの頃からよく知っている、いわゆる幼馴染というヤツだ。

 背が高くて体もごつく、全体的にもっさりとした寝起きの熊みたいな男。

 赤茶けた髪には、大体いつも、寝癖がついている。


 モルスはきれいに暖簾を巻くと、私の方を見てにっと笑った。

 それがなんだかムカついて、私は軽くモルスのすねを蹴る。

 モルスは蹴られても大して気にもせず、私に話しかけてきた。

「親父さん、また仕入れに出かけたんだって?」

「そう。先週から。しかも今回は、母さんまで一緒。おかげで、私がひとりで店番してるの」

「ご苦労さん」


 モルスは暖簾を店内に運び、その後、店先の掃き掃除まで手伝ってくれた。

 自分だって、仕事あがりで疲れているだろうに。

 ということを本人に言うと、「今日は昼過ぎに納品が終わったから、早めにあがれたんだよ」とのこと。

 ちなみに、モルスは家具工房で見習いとして働いている。

 

 ありがたく掃除をお任せして、私はその間に、今日の売り上げを確認して帳簿につけ、鍵のかかった引き出しの中にしまった。

「終わったぞ」

 ちょうど掃除を終えたモルスが報告にきた。

「モルス、ありがとう」

 私がにっこりと笑顔を向けると、モルスは嬉しそうに笑って頭をかいた。

 なんというか、わかりやすい男。

 ちょっとばかり悪い気がして、私は笑顔をひっこめた。

                                                                                           

 白猫のウメが「あおーん」と鳴きながら近づいてきて、モルスの足にすり寄る。

 この子は人懐っこくて、誰にでもこうやって、ご挨拶するのよね。

 モルスは相好をくずしてしゃがみ込むと、ウメの首元をなでた。相変わらずの動物好きな様子に、私はほっこりして口元をほころばせた。

「なあ、テア。前から思ってたんだが、『ウメ』ってどういう意味なんだ?」

「んー。特に意味はない」

 モルスの質問に、私は肩をすくめて適当な答えを返す。


 本当はちゃんと意味があって、「前世の私」が飼っていた猫の名前が「ウメ」だったから、その名前をもらって「ウメ」と名付けたのだ。

 あちらの世界の言葉で、花の名前だったはず。

 もはや遠い記憶で、あやふやだけど。

 ただ、覚えている風景は、今の私の周りに広がる世界とは全然違っていて、だから、前はきっと異世界で暮らしていたんだと思っている。


 前世の記憶をうっすら持ったまま、この世界に生まれ落ちた私は、物心ついて初めてこちらの世界で猫を見たとき、懐かしさのあまり、ぽろぽろと泣いてしまって、両親をびっくりさせたっけ。

 九つの魂をもつと言われる猫は、いくつもの世界をまたがって生きている、と言うけれど、それが伝承ではなく「本当のこと」だと知っているのは、私だけの秘密。

 異世界の記憶があるなんて、話しても誰も信じてくれないだろうしね。

 

 そんなことをモルスに説明する気もなくて、私は「それじゃ、晩ご飯の支度するから」と彼に背を向け、店の奥に入ろうとした。

「あ、なあ、テア」

 モルスが慌てたように呼びかけてくる。

「なに?」

 私は半身だけ振り返って、面倒くさそうな声で聞き返す。

「次の休み、芝居でも見に行かないか?」

「んー、そうね」

 お芝居かあ。今は何がかかってるんだっけ?

 実のところ、少しばかり心動かされたが、私はその気持ちを抑えて、頭を振った。

「やめとく。また今度ね」

 モルスはわかりやすく肩を落としたが、すぐに気を取り直したように、「わかった」とうなずいた。

「そうだよな。親父さんがいないし、色々忙しいよな」

「まあ、そうね」

 本当は、そんなに忙しいわけでもなかったが、そういうことにしておいた。

「じゃあな。お疲れさん」

 モルスは手をあげて挨拶すると、のんびりとした足取りで帰っていった。


 その後ろ姿を見送りながら、私は複雑な気持ちになる。 

 モルスは、私が気安く話せる数少ない男友達のひとりなのだが、ときどき一定以上近づいてくる気配がすると、一歩引いてしまうのだ。

「これはどういう感情なのかな」

 前世の癖で、自分の心の動きを分析したくなるが、どの解釈もあまりピンとこないので、最近は深く考えないことにしていた。

 

「ウメ、おうちに入ろっか」

 私は白猫を地面から抱き上げると、店の中に入って、後ろ手に引き戸を閉めた。

 


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