第9話
「ユザワ公爵! お待ちしておりましたわ〜!」
「アキヤマ憲兵隊長! またお会いできて嬉しいですわ〜!」
「タナカ! よく来ましたわね! 庭の手入れは順調ですか?」
俺は次々と前の店で常連だった人を捌いて店内へ案内していく。久しぶりに会う人もいるけれど顔と名前と役職は完璧に覚えている。
水を取りにバックヤードに行くと半ば呆れた顔で糸魚川さんが大量のコップに水を注いでいるところだった。
「人の数やばすぎない? お母さん、交通整理だーって警察に呼ばれて行っちゃったんだけど……」
「有愛! 口の前に手を動かしてくれぇ! オリーブさん、次のオーダーは何!?」
「カフェラテが5つ。3つは普通、1つはミルク多め、1つは無脂肪ミルクに変更ですわ。その後にたまごサンドとピラフ。サンドイッチのレタス抜きですわ」
「はいよ! よくあれだけいてオプションつけまくってるのにオーダー覚えてられるよなぁ……」
ひいひい言いながらオーダーをさばくためにコーヒーを淹れているのは有愛のお父さんの
この店は夫婦の道楽でやっていたらしく他にバイトもいない。もう少し流行ればいいな、くらいだったらしいが、想定外の来客数にみんな顔を引きつらせていた。確かに多いけれど前の店ではイベントの時はこのくらい捌いていたので問題ないレベルだ。
まったく、それにしても可愛すぎるというのも罪なものですわね。
「オリーブさん! はい! お水!」
「はい、どうも〜」
俺はトレーに大量のコップを載せて軽やかにステップを踏みながら戻り、水を配っていく。
「お水ですわ〜オーダーは後で参りますのよ〜!」
前の店は一対一の接客を売りにしていたが、ウェイターが俺以外にいないこの店ではそこまでの余裕はない。
笑顔を絶やさないようにしながらひたすらに動き続ける。
一席空いたので次の人を呼び込む。まだまだ列は長いままだ。
「お次の方〜いらっしゃ……よ、ヨシノ公爵令嬢!?」
俺の呼び込みに応じて入ってきたのは三条さん。オリーブガチ恋勢だしそりゃ来ますよね、とも思うけれど、クラスメイトになってからこの姿で会うのは初めてなのでバレないかとヒヤヒヤしてしまう。
三条さんはいつものように伏し目がちに「こ……こんにちは」と挨拶をしてきた。
「ご機嫌よう、ヨシノ公爵令嬢。お席に案内いたしますわ〜!」
努めて明るく。いつも通りにしていればバレないはずだ。
そう自分に言い聞かせて三条さんを席に案内する。
「あ……ひ、人多いんですね」
「えぇ。おかげさまで。オーダーは後でお聞きしますのでごゆっくりおくつろぎくださいな」
俺はペコリと頭を下げて他の席を回る。途中、俺を呼び止めてきたのは湯沢さんだ。
「ユザワ公爵、どうされましたか?」
「コーラのおかわり貰えるかな?」
「はい、かしこまりましたわ〜」
湯沢さんはいつもコーラだ。開店から2時間も経ったのでコーラは既に5杯目。遂に正の字が完成してしまったオーダーシートをテーブルの筒に丸めて入れると湯沢さんが話しかけてきた。
「前の店、何があったの?」
「婚約破棄ですわ」
「クビってこと? もしかして僕のせい?」
湯沢さんにコーラをぶっかけてしまった事を指しているのだろう。あれはどちらかといえば最後のきっかけで、それも仕組まれたものだったらしいし湯沢さんに落ち度はない。強いて言うならそろそろ次の人を入れたいので席を開けてほしいことくらいだろうか。
俺は湯沢さんの罪悪感を吹き飛ばすために最高の笑顔を作る。
「全く関係ありませんわ。一身上の都合ですのよ。そういえば今日はライラ令嬢のお誕生日ではありませんこと?」
ライラ令嬢とは浦佐さんの源氏名。着替えながらSNSを見ていて思い出したのだが、今日は前の店で浦佐さんの誕生日を祝うイベントが開催されているはずなのだ。それなのに常連はこの店に並び続けている。
「あぁ……行かないことにしたんだ。オリーブちゃんがクビ……婚約破棄されてから店の雰囲気は暗いし、何よりオリーブちゃんがいない店に行っても仕方ないからね」
「ふふっ。ありがとうございます」
可愛いとは罪なものですわね。ライラ令嬢、ごめんあそばせ。
俺は湯沢さんに満面の笑みを見せてオーダーを告げにバックヤードに戻るのだった。
◆
「な……なんなのよこれ!」
お嬢様喫茶『panda noir et blanc』のバックヤードで浦佐がスマートフォンを壁に向かって投げる。
見ていたのはSNSの投稿。相互フォローしている店の常連が自分の誕生日イベントをすっぽかし、オリーブが限定で復活した喫茶店に行っている様子を見てしまったのだ。
イベントということもあり、店の中は普段よりは客はいるものの、かつての賑わいが嘘のように静まり返った店内は小千谷がクビになる前の通常営業よりも静かだ。
「はぁ……また私がエリマネに怒られるんだけど」
津南は自分は関係ないとばかりにそうぼやく。
「ならあんたが連れ戻してきなさいよ! あいつがいないと店が保たないって前任の店長も言ってたんでしょ!?」
年下である浦佐の言葉に津南は「はぁ?」と啖呵を切る。
「私は赴任したばっかでそんなの知らなかったんだっつーの! 大体みんなオーダー間違えすぎなんだって! 脳みそついてんの!? その度に私が謝らされてるんだけど!?」
「はぁ!? ついてますけど何か!?」
「あのー……向こうまで聞こえるんでやめてもらっていい? 浦佐ちゃんも誕生日イベントなんだから笑顔で店の中回ってくれないと困るよ」
バイトの女の子にたしなめられ、二人は渋々口を閉じるのだった。
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