第8話

 店に入ると出迎えてくれたのは英字新聞をあしらったジャケットを羽織ったオシャレな女性。くるくるした髪の毛はパーマをかけているのだろうと分かる。


「お帰り、有愛」


「お母さん、ただいまぁ」


 二人は店の中で自宅のように会話を交わす。


 俺が気まずさを覚えていると、糸魚川さんが俺とお母さんの間に移動してきた。


「お母さん、こちら小千谷君。小千谷君、この人が私のお母さんの暁子あきこね」


「あ……お、お願いします」


「よろしくお願いしますね。まさか有愛が彼氏を連れてくるなんて……」


 暁子さんは高そうなシルクのハンカチを取り出して目尻を拭う。


「そ、そんなんじゃないって! 小千谷君はその……ね!?」


 ね!? と言われましても!?


「ただの友達ですから……」


「あら。そうなのね。早とちりしちゃったわ。ごめんなさい」


 糸魚川さんも俺が中身は女の子だと早とちりしていたし、早とちりはこの親子で遺伝しているらしい。


「それでね、隣の喫茶店復活のアイディア思いついたの」


 糸魚川さんは俺の知らない話を暁子さんと始める。


「あら。そうなの? もしかして……」


 暁子さんは何かを察したように俺の方を見てくる。俺もなんとなく分かってきたぞ。


 糸魚川さんは俺の方をチラチラと見ながら言葉を絞り出そうとしている。俺の女装趣味のことは言えない。だけどどうにかしてお嬢様の格好をした人を働かせると言わないといけない。そんな制約の多い中でどんな理由をつけるのだろう。


「小千谷君の……お、お姉さん、コスプレイヤーなの!」


 俺に姉はいないしコスプレイヤーでもないんですけど!?


 ◆


 とりあえず座って話しましょうという暁子さんの提案で家具店の隣にある喫茶店にやってきた。アンティークな雰囲気で、テーブルや椅子は席によって同じものはない。


 壁紙はアンティークの要素を取り入れつつも淡い色合いでまとめられていて、まるで19世紀のパリに来たかのような雰囲気だ。


「可愛いですね……」


 こんな空間なら一日中ここにいられる。そんな気持ちで店を見渡していると暁子さんは嬉しそうに「ありがとう」と言った後にため息をついた。


 店の中はガラガラ。客は一人もいない。


「内装は気合いを入れたんだけど……流行らなくてね。隣でやってるお店の余り物やアウトレット品の使い道がないから喫茶店にしてみたんだけど……」


「まぁ……好みは人によりますからね。でもSNS映えもしそうですけど」


「リピーターがつかないのよねぇ……ま、写真は一度撮っちゃえばいいからね」


 なんとなく話が読めてきた。客が入らないけれど雰囲気が可愛い喫茶店。そこにオリーブ・ブランシェットが立つ。するとどうだろう。華やかな異世界を思わせる喫茶店が完成するではないか。


 しかもオリーブというコンテンツがあればリピーターもつく。


 糸魚川さんの頭の中にはそんなイメージがあるのだろう。


「小千谷君のお姉さんね、お嬢様のコスプレをしててすごく可愛いの! ここでお嬢様のコスプレをして働いてもらったらいいんじゃないかなって思ったんだぁ」


「お嬢様?」


「これこれ」


 ピンときていない暁子さんに糸魚川さんが写真を見せる。


「ふぅん……えぇ!? すっごい綺麗な人! 芸能人なの!?」


 暁子さんはこれでもかと目を見開いて俺を見てくる。


 この人の中では俺ではなくて俺の姉ということになっているのだけど、それでも鼻高々だ。写真は少しだけ加工しているけれど。


「ま……まぁ……あはは……」


 やはり面と向かって可愛いと言われることに勝る嬉しいことはない。


「姉はオリーブ・ブランシェットという名前でお嬢様のコスプレをしてます。この店の雰囲気にはよく合いそうですよね。SNSのフォロワーもそこそこいるので宣伝にもなりますし、それ目当てのリピーターもつくかなと」


「そ……そこまで考えてたの?」


 糸魚川さんはポカンとして俺を見てくる。


「あ……あれ? そういう趣旨じゃなかったの?」


 俺は何か間違えたのかと思い糸魚川さんに聞き返す。


「あはは……ただここにオリーブさんが立ってたら可愛いかなってくらいだったよ……」


「あ、そういうこと……」


 思っていたより浅い感じだったらしい。その方が期待もされなくて楽なんだけど。


「いつなら来られるの? お金の話もしないといけないし」


「この週末でいいと思いますよ。後で確認しておきますね」


「お願いするわ。はぁ……よかったぁ……このお店、なんとかなるといいんだけど……」


 暁子さんは背もたれに体重を預けてガラガラの店内を見渡す。


 暁子さんは店に客が入る。俺は色んな人に自分を見てもらえる。ウィンウィンじゃないか。


 俺はここで働くことを楽しみに思いながらこの日は帰宅したのだった。


 ◆


『皆様! 婚約破棄をされたオリーブ・ブランシェット伯爵令嬢が復活いたしますわ〜! 不定期ですが新しい領地で働きますのよ〜! 住所は――』


 ◆


 週末、俺は化粧道具一式と衣装を持って店の前に向かっていた。前日にSNSで宣伝をしたが俺の人気はお嬢様喫茶のブランドありきだったのかもしれない。反響を見るのが怖いので宣伝投稿をしたあとは一切SNSを見ずにやってきた。


 今日は近くでイベントでもあるのか、店から離れたところに長蛇の列ができている。200人くらいは並んでいそうだ。


 不思議に思いながら店の前まで行くと、行列はそこで途切れていた。先頭は湯沢さん。前の店で常連だった人だ。


 つまりこれは……オリーブのためにできた行列だったの!?

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