第5話
昼休み。俺は糸魚川さんから提示された『条件』の確認のため、一緒にご飯を食べることになった。
糸魚川さんはクラスメイトの知らない女子を連れ立って売店に買い物に行き、しばらくして戻ってきた。
俺の前の席が空いていたので、糸魚川さんはそこに座る。
「お待たせぇ。
糸魚川さんは一緒にいた女の子を呼んで空いていた椅子を引いて隣に座らせた。
「わ……私は一人で食べますから……」
「駄目だって! ほら! 小千谷君だよ。クラスメイトなんだし仲良くしないと!」
「あ……はい……
三条さんは糸魚川さんに言われるがままペコリと頭を下げると糸魚川さんの用意した椅子に座った。
糸魚川さんが口止めの条件として出してきたのは『もう一人だけ知っていることを増やすこと』。口止めと矛盾している気がするけれど、信頼できる人とのことなので俺も渋々受け入れた。その人がこの三条さんらしい。
黒髪は野暮ったく後ろでまとめられていて、度の強そうな眼鏡で輪郭が歪んでいるところを見ると同族意識が強まる。
というかこの人見たことあるな……
◆
まだ俺が『panda noir et blanc』で働いていたときのこと。
カランカランとドアに取り付けられた鈴がなって俺が客を迎えに行く。
立っていたのはヨシノ公爵令嬢。それ以外は何も知らないくらいに自分の話はしてくれない人だ。多分、吉野さんというのだろう。
野暮ったい黒髪を後ろでまとめ、度の強そうな眼鏡で顔の輪郭が歪んでいる。地味な風貌だけれど、よく見ると鼻は高いわ肌はきれいだわで、化粧をしたら化けそうな見た目をしている人だ。
「ヨシノ公爵令嬢、お帰りなさいませ。本日は良いお天気ですわね」
ヨシノさんは身長が小さい。150cmくらいだろうか。ヒール込みの俺の身長だと彼女のつむじがよく見える。
「あ……お、オリーブさん……こんにちは……」
ヨシノという名前しか知らないその人はペコリと頭を下げる。
「こちらへどうぞ。お席にご案内いたしますわ」
俺が先導しようとするが、ヨシノは動かない。不思議に思って振り向くとヨシノは顔を赤くして手を差し出してきた。
「あの……手、繋いでもいいですか?」
「申し訳ございません。領地の法で身体的な接触は禁止されておりますので……」
『領地の法』とは即ち店のルールのこと。
俺はガチ恋勢のおじさんの誘いを断るときの文句をそのまま引用してヨシノの誘いを断る。
ヨシノからはよく外で会いたい、だとか、服を見たいから付き合ってくれとか誘われるのでこれもその一環なのだろう。『領地の法』によって店外で会うことは禁止されているので全部断っているけれど。
男だとバレているのか、はたまた女だと思い込んだ上でのガチ恋なのか。
美しいことは罪なのですわね、と自分に言い聞かせて今日も接客に励むのだった。
◆
まずい……この人は常連客だったヨシノ公爵令嬢だ。吉野さんだと思っていたが、それは下の名前だったのか。
まだ俺がオリーブ・ブランシェット伯爵令嬢だとは気づいていないようだが、気づかれるのは時間の問題に思えた。
「あ……い、糸魚川さん? ちょっと……」
「え? あ、うん……」
俺は糸魚川さんを廊下に呼び出し、周りに誰もいないことを確認して小声で告げる。
「三条さん……店の常連だったんだけど……」
「はっ……えぇ!? ガチ!?」
俺は糸魚川さんが盛り上がりそうなので人差し指を口に当てる。「あ……ごめん」と言って糸魚川さんは声を落とした。
「すごい偶然だけど……それはごめん……まだ何も言ってないから安心して」
「それなら良かったけど……なんであの人に秘密をバラしたいの?」
「その……さ、佳乃って可愛いと思わない?」
「分かる。マジで磨いたら光るよ」
「でしょ!? 本人はそのつもりはないみたいなんだけど……小千谷君の力でその気にさせられないかなって思ってたんだ」
「それなら糸魚川さんでもいいじゃんか……可愛いんだし」
糸魚川さんは俺がそう言うと顔を真っ赤にして照れる。
「そ、そういう不意打ちは反則だって!」
「別に不意打ちしたかったわけじゃないし……可愛いイズ可愛いなんだからいいじゃんか……」
可愛いは正義、可愛いは法律、だ。
「あはは……まぁでもばれちゃうくらいならあまり絡ませない方がいいよね?」
「そうだね。夢は壊したくないから」
「自分じゃなくて佳乃のためなんだね。優しいねぇ」
糸魚川さんはニッコリと笑って俺の頬を突く。
「ま……まぁね」
素直に褒められて照れてしまう。俺が顔を逸らすと糸魚川さんはニシシと満足げに笑った。
「さっきの不意打ちの仕返しだよ」
「はいはい、やられたやられた」
「雑すぎない!?」
「とにかく、今後の方針だよ。俺の事がバレないようにしてくれる、でいいんだよね?」
「うん。それは尊重するつもりだよ」
方針は決定。糸魚川さんも下手に俺の正体がバレるような事は望んでいないのはありがたいこと。
二人で教室に戻ると、三条さんは一人でスマートフォンをいじっていた。俺たちが戻ってくると画面を消灯して戻そうとする。その一瞬、壁紙が見えたのだが、そこに使われいた画像が明らかにオリーブと一緒に撮ったチェキだった。
ありがたさと店からいなくなってしまった罪悪感で複雑な気持ちになる。
俺が椅子に座ると三条さんは眼鏡越しにじっと俺を見てきた。
「あ……な、何?」
まずい、バレたか!? 俺は顔を引きつらせながら尋ねる。
「いえ……ちょっと似てるなぁと」
「にっ、似てる!? だ、誰に!?」
ヤバイヤバイヤバイヤバイ。冷や汗が背中を伝う。
「私の憧れの人です。ほんと、すごく綺麗で……天使みたいな人なんです! というか最早天使なんです。日本にも天使はいるんだって、そう思わせてくれる人なんです。でも私みたいなオタクが近寄れるような人じゃなくて……」
徐々に元気を失っていく三条さんを見ているとバレるとかどうこうよりも同情の方が勝ってしまう。推しがいなくなった店にまだ通っているのだろうか。
「その人は……何をしている人なんですか?」
「喫茶店でお嬢様のコスプレをしている女性なんです。でももう辞めちゃったみたいで……」
女性ではないけれど辞めたのは事実。ヨシノ公爵令嬢のこんな顔は見たくなかった。明るい人ではないけれど、お店ではいつも楽しそうだった。
「そ、そうなんだ……」
「はい……はぁ……オリーブお姉様……」
三条さんはうっとりした目でオリーブとのチェキを眺める。
この人、結構やばめなガチ恋勢だな!?
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