第4話
糸魚川さんが同じ学校の生徒でクラスメイトになってしまった。
だが、糸魚川さんは俺の女装した姿しか知らない。男の姿ならバレないはず……いや! 名前教えちゃってるじゃん! 普通に自己紹介しちゃったぞ!?
新学年最初の休み時間は皆前後の人と話している。糸魚川さんも例に漏れていない。
これなら大丈夫。安心して机に突伏出来たのも束の間。糸魚川さんの声で「おーい、オリーブさーん」と呼ばれたのだ。
慌てて顔をあげるとすぐ目の前に糸魚川さんの顔があった。しゃがんで机に顔を載せていたらしい。
俺は驚いてのけぞりながら起き上がる。
「い……糸魚川さん……まさか同じ高校とは思わなかったよ」
「それはこっちの台詞だよ。でも、ぱっと見で分かったよ。横顔は誤魔化せないもんねぇ」
糸魚川さんは俺の横に来てニヤニヤしながらそう言う。
「あの……そ、外で話せる?」
「ん? いいよ」
糸魚川さんは一人で先に教室の出口に行き、そこから俺を手招きしてくる。
俺も席から立ち上がり、廊下へ出て、並んで歩く。
糸魚川さんは俺を見上げながら嬉しそうに微笑んできた。手を額に当てて自分との身長差を確認している。
「いやぁ……いいねぇ……たまらんよぉ……」
「何が?」
「背、高いんだね」
「あぁ……185」
「でしょ!? 私170あるから目線が同じになる人が多くて! こうやって見上げるのは新鮮なんだ」
「へぇ……」
とりあえず俺は女装の事を口止めしたい。それしか頭の中にないので適当に話を受け流す。
廊下を進んで階段を登って使われていない空き教室に入り、俺は扉を閉めた。
「糸魚川さん」
「うん、なになにぃ?」
糸魚川さんは目をパチパチとさせて俺の言葉を待つ。
「その……俺、実は――」
「うん。分かってるよ」
「えっ……そ、そうなの!?」
「うん。完璧に理解してるから! 皆まで言うな、だよ」
「か、完璧に?」
自信満々に分かったとは言うが、糸魚川さんは次の瞬間頭を抱えた。
「あのー……その……なんて言ったらいいんだぁ……」
女装好き、の一言で済むことを結構な悩み方をしているらしい。
「あー……こ、心が女の子……的な?」
糸魚川さんが絞り出した言葉に理解が追いつかずポカンとしてしまう。
「……え?」
「小千谷君は見た目は男の子だけど、中身は女の子だから普段は女の子の格好をしてる。けどそれは秘密、ってことだよね?」
「あ……あー……あー……なーるー……ほど?」
そういう解釈の仕方もあるのか。むしろそっちが王道か。ただただ可愛いものが好きで、可愛くなりたい。それだけの純粋な欲求という方が珍しいのか、とマイナーな存在であることを改めて自覚する。
「あっ、あれ!? 違うの!?」
「その……中身は男なんだ。普通に男子」
「へっ!? あ……ご、ごめん! 勝手に勘違いしちゃった……」
糸魚川さんは地面に額がつくんじゃないかというくらいに腰を直角に曲げる。
「や、やめてよ! 別に気にしないから!」
慌てて糸魚川さんに近づいて姿勢を戻させる。
「あ……じゃあこの前の格好は……」
「ただ可愛くなりたいんだ。可愛いものが昔から好きで……その……それだけなんだ」
「え? あー……あー……なーるー……ほど?」
お互いにお互いの頭の中を理解しきれていない感じで頭を傾げる。
「ま……まぁ確かに小千谷君、可愛かったもんなぁ。うん、すごく可愛かった。本当、絵本から飛び出してきたみたいだったもん」
公園で糸魚川さんは俺を勇気づけてくれた。今日だって方向性は違うけれど俺のことを理解しようとしてくれていた。
だから俺はこの人になら心を開いて、全部をぶちまけられるような気がした。
「そ……そう!? 嬉しいなぁ……俺さ、まあ、確かに、かっこいいって言われるのも悪くはないけどさ、やっぱり可愛いって言われるのが好きなんだ。普段の努力の結晶だからね。それに、かわいさっていうのは、ただの見た目じゃなくて、内面からもにじみ出るものだと思うんだ。だから、可愛いって言われると、自分が大切にしている可愛らしい一面が認められた気がして、すごく嬉しいんだ」
糸魚川さんはポカンとして固まる。
「あ……ご、ごめん……語りすぎちゃった……」
糸魚川さんは慌てて俺に駆け寄ってきてハグをしてきた。
「そっ、そんなことない! 私が思ってることと全く同じ! そうなの! 見た目だけじゃない! 中身も可愛くいたいってずっと思ってる! 小千谷君は私の理解者だよぉ……」
「へっ……あ……その……と、とりあえず女装の事は秘密にしてもらえると……」
「いいよ。その代わり一個だけお願い聞いてくれない?」
「お願い? いいけど……」
「あのね――」
糸魚川さんは背伸びをして俺の耳元でお願いを囁いたのだった。
◆
お嬢様喫茶『panda noir et blanc』は小千谷が辞めてから閑古鳥が鳴いていた。
「はぁ……今日もひまねぇ……浦佐ちゃん! お得意様ラインで呼び出してよ!」
津南はバックヤードに戻ってきて金髪のウィッグを面倒くさそうに調整する浦佐にそう言う。
「えー……ずっと連絡してるって。マジでオタク達役に立たないんだけど……はぁ……」
浦佐は2番人気だったが、そのほとんどは小千谷のおこぼれだったことに気づいていない。二人の絡みに『てぇてぇ』と喜んでいた人達がほとんどなのだ。
浦佐単体ではさしたる人気もないため、オリーブ・ブランシェットの退店報告を見た人達は店に来なくなってしまったのだ。客は店ではなくオリーブという存在についていただけにすぎない事に二人はまだ気づいていない。
「てかさぁ津南さんがあいつクビにするって言い出したんだよね? 責任取って客引きしてきてよ」
「わ、私は浦佐ちゃんが一番になりたいって言うからやっただけで……」
「自分が女装趣味の人が嫌いだっただけなくせに。はぁ……もうしーらない。エリマネにチクってもいいんだ? 稼ぎ頭を自分の都合で辞めさせたんだよね?」
「はぁ!? 油を塗ったのは浦佐ちゃんでしょ!?」
「私は言われたとおりにやっただけだし!」
二人の言い争いを止めに入る人は誰もいない。ギスギスしたお嬢様喫茶は今日も赤字経営を拡大し続けるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます