第3話

「えっ……えぇ!? ほ、本当に男……なんですか?」


 写真を撮った後、何故か俺は女の子と公園のベンチに座っていた。女の子は糸魚川有愛いといがわ ありあと名乗った。


 ナンパから助けるために男のフリをしていたと思っていたらしく、本当に男だと知ると目を見開いて驚いている。


「まぁ……一応……」


 俺は襟をずらして喉仏を見せる。


「わぁ……本当だ……でも、なんでこんなところにいるんですか?」


「近くにお嬢様喫茶があるんです」


「お嬢様喫茶?」


「メイド喫茶のメイドがお嬢様になった版、みたいなやつです」


「へぇ……行ってみたいです!」


「俺以外は皆女の子ですから安心してきてくださいね」


「私、小千谷君を指名したいんですけど。名前は何? 小千谷君って言えばいいんですか?」


「お、オリーブって名前で……指名とかない店なんで……チェキは撮れますけど……」


「なら! そのために行きます!」


「あ……でも、俺……もうクビになるらしくて……」


「クビ!? どうして!?」


「店長と揉めたといいますか……俺、キモいらしいです。まぁでもそうですよね。可愛い女の子に混じって男が裏声でお嬢様言葉使って女装してって……傍から見たらキモ――」


「そんなことない!」


 糸魚川さんの声が公園に響く。小学生達も何事かと俺達を見たが、すぐにまた自分たちの遊びに戻っていく。


「そんなことないよ! キモいとか思う人の方がどうかしてるよ! ……あ……その……ごめんなさい……つい……」


 糸魚川さんの声はまっすぐに俺に響いてきた。それは津南さんから受けた屈辱が洗い流されていくかのようだ。


「ありがとうございます。嬉しいですよ。俺も自分のことは世界一可愛いと思ってます。だけど……やっぱり面と向かってキモいって言われると傷ついちゃうなって」


「それは仕方ないですよね。私も昔言われてました。脚とか腕が細長すぎてナナフシみたいで、それがキモいって」


「ええ!? そんなにスタイルが良いのに……」


「だから、変な人の言葉は真に受けちゃだめですよ。自分が可愛いと思ってるなら、それだけでいいんですから!」


「あ……そ、そうですよね!」


 糸魚川さんは本当に真っ直ぐな人。それは少し話しただけでわかる。


 友達になれる気もしたけれど、この日はこのまま解散となってしまったのだった。


 ◆


 荷物を取るために店に戻ってきた。雑居ビルの一階に入っているコンビニの入口付近でタバコを吸っていたのは小出さん。


「ちっす」


 小出さんは俺を即座に見つけて手を振ってくる。そこで俺は自分の格好を思い出した。そりゃすぐに気づくよね、と。


「お疲れさまです。今日ってもうあがりですか?」


「いえ。辞めました」


「辞めた!?」


「はい。あの店長、やべーっすよ」


「やべーっすか?」


 小出さんはタバコをふかして「やべっちFCです」と呟くが俺はスルーする。


「さっき聞いちゃったんです。浦佐うらささんと津南さんが話してたんすけどね」


 浦佐さんは店で2番目に人気のキャスト。小動物のような愛くるしい見た目をしている人だ。


「何をですか?」


「小千谷君、ハメられたみたいです」


「え?」


「トレー、やけにヌルヌルしてませんでした?」


「あー……確かにテカってましたね」


「あれ、浦佐さんが昨日油を塗ってたらしいですよ」


「なんのため……まさか……」


 小出さんは俺の反応を見て大きく頷く。


「そっす。小千谷君にドリンクをドンガラガッシャンしてほしかったんすよ。クビにする口実を作るために」


「でも……なんで俺をクビに……」


「浦佐さんが一番になれますからね。本人が言ってましたよ。そんで津南さんは女装に理解がない。津南さんの思想と浦佐さんのメリットが噛み合ったみたいっす」


「マジですか……」


「えぇ。さすがに私もプッツンと来ちゃって二人を問い詰めたんです。でも笑って流されちゃいましたよ。マジやべーっすよ。ここは魔境です。承認欲求の化け物と思想押し付けマンですから。他の人も容認しちゃってますし『あたおか』な人しかいません。辞めて正解っすよ。はいこれ、荷物です」


 俺を庇ってくれたのは小出さんだけらしい。他の人とも仲良くやれていた気がしていたのだけれど、それは俺の思い込みだったのか、と悲しい気持ちになる。


 小出さんは俺の分の荷物をまとめてくれていたようだ。中身を検めたが変なことはされていないらしく無事。早めに小出さんがよけてくれていたのだろう。


「でも俺はまだしも小出さんまで辞める必要はなくないですか?」


「良いんすよ。私は可愛い子を見るためにここで働いているんです。可愛い子、いなくなっちゃいましたから」


「……俺ですか?」


「えぇ。二度とオリーブさんに会えなくなると思うとお姉さんは枕を濡らすことしかできませんよ。それじゃ、お疲れっした」


 明らかにリップサービスであることがわかる泣き真似をすると小出さんは携帯灰皿にタバコを押し込み去っていく。荷物を渡すために俺のことを待ってくれていたんだろう。


 とりあえず津南さんに会う必要がないのは嬉しいこと。


 俺もそのまま荷物を抱え、仕事用のドレスを着たまま家に帰るのだった。


 ◆


 突然バイトがなくなったため暇になった春休みはダラダラしているとあっという間に終了した。


 新学期の初日。桜吹雪をくぐり抜け、頭についた花びらを窓から投げ捨てて2年1組の生徒として新しい教室に入る。


 知っている顔は少ない。そしてその知っている顔の中に友達はいない。


 学校ではバイトのことも女装趣味のことも秘密。そもそも俺の名前をフルネームで言える人は学校にいないくらいには陰キャなので秘密を共有する人すらいない。


 席について誰とも話さずにぼーっとしていると新しい担任の先生がやってきた。


「それじゃ、順番に自己紹介してくれ」


 あ行の人から順番に自己紹介が始まる。二人目は女子。その人が立ち上がると、スタイルの良さに男子が思わず唸り声をあげる。


「糸魚川有愛です。よろしく」


 い……糸魚川さん、同じ学校だったの!?


 糸魚川さんは振り返ってクラスをぐるりと眺める。俺と目があうと糸魚川さんは一瞬だけにやりと笑ったように見えたのだった。

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