第9話 闘争

 -奥村-


 学校に戻ったぼくらは、すぐに高田が攻めこんでくることをみんなに告げた。


 予想どおりの非難轟々、何をいわれているのかよくわからなかったけれど、余計なことをしたせいだ、みたいなことを色んな言い方で表現していた。


 吉田先生が騒ぎを沈めるまでぼくらは黙った。齊藤も素直に聞き入れていたことには驚いたけれど、ともかく黙ってくれたからぼくたちは本題にはいる。


「どうやって迎え撃とうか」京介はみんなに問いかける。


「戦わないとおれたちは高田の奴隷にされる。受け入れるか、抗うか」


「受け入れたら、どうなるの」上野からの問いに齊藤は目の当たりにしかたことを告げた。


「死ぬってこと?」

「自分では生きられないってことだ」


 上野はわかったような、わからないような顔で、首をかしげた。「でも、戦うしかないってこと?」


「おれは戦うしかないと思ってる」

「京介たちはそうだろうけど」上野は納得いかないようだ。わたしたちは巻き込まれただけだといいたげな表情だ。


 それでも上野が過剰に噛みつかなかったのは、きっと逃れられないとわかっていたからだ。高田はなにがあってもぼくたちを奴隷にしようとしただろう。ぼくたちはそのきっかけになった。


「約束が違うじゃない」と強気な姿勢でかみついてきたのはエルフのリーサだった。「あなたたちは、高田を倒してくれるっていってたのに、役立たず」


 ぼくたちは言い返せない。リーサの言うとおり、引き金を作ってしまったのも間違いないぼくらは、黙ってリーサの非難を受け入れるしかない。


「言い過ぎ」と遮ってくれたのは上野だった。


「リーサ、エルフのあなたたちに京介たちを責められるの?」


 リーサは目を丸くして口撃を止めた。てっきり同志と思っていた上野から遮られたのだから当然だ。


「わたし?」リーサは上野の意図を汲み取れず戸惑っていた。「わたしが悪いの?」


「悪い、とかじゃなくて、なにもしてないあなたたちに、京介たちを馬鹿にされたくない」


「わたしが悪いってこと?」リーサは理解できないと首をふる。「わたしたちはずっと我慢してきた。オークにも、高田にも、耐えて、耐えて、耐えてきたのに、どうしてわたしたちが悪者になるのよ」


「耐えることは、悪いことじゃない。でも、京介たちは戦った。なにもしないことを選んだ人に馬鹿にされる京介たちを、わたしは見てられなかった」


「わたしたちが悪いってことね」リーサはついに怒鳴った。「もういい、あなたたちは高田に殺されればいい」わたしたちは逃げるとリーサは教室あとにした。


 残されたぼくらには気まずさだけが残された。


 *


 戦うか降伏か、ぼくたちは選択を迫られていた。


 こういうとき、ぼくたちのクラス、いや、一般的にはクラス投票が行われる。文化祭の出し物も、合唱コンクールの歌も、ぼくたちは平和的に多数決で物事をきめる。


「じゃあ、投票は終わったな」学級委員だった寛二に代わり京介が取り仕切る。

 隣で同じく学級委員の上野が票数を数えている。


「うん、みんなの分はあるよ」


 これは総意だ。民主的で最も平和的な決め方だ。匿名というのも責任を伴わなくていい。それに、結果は初めから知っていた。


 ぼくたちは、名を隠し、顔を伏せた状態になると、途端に卑怯で、卑屈になる。だから、たとえ雪子を差し出す結果になるかもしれなくても、ぼくたちは戦わないことを選ぶだろう。


 結果的に、戦うことを選んだのは、ぼくと、2人だけだった。雪子さんは当然として、京介か。齊藤くんは心が折れてしまったのか。


「これで、決定でよいですか?」吉田先生がまとめにはいろうとしている。

「戦わずに、負けることを選んだ。そういうことですね」


 だれも答えられない。本音と建前とはそういうものだ。声にだれるものが建前で、声にだせないものが本音だ。だからぼくたちは投票制度をとることにした。だれだって戦いたくなんてない。


「カッコ悪いとは、思わない?」吉田先生はぼくたちの心を煽る。「雪子さんが危険にさらされているとわかっていながらも、拳を振り上げないことを選ぶ自分の姿を見て、誇らしいと思えるのですか?」


 先生の目を見れる人はいない。


「わたしは、戦わないかことを選びました」沈黙が続くなかそう果敢に名乗り出たのは、雪子だった。


 吉田先生は「ほう」と雪子の普段は見せない積極的な姿勢を好意的な表情で受け止めた。


「そのこころは?」


「わたしは、自分のために友達に死んでほしくない」

 雪子の凛とした態度にクラスメイトたちは余計に顔をあげられなくなった。


「どうして自分の身を犠牲にできるんですか? 雪子さん、あなたは死ぬよりも辛い目に会うかもしれないんですよ」


「わたしのために友達が死ぬことが、一番辛いから」


 立派ですね。と、吉田先生は手を叩いた。「しかし、友達はみんなあなたに犠牲になってほしいそうですよ。それでも、雪子さんは友達のために命を捨てられるのですか?」


「はい。わたしはみんなのために、高田のおもちゃになります」


 そうまでいわれて。

 ぼくは手を握りしめた。


 違う、ぼくじゃない。雪子のために立ち上がるとしたら、それは降伏に票をいれた人の役割だ。


「そうまでいわれて、おれたちはまだ雪子を盾にするのかよ」立ち上がったのは京介だった。


「おれたちは、友達を見捨ててでも、高田の兵隊になってでも、生きたいやつらだったかよ」

 まくしたてるように続ける京介にクラスメイトは次第に顔をあげた。


 そうだ。きっかけはいつだって京介だ。それでいい。ぼくは立ち上がらない。ゆっくり、ひっそりと、高田を倒せればそれでいい。


「団結だ、おれたちは戦える。雪子を守るんだ」京介を筆頭に投票用紙が次々と破られた。民主主義の決定が覆った歴史的瞬間だ。いつだって多数決が正しいとは限らない。


「やるぞ、おれたちは」


 ときの声があがる。


 ぼくは座ったまま、人知れず覚悟を決めた。


 *


 ぼくたちは戦うことを決めた。


「でも、なにすればいいの?」

 上野のピュアな質問に答えられる人はいない。ぼくたちは戦争を教科書でしか触れない他人事として扱ってきた。戦術どころか戦いかたなんて考えたこともない。


 ぼくたちは考えた結果、それぞれの特性を活かした戦いを選んだ。余計なことは考えず、雪子がおしえてくれた得意分野をいかしていく作戦だ。


 それぞれの生徒が配置についた。


 弓、槍、剣、そしてぼくはナイフを握りしめる。


 人間と戦うことは初めてだ。ぼくたちは初めて人を殺すことになる。かつては犯罪とされていた悪行をまさか自分の身を守るためとはいえ、実行することになるとは。


「怖いのか?」


 隣にたつ京介が気に掛けてくれる。


「まあ、それなりに」

「大丈夫だ、たぶん、おれたちのところに敵は来ないさ」

 京介は見上げた。自分達のうえで準備する上野に期待しているようだ。


 上野たちバレー部は遠距離武器が得意だと雪子はいっていた。それが本当なのか上野たちを女子として危険な場所におけないと雪子が忖度したのかはわからない。「ぼくは、雪子を信じる」


「そうだな」


 ぼくたちはその時を待った。敵の気配はまだ感じない。けれど間違いなくその時は近づいている。高田の軍勢はぼくたちを駆逐しようと森を進軍しているはずだ。


 静けさがぼくたちを包み込む。

 やがて、木々がざわめき始めた。


「来るぞ」


 スーツ姿の人たちが木々をぬけて姿を現した。それぞれ人を殺すための武器を手にぼくらの校舎へ走ってくる。


「構えろ」京介が声をあげる。


 たくさんの大人たちがぼくたちを殺すために向かってくる。「前の世界なら異常事態だ」


「放て」と遠くから声がした。上野の号令で一斉に矢が放たれた。けれど校門にも達していない大人たちにはまるで届かない。放たれた矢はすべて校庭に散らばった。


「おいおい、頼むぞ」京介は想定外を声にした。


 大人たちは校門をのぼろうとしていた。その姿はさながれ深夜の校舎に忍び込む不良だが、いまはその姿を咎める先生もいなければ、駆けつけてくれる警察もいない。「戦うのは、ぼくたちだ」


 ナイフを強く握りしめる。


「放て」二度目の掛け声で矢が放たれる。しかしまだ大人たちには遠い。


 上野のたちがもたつく間に大人たちはなだれ込むように校庭にはいってきた。武器を振り上げて雄叫びをあげている。


「来るぞ」京介の合図てぼくたちは武器を構える。


 ほんとに、人を殺すのか。ぼくたちはただの学生だ、大人は子供を守ってくれるのではなかったのか。いっそ殺されたほうが楽なのではないか。


 はっとした。

 大人たちが校舎にはいろうとしていた。


 と、大人の頭上から矢の雨が降り注いだ。先頭にいた大人は血を吹き出しながら倒れる。


 ようやく、ぼくらは我に返った。


「戦うぞ」京介の合図でぼくらは大人たちに反撃することができた。


 ぼくらは下駄箱で大人の侵入を食い止める作戦だ。狭い道だから数で圧倒されることもない。


 通路は4つある。


 ひとつをぼくと京介。


 もうひとつを齊藤率いるバスケ部。


 そしてのこる2つはそれぞれ剣道部と柔道部が守ってくれる。


 残りのメンバーは裏門の守備だ。広い裏門には数をひいておかないといけない。


 すべて、雪子が考えてくれた配置だ。


「雪子の予想通りだな」


 そして、大人たちは下駄箱にたどり着くよりまえに上野のたちの矢によって次々と倒れていった。「このままなら、おれたちのもとに来るよりまえに制圧できそうだな」


 ほんとうに、そうだろうか。高田はぼくたちが抵抗してくることを考えていなかっただろうか。遠距離攻撃ができることを想像していなかっただろうか。


「大人の力って、ぼくたちには届かない?」ぼくのつぶやきに京介は勝利を確信したかのように誇らしげな顔をしていた。


「おれたちは、強い」


 やがて、大人たちは誰一人として下駄箱にたどり着くことなく校庭に倒れた。 山積みになった死体を前にぼくらは身動きがとれなくなる。


「おいおい、だれが掃除すんだ」こんなとき、齊藤くんの軽口は頼もしさするある。


「終わった、のか」京介は恐る恐る様子を伺った。いくらなんでも呆気ない。


 現実を受け止められない静けさがあたりを支配する。まだぼくたちは大人の力がこの程度だとは信じられなかった。


「おい、片付けにいくか」齊藤くんの問いかけにぼくたちは応じた。戦いは終わったんだ、ぼくたちは圧勝することができた。


 背後から慌てた足音が聞こえる。

「待って」雪子だ。すっかり気のぬいていたぼくらは驚き足を止める。


「違う、終わってない」


 どういうことだよ。齊藤くんが尋ねる。


「そのひとたちは、死ねない人なの」


 はっとして校庭に向き直る。


「その人たちは、ゾンビなの」


 大人たちはまるで整列するように並んでぼくたちを睨み付けていた。血をながら、矢を身体に受けながら、全員立ち上がって臨戦態勢だ。


「来るぞ!」


 京介の声が合図のように大人たちは走り出した。今度は矢の雨だけでは止まらない。もうすぐそこまで来ていた。


「跳ね返せ!」京介の号令でぼくたちは大人たちを迎え撃った。数では勝る彼らも下駄箱の細い通路になってしまえば数の利を活かしきれない。


 しかし、始まって早々ぼくたちは気づいた。この戦いに終わりはない。ぼくたちは倒れない敵を相手にしている。


 倒しては起き上がり、倒して、起き上がり、ぼくたちの体力は削られていく。


「きりがねえぞ」


「だったら、わたしたちがおさえる」


 齊藤の悲鳴に答えるように、上野がクラスの女子をひきつれて教室からおりてきた。一斉に放たれた弓はスーツ姿のゾンビを的確に射ぬいた。


「いって!」雪子はぼくに向かって叫んでいた。「あなたなら抜けられる。ゾンビたちを止めるためには高田を倒すしかない」


 迷っている時間はなかった。ぼくの手を同時ににぎる京介と齊藤。「いくぞ」


 ぼくたちは駆け出した。校舎が遠ざかる。ゾンビたちが起き上がりだしたのか、 上野たちの甲高い叫び声が聞こえる。


 大丈夫なのだろうか。いや、考えるのはやめよう。ぼくは、任されたんだ。


 -雪子-


 初めから無謀だってことはわかっていた。


 わたしたちは戦いに向いてない。遠くからのサポートはできるけれど、力では男の人に勝てない。


 そして、わたしはもっと戦いに向いてない。


「ぼうっとしてないで!」

 目の前でスーツ姿の男の人がうめき声と共に倒れた。


 上野さんが肩で息をしている。


「あなたも、戦いにきたんでしょ」


 なんだか懐かしい。雪子は不思議と冷静になっていた。いつだったか、教室で上野さんに怒られた記憶がある。わたしは引っ込み思案で、みんなにいい顔をしていて、好き嫌いのはっきりしている上野さんにはそれが許せなかったみたいだ。


 人の悪口ばかりいうな。上野さんはそう怒っていた。いい顔をするわたしは、どんな話しにも同調していた、もちろん悪口にもすべてだ。意見のないわたしがクラス中の悪口をいっているように見えなのなら、仕方のないことなのだろう。


「あなたも戦いなさい」目の前にいる上野さんはみんなの前で叱責をしたあの時のようにわたしを怒鳴り付けている。


「わたしには無理」いまのわたしは、反抗するように答えることができた。


 上野さんはひるんだように見えたが「みんな戦っているの」とすぐに強気な態度を取り戻した。


「それでもわたしには無理。わたしは、戦えないの」


 わたしは知っている。適正がわかるわたし自身はどんな戦闘にも向いていない。どんな武器も、適正がない。


「わたしは戦えない。でも、上野さんなら、みんなを守れる」


 わたしは適正がわかる。上野さんだけは他の女子と違う適正がある。ほかの女子が遠距離武器ばかりで近距離武器に適性がないなかで、上野さんだけは、ある武器に適性があった。


「これを、使って」


 上野さんは目を丸くてしていた。とても女子が持つとは思えない武骨な鉄の塊。「持てるわけ」ないといいかけて、ひょいと持ち上げてしまう。


「ありがと」上野さんはわたしに背を向けた。肩から力が抜けるのがわかる。無理もない、わたしにとって最強の敵と戦ったんだもん。「先生、わたし、頑張ったよ」


 -奥村-


「あれでよかったのか」斎藤くんが珍しく背後を気に掛けている。


「うん。ぼくたちは、できることをやった」


 ぼくたちは、森を駆け抜けていた。予想外に時間をくってしまったが、必要なことだった。京介と齊藤くんにペースを合わせるとどうしてもスピードを落とさなくてはならない。


 生い茂る木々がぼくたちの行く手を阻む。いや、静止しようとしているのかもしれない。たった三人で高田の国に乗り込んでなにができるんだ。いっそ引き返して上野たちを助けたほうが良いのではないか。


 ぼくは、なんども運命に責任を擦り付けてきただろうか。


 いまは時期じゃない。天気が悪いから、星座占いが悪いから、たまたま靴紐がほどけているから、いまは時期じゃない。そうやって、何度やりたいことから目を背けて来ただろうか。


「もう、引き返さない」


「いくぞ」ぼくたちは前を向いていた。


 *


 高田の国にはまともな守備は残されていなかった。恐らく高田の国に住む人は、全員戦いに駆り出されたのだろう。


 ただひとり、奥山を除いて。


「強いのか」


 そびえるように立ちはだかる奥山をまえにぼくたちは身構えていた。


 奥山はまるで建造された銅像のように身動きひとつせずに立っていた。


 こちらの出方をうかがっている。いや、奥山はただ高田の指令を忠実に守っているだけだ。ぼくたちが間合いにはいれば、きっとてに持っている巨大な斧でなぎはらうのだろう。


「どうすんだよ」

「よし、陽平、お前が贄になれ」

「ふざけろ。お前がなれ」


 こんな時に呑気な言い争いをしている場合か。「ふたりとも」と言い掛けた言葉は飲み込んだ。


 京介と斎藤くんは覚悟を決めていた。互いに武器を握りしめて、そびえたつ強大な敵に向かおうとしている。


「いけよ、奥村」


 斎藤くんの声は強張っていた。


 躊躇うぼくにさらに言葉で後押しする。


「おれたち、一生に一度でいいから言ってみたいあの台詞があるんだよ」なあ京介と斎藤くんは笑いかける。


「ああ、死ぬまでないと思っていたけどな。ついに言える日が来たか」


 ふたりは覚悟をき決めてくれた。だから、ぼくも覚悟を決める。「ごめん、任せてくれて、ありがとう」


 奥村は足に力をこめた。


 そして、ふたりは同時に息を吸う。


「「ここは任せて、先にいけ」」


 奥村は駆け出した。そびえたつ奥山の脇を抜け要とした。しかし、奥山は早かった、奥村の道を塞ぐように巨大な斧を降りおろす。


 がつんと奥村の頭上で金属がぶつかった。


「こっちは力が有り余ってんだよ、おっさん」槍を構えた斎藤くんが身を呈して守ってくれた。


 ぼくはまっすぐ高田のもとへ向かった。終わらせるんだ、ぼくたちは戦わない。


 -上野-


 どうしてわたしみたいに戦えないの。


 斧を降り回しながら、上野は口にこそださないが不満を溜め込んでいた。


 他の女子は戦ってはいるものの、本気を出しているように思えない。どこか男子の目線を気にしているようで、か弱い自分を演出しているように、上野には見えた。


 一方で上野は力任せに斧を振り回す。スーツを着た大人たちが次々と薙ぎ払われている光景は爽快であるが、色気はまるで感じない。


 生きるか死ぬかの瀬戸際で、もてるもてないを気にしてどうなるというのだ。


 いつもそうだ。いつもそうだった。クラスの女子はわたしを盾にする。この前の文化祭のときだってそう。男子の悪のりでだしものがメイド喫茶になろうとしていたのを阻止したのはだれ。


 クラス会が終わったらクラスの女子全員で感謝されたけど、ちっとも嬉しくない。わたしだけ憎まれ役だ。


「もう、いい加減にしてよ」


 上野は巨大な斧から手を離した。


「みんなで戦いなさいよ。わたしは、もう、ひとりは嫌なの」


 ところが上野の不満はクラスのだれの耳にも届かない。当たり前だ、全員手を抜いてなんていない。適性のない接近戦を強いられて、それでも逃げずに立ち向かっているだけだ。


 いよいよ上野はこらえ切れなかなった。ひとり涙を流して戦うことを諦めた。


 どうせ勝てない。みんな本気じゃないから悪い。せめてわたしがいなくなったことで困ればいい。


「どうして、戦わないの」


 声の主は雪子だった。まさかクラスの弱虫代表みたいなやつに泣き顔をみられるなんて。「なに見てるのよ。あんたこそ」


「わたしは戦えないの。ごめんなさい」と食いぎみに答える雪子は開き直っているように見えた。


「わたしは、戦えないから。みんなに上手に戦ってもらうことしか、できない」


「できないって、やる前から諦めてどうするのよ」


「わたしだって」雪子の感情の一端がもれた。けれどすぐにいつもの調子に戻る。「わたしは、できない事とか、苦手なことを頑張ることが、偉いとは思わない」


「だからって」


「でも、わたしにしかできないことがあるの」雪子は力強く上野を見つめた。「わたしは、上野さんなら戦えるって知ってる。他のみんなは戦えないけど、上野さんだけは、ゾンビの人たちを抑えられる」


「なによ、それ」上野は振り返った。上野の目には必死の形相で抗うクラスの女子の姿があった。その様子は男子の目を意識しているとは思えなかった。


「ほんとに、わたしだけなの」


「上野さんにしか、できないことがあるんだよ」


 みんなを助けて。雪子に頼まれるより早く上野は再び斧を握りしめていた。雪子に言われて動くのは釈然としない。でも、クラスメイトを見捨てるのは絶対に受け入れられない。


 上野の斧は次々とゾンビを薙ぎ払った。しかし、すでにゾンビの勢いに飲まれていた状況は、上野たったひとりの奮戦では巻き返すことができなかった。


「みんな、下がって。わたしの援護を」上野は斧を振り回しながら叫んだ。クラスの女子も下がろうとした。けれど、ゾンビに背を向けられる余裕もない。


 あと一回だけでいい。だれか、ゾンビの勢いを止めて。


 上野は願うことしかできない。


「お願い、だれか」


 -フジモト-


「まったく、不本意だわ」

 握りしめていた矢を放つ。


 まっすぐに飛んでいく矢はスーツ姿のゾンビを貫いた。


「わたしたちエルフが人間に加勢するなんて、考えもしなかった」


 どうやれ校舎に詰めかけるスーツ姿のゾンビに苦戦をしているようだ。せっかく助けにきたというのにまだ加勢に気づいた様子もない。


「まったく、馬鹿にしてる」


「そう言わないでください」クボは落ち着いた調子でなだめた。「わたしたちのために、戦ってくれているんじゃないですか」


「まあ、そうだけど」フジモトは次の矢をつがえた。


「大人の力、見せてあげましょう」


 フジモトが率いているのはエルフ総勢30人。みんなかつての職場の仲間だ。ただコールセンターで働いていただけなのに、意図せず吹き飛ばされた異世界でエルフとして生まれ変わった。


「わたしたちは誇り高きエルフ。だれにも屈しないの」


 そして、利用はしても、誰も助けないと思っていたが、まさか人間に説得されるとは思っていなかった。


 一斉に放たれた矢は次々とスーツゾンビの頭を射ぬいた。


 -上野-


 誰かはわからない。いや、たぶんあのエルフたちが、助けにきてくれた。なんで? いまはそんな事どうでもいい。


「押し返すのは今よ!」


 上野は体勢を立て直すようクラスメイトに指示をだした。「さがって、わたしが食い止める」あなたたちは援護をしてくれればいい。上野は食い縛った。


 結局のところこの戦いに終わりはない。どれだけ矢をいかけようとも、得たいの知れない援護が現れようとも、ゾンビたちは駆逐されるとこはない。


 ゆるゆると、気だるそうにスーツゾンビが起き上がる。


「わたしは、戦うから」遠くで戦っているはずの京介たちに思いを託す。「負けるなよ、京介」


 -京介-


 力がはいらない。


 殴られて、殴られて、立ち上がって、また殴られて、ついに京介は立てなくなった。


「こんなに、強いのかよ」斎藤はぜえぜえいいながら立ち上がった。「化け物め」


 斎藤の言うとおりだ。奥山は化け物だった。


 京介たちも奥山にダメージを与えていないわけではない。致命傷とはいわないが、ひるむくらいの傷は与えてやったはずだ、


「まさか、こいつも」


 斎藤も気づいたか。間違いない、奥山もゾンビだ。それもとびきり凶悪な戦闘力をもったタイプのやつだ。


 いくら切りつけても時間がたてば回復してしまう。


「勝てるわけねえよ」


「斎藤、弱音をはいても現実は変わらないぞ」


 幸い、奥山は京介たちがしかけないかぎり攻撃してくることはなかった。じっと様子を見ることができる。


「斎藤、ゾンビはどうやったら死ぬんだ」


「あ? 知らねえよ」


 ゲームの世界だとどうだ。「頭を撃ち抜けば、死ぬか」


 斎藤はすこし考えた。「無理だろ」


 立ちはだかる奥山は頑丈な兜で頭を守っていた。正面からぶつかって力任せに首を落とせるとは思えない。


「おれが、囮になる」

 京介はサッカーの練習を思い出していた。フェイントをかけて、相手を揺さぶるくらいの事は、やってきたはずだ。


「斎藤、シュートを決めてくれ」


 京介はもっていた剣を斎藤に向けて投げた。「頼んだぞ」


 斎藤の返事も聞かぬまま京介は走り出していた。一歩間違えれば即死、身を守る武器もない。だからといって振り返る余裕もない。いまは奥山の一挙手一投足に全神経を集中させる。


 斎藤は同じクラスになったときから犬猿の仲だった。勝手にライバル視してきて、なにかにつけて京介の行動にけちをつける。


 どちらかいえば、嫌いだった。


「それは、信頼しない理由にはならない」


 昔がどうだとか、明日はこうだとかじゃなくて、いまの斎藤に任せられるかどうかだ。


 奥山が斧を振り上げた。


 避けられる。おれなら、できる。


「京介、避けろ!」


 奥山の斧は振り下ろされる。思ったよりも速い。が、紙一重で斧は京介の鼻先を掠めて地面に突き刺さる。


「斎藤、いまだ」


 奥山の背後から斎藤が飛び上がる。体育の授業で張り切っていた姿と重なる。「そうだ、それでいい」


 斎藤は思いきって剣を振り下ろした。奥山の鎧と兜の隙間を刃がすり抜ける。


「もらった」と斎藤が声をあげると同時に、奥山の首がぐらりとゆれて、地に落ちた。


 京介はへたりこむようにその場に崩れた。


「やっ、たのか」


 斎藤は信じられないと自分のてを見つめていた。「あぁ、おれたちは、勝ったんだ」


 嬉しくてふたりは抱き合いそうになった。けれど、歓喜もつかの間、ふたりの間をわかつように斧が振り下ろされる。


 奥山は、生きていた。


 ゾンビは首を落としても動く。


 京介は再び剣を手に取り、構えた。


「何度だって戦ってやるさ。奥村が、やってくれる」


 ふたりは信じて待つことしかできなかった。

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