第3話 雪子

 -奥村-


 クラスの男たちは、鼻息を荒くしながら嬉々として戦いの支度を始めていた。自分たちには力があると知ったから森に潜む魔物なんて怖くない。


 ついさっき負けたことなんてどこ吹く風だ。能力があることと強くなることは同じ意味ではないだろう。なんて、ぼくが水を差したところで聞く耳はもたないだろう。


「みんな、準備はいいか」


 ぼくもいくか、と重い腰をあげようとしたときだった。


「馬鹿、おまえと寛二は居残りだよ」齊藤が立ち上がろうとするぼくと寛二を言葉で押さえつけた。どうしてと聞くまでもなく「足手まといだ」と言い捨てる。


 すっかり強くなった気でいる齊藤は、運動部でも文化部でもないぼくと、校内でも数少ない美術部に所属する寛二のことを見下していた。


「戦いはおれたち運動部男子がやる。文系のおたくどもと女子は引っ込んでな」


 寛二はともかく、ぼくは戦えることを知っている。それどころか、ぼくがいなければ先生に会うこともなく全滅していただろう。いくら大嫌いな不良とはいえ見殺しにはしたくない。ここは勇気を振り絞って齊藤に反論するべきだろうか。


「そうだな」と京介はいった。てっきり助け船をだしてくれるのかと思いきや「今回は少数精鋭でいこう」といい放つ。


 京介にいわれてしまうとクラス全体が同じ方向を向いてしまう。ぼくは反論の余地もなく、黙って腰を落とした。


「よっしゃあ、いくぞ、おまえら」すっかり副リーダーきどりになった齊藤が、武器をあげてクラスメイトを率いる。


 残されたぼくたちは、教室の窓から意気揚々と校門をでる精鋭部隊を見送った。


 意気消沈した精鋭部隊が校門からはいってくる姿を迎えるのに、そう時間はかからなかった。


 ぼくらの精鋭部隊は惨敗した。慣れない森のなかでの戦いに加えて、四方から迫ってくるゴブリンたちを相手に、京介たちは、逃げることしかできなかったみたいだ。


「致命傷がなかったことが唯一の救いだね」先生は疲れて座り込む生徒の無事を確認して、ほっとしているように見えた。


「どうですか、戦いは怖いでしょう」


 先生の質問にはみんながうつむく「まるで授業中ですね」と先生だけが笑っていた。「先生の質問に答えられないと、みんな揃って目をそらす」


 正しい答えなんてないのに、今回ばかりはクラスのどんな秀才だって手を挙げることができない。


「どうします、諦めますか?」


 優しい言葉で手をさしのべるようなこと言っているが、結局諦めることは、そのままぼくたちのゲームオーバーを意味する。だから、京介はひとりだけ瞳の輝きを失うことなく「諦めません」と先生にいってのける。


「今度は、誰かが死ぬかもしれませんよ」


「いま戦わないと、結局おれたちはゆっくり死ぬだけだ」


「そのためなら犠牲はやむをえないと?」


「ちがう」京介は首をふった。「おれたちはだれも死なない。でも、諦めない」


「では、どうしますか」先生は導くように京介に問いかける。そして、京介は導かれるまま回答する。


「先生、教えてくれ。どうしたらおれたちは生き残ることができる」


 よろしいとばかりに先生は教室全体を見渡した。


「力を合わせることです。クラス、一丸となって」


「そんなこと」と上野が言い掛けて言葉を飲み込んだ。充分やっているなんてどの口が言えただろうか。


「まだ、まだ」先生は足りないと指をふる。「皆さんの力はこんなものではない。そうでしょう」


 先生はぼくに声をかけているのだと思った。ぼくは校庭でゴブリンたちを圧倒した。ぼくにはみんなを助ける力がある。


 ぼくは、立ち上がって京介に歩み寄った。生まれて始めて自分からなにかをした気がする。「ぼくも、戦うよ」京介にむけてぼくはいった。


 つもりだった。


「ふざけんな」振り替えると齊藤が怒りの形相でぼくにつかみかかろうとしていた。避けられる、そう思ったのに恐怖で足がすくんだ。


ぼくは教室の壁に押し付けられた。

 齊藤がぐっと顔を近づけて「おまえに何ができる」とすごむ。そして、クラスメイトのほうには大な声で「先生の言うとおりだ、おれたちはまだ戦える」と泥だらけになった武器を拾った。


「京介、もう一度だ。おれたちはまだやれる」


「ああ、やろう」京介も武器を手に取った。


 ぼくもいくよ。勇気をだして言うことができなかった。だれもぼくには期待していない、クラスの女子も先生もぼくのことなんて気にしていない。


 ぼくは、クラスの男子がぞろぞろとでていく様子を見送ることしかできなかった。


 *


「帰ってこないなー」先生は呑気な調子で窓の外を眺めていた。「あいつら、大丈夫かな」


 特定のだれに尋ねるわけでもなく、先生は教室全体に尋ねた。先生の問いかけは、ぼくたちが助けにいくこともなく教室に留まっていることを非難しているようにも聞こえた。


「どうすれば良かったんですか?」柄にもなく先生に質問なんかしてみる。先生だけでなくクラス中の視線がぼくに集まった。


「ぼくは、戦いにいこうとしました。でも、京介たちはぼくを必要としませんでした。だったら、ぼくはどうすればよかったんですか」


「奥村は、どうしたい?」


 先生の問いに返す言葉がない。答えは決まっている。ぼくはずっとちやほやされたい、認められたいと思っているから、この活躍できそうな機会を逃したくない。


「ぼくは、行きます」そうだ、きっかけが欲しかっただけだ。ぼくは剣を手に取り教室をでようとした。けれど、誰かがぼくの名を呼んで引き留めた。


 振り替えると、名前を思い出せない女子がぼくのことを見つめていた。


「えっと」名前がでてこない。「なに?」


「どうして」彼女はそう尋ねた。


 ぼくみたいななんの役にも立たないはずのやつがなぜ戦うのかと問われているのかと思ってすこし腹がたつ。「ぼくには、力がある」そう答えた。


「雪子さん」先生は優しく彼女の名を呼んだ。「言いたいことなんて、言わなくてもいい。行きたいのなら、行きなさい」


 雪子さんは訳知り顔の先生の言葉にうなずくとぼくの手を引いて教室をでた。「ついてきて」


 まるでぼくの勇気などなかったかのように、彼女はぼくを先導する。しかし、彼女の手は震えていた。それでも彼女はぼくと同じように、京介たちを助けにいこうとしている。


 道すがら、彼女は教えてくれた。


 ぼくたちは、勝てる。


 *


 -京介-


 初めから自信なんてなかった。


「おい、どうすんだよ」すっかり敵に囲まれた状況になって、リーダー気取りだった齊藤は焦った口調で京介のせいにしようとしている。


 だれのせいとか、そんな悠長なこといってる場合か?


「みんな、諦めるな!」京介は思ってもないことを口した。「おれたちはやれる。まだ負けてない」


 京介たちを囲むゴブリンたちは 勝利を確信したのか、一気に止めを刺そうとせずに、じわりじわりと追い詰めようとしていた。


 くそ、負けるとわかってたのに。リーダーなんて祭り上げられて、結局まわりの意見に流されただけだったってことか。


「おい、どうすんだよ」齊藤の声は耳障りだ。


 うるせえと一蹴できたらどれだけいいだろう。今日までつくりあげた優しくてみんなをひっぱるお兄さん的な立ち位置は、ただもてたいがために作り上げたものだったはずなのに、どうしてゴブリンとの戦いを先導することになってしまったのか。


 逃げるか。戦うか。


 京介はあたりを見回した。


 とっくに、逃げ場なんてなくなっていた。


 京介は剣を握り直した。振り回したこともない代物だ。ただ持っているだけなのに腕が疲れる。


 まともに剣を使えないやつ、臆病な剣道部、結局戦えるのは限られたやつだけだ。勢いの良かった齊藤も少し剣を振り回しただけで疲れてしまう。


 京介たちに抵抗する力は残されていなかった。


 後ずさる京介たち。


 詰め寄るゴブリンたち。


 次第に互いの間隔は狭まっていく。


「覚悟、決めるぞ」京介はこれを最期とリーダーらしいことを言ってみた。


 いったい、なんの覚悟なんだか。


「おれに続け」京介が走り出すと、クラスメイトが後に続いた。一点突破をねらってせめて逃げ場をつくる作戦にでたのだ。


 しかし、京介は目の前のゴブリンを打ち崩すことができなかった。結局、実力が拮抗しているのだから、京介はゴブリンとつばぜり合いになるだけで立ち止まるしかなかった。


「おい、どけよ」齊藤が隣で乱暴に剣を振り回す。

 口だけで、剣の使い方も知らない。


「馬鹿なやつ」京介はなかば投げやりに言った。


 聞こえて動揺したのか、たまたまタイミングがあったのか、齊藤は剣を落とした。


 京介は齊藤の名を呼んだ。逃げろと言いたかったのか、避けろと言いたかったのかいまとなってはわからない。


 果たして気でも失っていたのだろうか。


 気づくと、目の前には返り血をあびた奥村がたっていた。


 あたりには動かなくなったゴブリンの山。


「ごめん、遅くなった」奥村が顔についた血を拭う。


 ああ、おれたち、助かった。


 -奥村-


 教室に戻ったぼくらは、まさか戦いに勝ったとは思えないほど沈んだ空気のなかにいた。


「まあ、無事でなりより」先生だけは明るい。「収穫こそなかったけれど、魔物と戦えることがわかっただけでも成長だな」


 とんでもない。だれも口にはしなけれどこのときばかりは教室がひとつになる。「おれたちはなにもしてねえよ」齊藤が投げやりに答える。


「なにも?」先生はわかってない。結果しかみてないからだ。


 ぼくたち生徒は過程を重視する。どれだけ頑張ったのか、どれだけの苦悩と向き合ったのか。成果物だけでしかぼくたちを評価しない先生には、クラスで見下すための対象でしかなかったぼくに助けられてしまったことは、魔物に勝った喜びを上回るほどの屈辱でしかない。


 京介も重たそうに口を開いた。


「おれたちは、結局魔物に勝てない」


「ほう、そうですか」


 先生はひとりの生徒を見ていた。ぼくじゃない、この教室で最も優秀な能力をもつ生徒、雪子を見ていた。たぶん、彼女がその気になれば、魔物なんてあっという間に駆逐できてしまうのではないかと思うほどだ。


 しかし、雪子はせっかくの出番にも関わらず、首を横にふる。雪子はぼくと同じだから、部活には所属していたものの、決して目立つことのない存在であったが故にみんなの前で喋ることに慣れていない。


 だけど、そんなときに立ち上がることができるから、京介はかっこいいんだ。


「雪子さん、なにか知ってるんだね」


 日陰者がクラスの人気者に話かけられたとき、どうなるかぼくでなくてもしっている。


 雪子さんは明らかに動揺していた。とても自分の能力のことを打ち明けるような状態ではない。


 結局、日陰者の気持ちなんて人気者にはわからない。みんなのまえで口を開くことがどれだけ怖くて、反論されたらどうしようというプレッシャーが死ぬことよりも恐ろしいものだなんて想像もつかないだろう。だから、同じ仲間のぼくでしか、助けられないんだ。


「雪子は、みんなの能力がわかる」


 ぼくは知っているから、この一言で充分だった。日陰者は初めの一歩を部活に踏み出すために背中を教えやればいい。きっかけさえあれば、あとは、口が勝手についてくる。


 雪子は自分の能力を語りだした。


 雪子は将棋部だった。そのせいなのか、生徒の能力や適性が将棋の駒を見るように理解できるそうだ。しかも能力に応じて武器の適性もあるらしく、京介のような戦士タイプは剣、齊藤のような騎士タイプには槍が向いているらしい。手に馴染まない武器で戦っていたクラスメイトがゴブリンと渡り合えないことはいたって自然なことだと雪子は言う。


 どうしてもっとはやく教えてくれなかったんだ、とはならなかった。みんなまた希望をもつことができた。戦えない理由は適性を知らなかったからだという言い訳が成立したことで、また明日から生き残れる可能性がみえてきた。しかも、内政向きのクラスメイトもいるらしく、食糧をつくることもできそうだといわれれば、なおさら生き残りたくなるというものだ。


 雪子は文字通りぼくたちの救世主になったというわけだ。そして、ぼくの影は相変わらず薄かった。

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