第1話 襲撃

 -奥村-


 目を開けると、そこは見慣れた教室の中だった。いつも通りの退屈な空間。


 さっきの目映い光は、夢?


 いつもと違いがあるとすれば、騒がしいクラスメイトたちが静まり返っている。みんな、乱暴に運ばれた荷物のようにちらばって、教室のあちこちで倒れているということだ。


 いったい、なにがおきている。


 ちらほらと芽吹くように他のひとたちも顔をあげる。


 いつもと変わらない教室だが、何かがいつもと違うことは間違いない。


 戦争?


 だれかがいったら、みんながそうかもしれないとざわつく。


 地震?


 まただれかがいうだけで、きっとそうに違いないとざわつく。


 果たしてぼくたちの想像ではかれる程度のことが起きたのかだろうか? 普段からだれとも会話をすることのないぼくは、ひとり立ち上がってだれよりはやく外の様子を見に行った。


「これは、」予想外の光景に思わず声が漏れた。


「おい、みんな見てみろよ」ひときわ大な声のやつが窓際で声をあげた。でも、いつも饒舌なあいつもあとに続く言葉が出てこない。


 それはそうだ。ぼくだってなんと形容すればよいのかわからない。


 窓の外、校庭が広がる、校門の先、いままでぼくたちの登下校のみちが、一面木々に囲われて、森になっているなんて、どう伝えたらいいのか分からない。


「ここ、どこだよ」ヤンキーがだれにぶつけたらいいかわからない不満を声にのせる。


 問われたところでだれもわからない。みんな同じ、訳もわからず目を開けた世界が別世界だったんだ。


 いつものように騒ぐ生徒を静める先生もいない、教室中に叫び声にも似た混乱がうずまいた。しかし、周囲の環境は、ぼくたちが現実を受け止めるよりも早く展開していくものだ。


「あれ!」大きな女子の声が混乱を一時的に終息させた。けれど、続いて出た言葉は、いよいよぼくたちを恐怖に落とし込む。


「化物!」


 校門の前でわめき声のような奇声をあげている生き物がいる。ぼくたちの他にも人間がいたのか。いや、違う。あれは人間なんかじゃない。


「ゴブリン?」つい声がでた。


 教室中の視線がぼくに集まる。こんなこと初めてだ。


 ひよるぼくにクラスの女子が「なにか知ってるの?」と声をかける。ぼくは初めて女子と喋るからなんと返したらいいのかわからず、口ごもってしまう。なにか気のきいた一言を返して少しでもよく思われたいぼくの中の男の子よ、頑張れ。


「おい、なんとかいえよ」ヤンキーのひとりがぼくに詰め寄る。今度は怖くてなにも言えない。余計なことをいって、もっと気分を害されたらと思うと、なにも言えない。


「ゴブリンって、モンスターだろ」ひときわ声の大きなやつがぼくのチャンスを奪う。


 ぼくは問われるがまま頷いた。


「京介、なにか知ってるのか」ヤンキーの矛先も京介と呼ばれたひときわ声の大きなやつにむかう。


 京介は動じることなく頷いた。

「大丈夫だ。ゲームとかに出てくる雑魚モンスターだよ」


 クラスのリーダー的存在の言ってくれた大丈夫と、雑魚モンスターという言葉にみんなが安堵した。なんだ、大したことないのかと、みたことのない異形な生物に恐れはなくなった。


 外に目をやるといよいよゴブリンが校門をよじ登り始めていた。


「よし、おれたちで退治しよう」京介が号令をとる。さながらゲームの選ばれし勇者のように、まわりの人間を鼓舞して盛り立てる。ひのきの棒すら与えられてないぼくたちだけど、掃除用具入れにはホウキやモップくらいは用意されている。


 はずだった。


 京介が掃除用具入れをあけると、中からじゃらじゃらと剣やら弓やらの武器が出てきた。


 呆気にとられるぼくらは武器を手に取ることができなかった。しかし、ためらっている間にも校門を抜けてゴブリンたちが校庭に入ろうとしているとクラスの女子がわめきたてる。


「いこう」京介は足元に落ちていた剣を手に取ると教室を飛び出した。続いてほかの男たちも武器を手に取る。女子たちといえば、自分たちは戦いに無関係とばりに声援だけを送る。


 さて、ぼくはといえば、男ひとり残るわけにもいかず、残った武器のなかで一番軽そうなナイフをひろうと、重たい足取りで廊下にでた。


 ゴブリンとなんて、どうやって戦えばいいんだ。


 願わくば、ぼくの到着までに戦いが終わってますように。


 *


 一足遅く校庭にでると、そこはもう戦場だった。一方的な展開で、まもなく制圧間近といったところか。


「ゴブリンって、やっぱり強いんだな」


 ぼくは戦場に足を踏み入れることがてきず、クラスメイトが異形の化け物になぶられる一方的な展開を眺めていた。威勢のよかったクラスメイトたちは、必死の形相で武器を握りしめてゴブリンからの猛攻を防いでいる。


 考えてみれば最初から予想できた展開ではないだろうか。ぼくたちはまともな戦闘訓練をしたことすらないただの高校生で、ゴブリンたちは生きるために知恵を振り絞っていきている。それでもなんとか虐殺ではなく戦闘になっているのは、武器の差でしかなかった。ゴブリンたちが武器も持たずに襲ってきてくれたおかげで、なんとか死なずにしのいでいるだけだ。


 けど、時間の問題だった。


 ゴブリンを雑魚といいのけた戦犯である京介は、汗だくで激を飛ばしている。


 まったく、諦めるなとか、頑張れで力が湧いてくるのなら苦労しないじゃないか。


 教室の窓から悲鳴にも似た激がふってくる。黄色い声援からは程遠い、男たちが負けたら次は自分達の身が危険にさらされるのだから必死で戦えと願っているにすぎない。


 ゲームとは違う。現実は手加減してくれない。


 ぼくたちは何もできない。映像の世界で雑魚と呼ばれた魔物にだって勝てないぼくたちこそが雑魚だった。教室のなかでどれだけ威勢のよいことを言えても、ひとたび校舎のそとにでればただの子供でしかない。負けるな、戦えっていうのは簡単だ。人にどうこういう前に自分の手を動かせよ。戦わないと死ぬんだぞ。


 死んだら、どうなるんだろう。


 教室で授業をうけているだけでは感じることもなかった絶望的感覚だ。目の前に命の危険がなんの障壁もなしに迫っている。そりゃ応援にだって熱がはいる。校庭で戦う男たちが負ければ殺されてしまうかもしれないのだから。


 ところで、ぼくは何をしているんだ。


 ぼくは、校庭に足を踏み入れることもなく戦場を眺めている。ぼくは傍観者だ、非難ばかりで戦うことすらしてない。いいじゃないか。動かなければ攻められることも傷つくこともない。


 ぼくは、何者だ。いつまで、傍観者でいるつもりだ。


 気づいたら、汗ばんだ右手はナイフを握りしめていた。


 おいおい、らしくないことを考えてないか? クラスの人気者の京介が勝てないんだぞ。日陰者のぼくが敵うわけないじゃないか。教室のなかの誰よりも弱くて、目立たない男がひとり加わったところで、戦況がよくなるわけがない。わかっているけれど。


 言われるがまま死ぬくらいなら、足掻けよ。


 踏み出した運動靴が校庭の砂利をつかむ。大嫌いな体育の授業に向かう時とも違う、高揚感と緊張感が入り交じった感覚だ。


 早々に 一匹のゴブリンがぼくの戦闘参加に気づいたようだ。にやりと不気味な笑みを浮かべ、けたたましい雄叫びをあげると、ぼくを目掛けて走ってくる。


 やばい、怖すぎる。不気味に骨ばった身体がぼくの命を狙うために迫ってきているぞ。動け、すくんでいたら殺されるだけだ、戦え、戦うんだ。


 いよいよ目の前まで迫ってきたゴブリンが腕をふりあげる。ぼくを殴ろうとしているんだ。細い腕だけど拳は殴られたら痛いんだろうな。あの尖った爪が刺さったら死んでしまうのかな。


 ぼくは身構えていた。けれど、いっこうに殴られない。


 いや、遅くないか?


 ぼくが足を引くとゴブリンの拳は空を切る。


 避けられる。こいつ、遅いぞ。


 もう一発、ゴブリンが拳をふりあげた。


 まただ。ぼくにはよく見える。スローモーションのようにゴブリンの動きがゆっくりに見える。


 ゴブリンがぼくを馬鹿にして手加減しているのか、試しになぐられてみれば分かるか、目で追える程度の速度なら殴られても痛くはないだろう。


 今度は下がらないままゴブリンの拳を頬に受けてみた。


「痛い!」


 目の覚めるような痛みと脳が揺れるような衝撃に後ずさりさせられた。


 手加減なんてとんでもない。ゴブリンは確かにぼくのことを殺しに来ている。


 ゴブリンは追撃の手を緩めない


 まだ意識がはっきりしない。視界がぼやける。でも、何かが迫ってきていることはわかる。

 逃げなきゃ、逃げなきゃ。


「逃げない!」


 ぼくば、手に持っていたナイフをふりあげた。ナイフの使い方なんて知らない、無我夢中で迫ってくる物体にむけて振り下ろした。


 ぼくは、死んでいない。


 次第に鮮明になる視界の中では、喉をおさえて悶え苦しむゴブリンが校庭の砂利を赤く染めていた。


「ぼくが、やったのか」


 手に持っていたナイフには、身に覚えのない血がついていた。

 本当に、ぼくがあのゴブリンを倒してしまったのか。


「おい、こっちも頼む」ひときわ大な声がぼくにむかって飛んできた。


 声のした方向に顔を向けると、汗だくで必死な顔をした京介がぼくに助けを求めていた。あのクラスで人気者だった京介が、存在すら認知されてないかもしれないぼくを頼るなんて。


「夢みたいだ」


 けれど、ぼくに何ができるだろうか。ゴブリンを倒せたのだって、たまたまかもしれない。群の中で一番弱いゴブリンだったかもしれない、それでも、頼られた高揚がぼくを後押しする。


 気づいたら、ぼくはゴブリンをひとりで全滅させていた。

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