第9話
「あ、儀一くん、またここ間違ってるよ」
「え、何処だよみどり」
「ほら、ここっ」
「……げ、本当だ」
「もう、しっかりしてよ?」
みどりにそう言われ、俺は苦笑いを浮かべた。
来週から七月になろうとしているこの日。俺はみどりに勉強を教えてもらっていた。
元々隣の席だったという縁もあり、今ではすっかり仲良くなっている。
正直、学校のアイドルと気軽に話せる今の状況を、俺は悪く無いと思っていた。当然、教室内外から男子の嫉妬の目線は凄まじい。だが、それは俺が無視すればいいだけの話。逆にみどりの方に迷惑がかかっていないか気になったが、それも今のところ大丈夫のようだ。だから、俺は忘れていた。
こういう時、必ず絡んでくるあいつの存在を。
「それでぇ一体宍戸は、いつまでオレの彼女にまとわりつくぅつもりなんだい?」
呼び出された場所に到着するなり、原は俺にそう切り出した。
原が俺を呼び出した場所は、草刈機や鎌など、主に除草作業で使うものが入っている倉庫の前。だが、倉庫は一階の渡り廊下から丸見えで、誰かがここを通る可能性も高い。呼び出すなら、普通誰にも見られない場所にするはずだが……。
まぁ、原のことだ。通りかかった人にすぐ助けを求められるよう、この場所を選んだのかもしれない。
俺は肩をすくめながら、原に答える。
「彼女って、みどりのことか? あんだけ派手にフラれといて、まだ諦めてなかったのか?」
「うるさいっ! みどりちゃんの名前をぉ、気安く呼ぶなっ!」
本当に、まだ諦めていないらしい。粘り強さは買うが、ここまで来ると逆にストーカーにならないか心配だ。
「それでぇ宍戸。どうなのだぁ? いいかんげん、彼女を開放してやれぇ。お前と彼女ではぁ、釣り合わなぁい。ゾンビとぉ仲良くやっている、貴様とではなぁ」
俺は指を鳴らしながら、原との距離を縮めていく。
「……なるほど。今日こそボコボコにして欲しいわけか」
「おやぁ? 何故そんなに怒っているんだぁい?」
このクソは、一体いつになったら学習するんだっ!
俺は、言葉と共に、拳を振り上げた。
「そんなの決まってんだろっ! あいつはーー」
「好きなのかぁい? 森下弓子のことがぁ」
振り上げた拳が、止まった。
待て。こいつは、今なんて言った? 俺が、森下のことを好き?
「もぉちろん、ここで言う好きは、LIKEではなくぅ、LOVEのことだよぉ」
そう言いながら、原は蟹のような横移動で、徐々に場所を変えていく。しかしその程度の距離では、俺から逃げられない。
それでも、さっきから心臓が鳴り止まない。原から突きつけられた疑問に、なんて答えればいいのかわからない。
森下は、大切な存在だ。なら、それは愛していると言えるのか? 森下に、愛してると言ったとして、今の関係が崩れてしまったら、どうする? 俺は、もう森下にいなくなって欲しくない。この関係が崩れたら、森下は俺の前からいなくなってしまうかもしれない。それは、それだけは、嫌だった。
いや、それよりも。
俺はこれからずっと小学校四年生の姿のまま生き続ける彼女と、死ぬまで一緒にいる決意が出来ているのか?
「さぁ、どうなのだぁ? 宍戸。お前はあのゾンビのことをぉ、愛しているのかぁい?」
だから俺は、無難で、中途半端で、最悪な答えを口にした。
「森下のことは、好きだ。幼馴染として」
後ろから、何かを落とした音がする。夏なのに、体が底冷えするほどの悪寒を、俺は今感じていた。
振り返りたくない。でも、振り替えざるを得ない。
だってそこには、きっと彼女がいるから。
「……ぎー、ちゃん」
そこには、手にした教科書と筆箱を落とした森下の姿があった。茫然自失となっている森下を、一緒にいた新藤さんとみどりが支える。
何故、どうしてここにいると考えて、俺は自分の致命的なミスに気がついた。
次の授業は、音楽だ。俺は原から呼び出しを受けていたので、新藤さんとみどりに森下を音楽室まで連れて行ってもらうよう頼んでいた。そして二年三組から音楽室へ行くには、一階の渡り廊下を使うのが最短ルート。
原がここに俺を呼び出したのは、誰かに助けを求めるためじゃない。俺が森下を、どう思っているのか直接聞かせるものだったんだっ!
「ざぁんねんだったなぁゾンビ! 宍戸はお前のことなんてぇ、ぜっんぜん愛してなぁいってさっ!」
狂ったように笑う原の言葉を聞いて、森下は一瞬身を震わせ、きた道を走って戻っていく。
今すぐ原をぶっ飛ばしてやりたいが、今は森下を追うのが先だっ!
俺は原を憤怒の表情で一瞥すると、森下を追いかけ、られなかった。
「あんたたち、何やってるのよっ!」
俺の行く手を塞ぐように、新藤さんが仁王立ちしている。
「どいてくれ、新藤さん!」
「ダメよ。二人とも、今から何でこうなったのか説明してもらうから」
「それは原に聞いてくれ! あいつが全部悪ーー」
そこで、新藤さんに殴られた。口の中が少し切れたのか、舌の上に鉄の味が広がる。新藤さんの拳は耐えられないものではなかったが、突然の事だったので、俺の思考が粉々に砕けた。
一瞬、何も考えられなくなる。みどりに殴られた時の原も、こんな感じだったのだろうか?
「あいつが全部悪い、ですって? 私の天使弓子ちゃんを泣かせておいて、よくもそんな口が聞けたものねっ!」
その言葉で、一瞬にして血が頭に上る。砕けたままの思考で、俺は何も考えず、口を開いた。
「俺が悪いっていうのかよっ!」
「そうよ! あんたが悪いのよっ!」
新藤さんに、胸ぐらをつかまれる。二人の距離が縮まり、彼女のメガネの奥にある瞳に、涙がたまっているのがわかった。
「何でわかってあげないの? 何で理解してあげないの? 何で幼馴染ってことを言い訳にして保護者ズラしてるの? ちゃんと見てあげてよっ! 弓子ちゃんはね、弓子ちゃんは、外見は小学校四年生に見えるけど、私と同じ、儀一くんと同じ、中学二年生なんだよっ!」
新藤さんのその言葉に、俺は愕然とした。彼女の言う通りだ。俺は意識的に、森下を一人の女性として見ていなかった。小学校四年生という外見だけが原因じゃない。俺は彼女との、幼馴染という関係を壊すのを、極端に恐れていた。今のままの関係で、いいと思っていた。それでいながら、その関係を続ける覚悟が出来ていなかった。
でも、森下は違った。
『一緒だねっ!』
職員室で森下が言った一緒という意味は、教科書を見せ合う俺とみどりのことだ。
俺とみどりのように、俺と森下が一つのモノを見ているから、あいつは一緒だねと言ったのだ。つまり森下は、俺とみどりの関係に嫉妬していた。それを俺に気づかせようとしていた。
『ぎーちゃんは、何でみどりちゃんを見るみたいに、わたしのことを見てくれないの? 背が低いから? 胸が小さいから? いつまで経っても、わたしが大きくなれないから?』
あの時森下が何に不安がっていたのか、今の俺ならよくわかる。
取られると思ったのだ。俺をみどりに。見て欲しかったのだ。自分を一人の女性として。
俺は、今まで一体あいつの何を見ていたのだろう。あいつの方がよほど大人で、あいつの方がよほど俺たちの関係を真剣に考えていた。
新藤さんの手が離れ、俺はその場に崩れ落ちる。新藤さんは俺のそばを通り過ぎ、今度は原に食って掛かった。視界の端で、みどりが申し訳無さそうにしている。みどりがそんな顔をする必要はない。全て、俺が悪いのだ。
「おい。お前ら何やってるんだ? こんな所で。もう授業始まるぞ」
「あっ、檀原先生……」
みどりが、檀センに事情を説明した。ひとまず森下の件は檀センに任せることにして、俺たちは授業を受けることになった。
でも、こんな状態では授業の内容なんて、全く頭の中に入って来ない。今すぐにでも、森下を探しに行きたい。
結局、今日の授業が全て終わっても、森下は教室に姿を見せなかった。
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