第8話

 夏の太陽は、沈むのが遅い。六月の夕日はアスファルを茜色の絨毯に変え、田んぼに青々と生えた稲穂を真っ赤に染め上げている。

 この時期、学校からの帰り道はいつもこんな感じだ。去年も森下と一緒に見た光景であり、来年も森下と一緒に見ることになるであろう光景。森下の歩幅に合わせれば、後十五分は田園風景が続き、そこからポツポツと民家が現れる。そこから更に十五分歩いた所で、ようやく俺たちの家に到着する。

 夏服姿の俺たちは、いつものように森下と手をつなぎ、いつものように学校であったことを話しながら、茜色の絨毯の上を歩いていた。

「それでさ、やっぱ若桑ってすげーんだよ。頭いいやつって、教えるのもうまいんだな。あいつに説明してもらえると、わからなかったところも納得できるんだよ。……森下?」

 いつもなら森下から何かしらの反応があるはずなのに、今日はそれがない。

 森下に視線を向けると、幼馴染は珍しく硬い表情をしていた。

「おい、大丈ーー」

「ぎーちゃん。最近、みどりちゃんの話しか、しなくなったね」

「そうか? あんまし意識はしてねーけど」

「……そうだよ」

「まぁ席が隣だからな。どうしてもそうなっちまうよ」

 俺の言葉を聞いた森下は、つないだ俺の右手を、ぎゅっとつかんだ。つかんだだけだ。それ以外、口も開かなければ、足も動かさない。

 俺も自然と、足を止める。

「……多分ぎーちゃんは、わたしと隣の席になっても、そんなに沢山、わたしのことお話してくれないよ」

「いや、そんなことはねぇよ」

「あるよ」

 森下は断言した。

「ぎーちゃんは、何でみどりちゃんを見るみたいに、わたしのことを見てくれないの? 背が低いから? 胸が小さいから? いつまで経っても、わたしが大きくなれないから?」

 マズいと思った。森下が、何かに対して不安がっている。でも俺には、幼馴染が何に対して不安に感じているのかがわからない。いや、わからないフリをしている。

 それでも俺は、今この手を放してしまえば、また森下が何処かに行ってしまうというのだけは、理解していた。

「違う! 俺はお前のこと、ちゃんと大切なーー」

「あっはっはっはっはっはっ!」

 背後から聞こえてきた笑い声に、俺は思わず森下を庇うようにして振り向いた。

 いつからそこにいたのか、振り向いた先にいたのは、若干メタボ気味の中年男性。腰まで伸ばした白髪交じりのボサボサな髪が、妙に気持ち悪かった。

「……お前、一体何者だ」

「失礼。俺は、こういうものである」

 そう言って男は、俺に一枚の名刺を差し出した。俺はそこに書いてあった内容を読み上げる。

「『含羞草』代表、木村 鷹太郎(もくむら よたろう)?」

「いかにもっ! 俺は堕落したこの日本に秩序を取り戻すべく立ち上げた、『含羞草』の代表であるっ!」

 ヤバイ。どう考えても、木村は頭がイッちゃってる方面の人だ。絶対に関わり合いたくない。俺は森下を一瞥し、手を引きながらゆっくりと、木村から遠ざかろうとした。

「君っ!」

 なんだよ絡んでくんなよっ!

 俺を指差す木村に舌打ちで返事をすると、奴は俺に向けていた指を俺の後ろ、つまり森下に移動させた。

「その子、復帰者だな?」

 握った森下の手が、震えたのがわかる。幼馴染が怖がっているのを確信し、俺は木村を睨みつけた。

「悪いが、急いでるんだ。誰かにかまって欲しいなら、他をあたってくれ」

「まぁそう言ってくれるな。君にも有益な話しになると思うのだがね」

 そう言って、木村はニヤリと嫌らいい笑みを浮かべる。

「輪廻転生という言葉がある。簡単にいえば、死んだらあの世に行きましょう、この世に帰ってくるなら生まれ変わってから、というものだ。死んだ後もこの世に残るのは、秩序を乱すことに繋がる。生きている人にとっても、蘇った人にとっても」

 その言い分で、俺は確信した。

「ごちゃごちゃ言ってるが、要はお前が復帰転生法に反対してるってことだろうがっ!」

「いかにもっ! ならば話は早い。是非その復帰者を開放してーー」

「うるせぇっ!」

 最後まで喋らせる前に、俺は木村の股間を蹴りあげた。ぬほっ、という表情で崩れ落ちる木村を見下ろしながら、俺は吐き捨てるように言葉を紡いだ。

「何が復帰者の開放だ! 結局お前らが復帰者を気に入らないから、もう一度殺そうって言ってんだろ? ふざけんな。ふざけんじゃねぇよっ! 秩序がなんだか知らねぇが、俺はこいつに生きてて欲しいんだよっ!」

 そう言って俺は、森下を引きずるようにその場から駆け出した。木村が内股でこちらに手を伸ばし、何か言っているが、知るかっ!

「あれ? そういえばあいつが来る前、俺たち何について話してたんだっけ?」

 民家が見え始めた当たりで、俺は走りながら森下に振り返った。何か、とても大事な話だった気がする。

 だが、森下は首を振った。

「だいじょーぶ。もうだいじょーぶだよ、ぎーちゃんっ!」

 そう言って、森下は俺の腕に自分の腕を絡ませた。

「守ってくれて、ありがと。ぎーちゃん」

「……おう」

 当然だ。幼馴染として、俺は当然のことをしたまでだ。

 それが功を奏したのか、森下はいつもの森下になっている。

 だから俺は、この件は解決したと、頭の隅に追いやった。

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