第4話

 俺たちの通っている皆神中学校(みなかみちゅうがっこう)に着くまでに、森下の調子は何とか復活していた。二年三組の扉を開け、森下と共に教室の中へ入っていく。

「おっはよー!」

「うーっす」

 適当に挨拶をしながら、森下は仲の良い友達の元へ。俺は自分の席、窓際の一番後ろの席へと向かっていく。すると、誰かがこちらに向かって話しかけてくる。

「おやぁ、朝から夫婦そろってご登校ですかぁ。いいご身分ですねぇ」

 俺は思わず舌打ちをした。毎朝のことながら、めんどくせぇ奴に絡まれちまった。

 背後を一瞥すると、そこには予想通り面倒な奴が立っていた。何かにつけて俺に絡んでくる、原 丸太(はる まるた)だ。原はそこそこイケメン。なのだが、妙にキザったらしいところがあり、似合っていないオールバックの髪型と相まって、そのナルシストっぷりが気持ち悪い。原は去年森下に告白、玉砕してから、森下とよく行動を共にする俺と、自分をフッた森下を目の敵にしている。

 もう一年以上絡み続けられているので、今では俺と原の喧嘩はこのクラスの日常の一つとなっていた。行き過ぎた発言や行動がなければ、クラスの連中は特に何もしようとしてこない。原はいつも口だけで、拳が飛び合うようなことにはならないと、皆知っているからだ。

 しかし一見大したことなさそうに見える原だが、こいつはヤバイ一面を持っている。何がヤバイって、こいつ恐ろしいことに、何と学ランの襟カラーだけでなく、第一ボタンまで開けているのだっ! 更に学ランの下に、真っ赤なTシャツを毎日着てくるっ!

 くっ、俺ですら襟カラーのホックを外すのが精一杯だというのに、第一ボタンだと! 正気か? 三年生の先輩に目ぇ付けられたらどうするんだっ!

 俺の動揺何ぞ気にせず、原が口を開いた。

「しかしぃ、あぁんな小さい子を手篭めにするとはぁ。宍戸は、ロリコンなぁのかい?」

「それ、思いっきりブーメランだと思うぞ」

 そう言いながら、俺は自分の席につく。

 原は一瞬口角を引き攣らせた後、左手で、自分の鼻を摘んだ。

「おぉやぁ? 何か、宍戸からぁ臭うぞぉ」

 俺は、警告のつもりで原を睨みつけた。それ以上は、行き過ぎた発言だ。

 しかし、原はそれに気づかないのか、口を閉じることはなかった。

「確かに、感じるぞぉ。くっさいくっさい臭いだぁ。これはいわゆるぅ、ゾンビ臭かなぁ?」

 原が喋り終わる前に、俺は机を両手で叩きつけ、椅子が床に倒れる勢いで立ち上がる。

「な、なんだよ、宍戸。オレと、やろうっていうのかぁ?」

 俺に睨みつけられた原は、震えながらファイティングポーズを取る。俺が歩き出そうとした、その瞬間ーー

「こらー! あんた、何言ってんのよっ!」

 クラスの委員長を務める、新藤 純子(しんどう じゅんこ)が、俺たちの間に割って入った。新藤さんはキッチキチに校則に則ったセーラー服を揺らしながら、ピンク色のフレームメガネの位置を直す。原はやって来たのが新藤さんだとわかると、決まっていないキザったらしい笑みを浮かべた。

「何だぁ、新藤じゃぁないか。悪いけど、告白は遠慮して欲しい。オレは宍戸とのーー」

「馬鹿なこと言わないで頂戴! 気持ち悪いっ!」

 肩まで伸ばした髪を揺らし、新藤さんは原を一刀両断。

「き、気持ち悪い? オレ、が?」

 切られた原は、目を闇色にしながら、床に崩れ落ちていく。原は森下にフラれてから、誰彼構わず告白しては玉砕するのを繰り返していた。一人の人生を壊すとは、俺の幼馴染は魔性の女なのかもしれない。

「原くん、さっきゾンビ臭って言ったでしょ。儀一くんからそんな臭いがするわけないし、弓子ちゃんからもするわけないわっ!」

「で、でも新藤! あいつはゾンビーー」

「ゾンビ? ゾンビだからなに! こんな可憐で美しい天使のような弓子ちゃんが、臭いわけないでしょうがっ!」

 いきり立った新藤さんは早速森下を連れてくると、まるで森下を売り出すセールスマンのように口を開いた。

「いい? 弓子ちゃんを蘇生させた方法は、フランツ・アントン・メスメルの動物磁気(アニマルマグネティズム)の考え方を応用したものなの。メスメルは月が潮の干満に関係するように、人の体にも潮の干満があると考えたわけ。そこで日本政府はーー」

「おはよう。儀一」

 新藤さんの演説を聞いていると、後ろから声をかけられた。

 そこに立っていたのは、原とは違い、まごうことなきイケメンだった。背も高く、耳が隠れるぐらいに伸ばした髪に、緩くパーマをかけたその髪型が、なお彼のイケメン度をアップさせている。彼の名前は、臼田 昭(うすだ あきら)。二年生になってから知り合ったのだが、すぐに仲良くなった。それ以来俺は、昼飯の時だったり授業の合間は、大体こいつとつるむようになっていた。

「またやってるんだ、新藤さん」

「ああ、そうなんだよ」

 既に自分の席に椅子を元に戻して座っていた俺は、視線を昭から新藤さんへと移す。すると、彼女の熱弁はまだ続いていた。

「ーーだから電子が動く限り、臓器は動かし続けられるわけ。そんな訳で復帰者は普通の人間と変わらず食事もできて、怪我をしても自然治癒力が働き、こんなに温かいのよぉっ!」

「わ、わー! じゅんこちゃん、苦しーよーっ!」

 いつの間にか床に正座をさせられている原の前で、わけもわからず連れて来られた森下が椅子の上に立たされ、机の上に乗った新藤さんに全力でハグをされていた。二人とも上履き脱いでないけど、大丈夫か?

 あわあわ言っている森下に頬ずりしながら、新藤さんの話も佳境に入る。

「という訳で、弓子ちゃんが臭いわけがないし、本当に臭いと思っているのなら耳鼻科に行くか、顔面をコンクリートに打ち付けておくといいわ。鼻を重点的にね。それにしても、復帰者は自分が死んだ時点での体の大きさで動かせる電子の総量が決まるから、復帰者は身体的な成長は見込めないのよねぇ。成長したら電子が体中に行き渡らなくなって、臓器が機能停止しちゃうから。だから天使弓子は、永遠にこの姿なの。すばらしいわっ!」

 無言で隣に立ち続ける昭に、俺は視線を送った。

「新藤さん、成績はトップクラスなんだけどなぁ。でも、ああいうマッドサイエンティスト的なところは、もう少し抑えてもらいたいよね」

「いや、あれは単に、新藤さんが森下のことを可愛がり過ぎてるだけだろ。ところで昭」

「何だい? 儀一」

「お前、いつまでそこに立ってんの?」

 未だ席に着こうとしない昭は、無言で森下と新藤さんが立っている椅子と机を指さした。

「あれ、僕の席なんだよね」

「……何か、色々すまねぇ」

「あははっ。大丈夫大丈夫、気にしてないし。それに、儀一が謝ることじゃないでしょ」

「まぁ、そうなんだけどよ……」

 うまく言葉が出ず、俺は頭をかいた。

 そんな俺を尻目に、昭は新藤さんとじゃれあっている森下に視線を注いでいた。

「復帰転生法が施行されてからもう二十年以上経つけど、まだ復帰者に対する偏見は残ってるんだね」

 正確な定義があるのかもしれないが、死体から蘇ったと聞けば、大体の人がゾンビを連想する。だから復帰者のことを、ホラー映画に出てくるゾンビのように考える人は少なからずいた。ゾンビは愚鈍で腐敗臭を発し、生きている人間よりも下等な生物だと。

 全く、ふざけた話だ。

「……身内が死んだ時、思い知るだろうさ。なんて馬鹿なことしていたんだ、ってな」

 話しながら、今朝通学途中に見た復帰転生法に反対する奴らのことを思い出してしまった。

 ……原といい奴らといい、何で一緒にいられなくなった人とまた一緒に生きられる奇跡を、素直に喜んで受け入れねぇんだよっ!

 苛立ちが顔に出ていたのか、昭は慌てて口を開いた。

「でも、弓子さんは儀一がいつもそばにいるから、何かあっても大丈夫だよね」

「あ、ああ」

 昭の言葉が、俺の心に刺さった。鋭く、深い痛みではない。まるで俺の心を、まち針でほんの少しだけ刺したような、そんな痛みだった。

 新藤さんの演説がようやく終わり、自分の席に向かう昭を見送りながら、俺は苛立ちとは違う、焦りのようなものを感じていた。

 ……俺、森下のこと、弓子って呼ばなくなったの、いつからだっけ?

 小学校の時、森下が復帰者として蘇った後も、まだ弓子と呼んでいた記憶がある。

 だとしたら、あいつの呼び方を森下に変えたのは、中学生になってからか?

 多分、そうだと思う。だからきっと、その時からだ。森下との距離感が、わからなくなってきたのは。

 最初のきっかけは、何だったっけ? 教室に手をつないで入ったのを冷やかされた時? 森下が俺を中学校でぎーちゃんって呼んだから? 俺が寝ているベッドにまだ無防備にダイブするから?

 でも、そんなことは小学生の時にもやっていたことだ。風呂にだって一緒に入ったこともあるし、同じ布団で寝たこともある。でも、今同じことをしようとするのは、絶対無理だ。試しに想像しようとしても、想像しようとしたことに、何故だか罪悪感を感じる。

 そう俺が感じてしまうのは、森下にそうしたいといえば、彼女なら受け入れてくれると思っているから? それとも、実現してしまうことを恐れているから?

 これから全く変わらない、成長しない、一生小学校四年生の姿をした、森下に。

 違う! クソ、なんだよこれっ! 何なんだよ、この感覚はっ!

 森下が死んで、蘇って。俺は森下が、またいなくなってしまうのが怖くなった。

 森下は俺にとって、大切な、大切な幼馴染だ。何にかえても守りたいと思う。

 でも本当は、一緒に通学する森下に手を握られるだけで、俺の心は黒板に爪を立てたようにかき乱されている。中学生のうちは、まだいいだろう。でも、高校、大学になって、俺は今みたいに、今と全く変わらない森下と手をつなげるだろうか?

「おーい、お前ら。席につけー」

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