第4話 婚約破棄まであと8日-2
エレナが怪我をした原因はオスカーにある。
そう信じて自分たちを強硬に拒絶するルイーズに対し、粘っても意味が無いとオスカーは判断した。
追い立てられるようにして伯爵邸を後にすると、馬車の中には気まずい空気が漂う。
「……なんだったんだ、今のは」
「さっきのルイーズって女性は、エレナ嬢の家に昔からいる使用人なんだよね。オスカー、知らないの?」
「この家には初めて来たからな」
「は? 婚約して三年だよね? その間、一度も? ええ……それはちょっと、あんまりじゃないかなあ」
友人からの非難めいた視線を避けるように、オスカーは外を見る。
車窓に映る自分の顔は、不満そうに顰められていた。
(ルイーズ・バッソ……もとはエレナの母親について隣国から来た侍女だったな)
エレナの実母カタリナは隣国の貴族で、元を辿れば旧王家に連なる家筋だ。
とはいえ、そんな歴史があるだけで今はただの一貴族にすぎない。
代々跡継ぎに恵まれないことが多く、エレナの伯祖父にあたる現当主にも子はない。
縁戚も減っており養子を迎える予定もなく、かろうじて残っている家名も今代で途絶えることが決まっていたはずだ。
権勢は振るえなくても貴族社会では血筋も重視される。
特に、かつての王女である先祖に瓜二つと言われた美貌のエレナの母には崇拝者が多く、ボールダー伯爵に嫁ぐ際、数名の使用人が自ら強く望んで隣国から付き従ってきたほどだ。
ルイーズはその筆頭で、カタリナを女神のように崇めていたらしい。
カタリナの死後は、かしずく対象が実子であるエレナに移ったのだろう。だが――
(……気に入らない)
オスカーからエレナを奪い取る――奪うという言い方がぴったりだった――あの乱暴さは、主家の令嬢、しかも怪我人に対して扱いが雑すぎる。
いくらオスカーの傍にいさせたくないからだとしても、納得しがたい。
(引き止めれば辛い時間が長引くだけと、そのまま行かせたが……正しかっただろうか)
子爵家で意識を取り戻した時より遥かに不安そうに揺れた瞳が頭から離れない。
今頃は、オスカーを追い払って腹立たしさを収めたルイーズが甲斐甲斐しくエレナの世話を焼いているはずだ。
何度となくそう自分に言い聞かせても不信感が拭えない。
(ずっとエレナを避けてきた俺がそう思う資格はないが)
オスカーとエレナの婚約は、当人を蚊帳の外にして親たちが取り結んだものだ。
両親の死後、伯爵家とは最低限の付き合いしかしておらず、ボールダー伯爵夫妻とオスカー自身は親しいと言えない。
だから伯爵家の方針と言われればそれまでだが、どんな基準で使用人を選んでいるのか甚だ疑問である。
気にかかるのは屋敷もだ。
住まいは住人を映す鏡である。令嬢が一人で過ごしていて使用人の数が少ないにしても、あの暗く物々しい雰囲気は、照明に使う費用を渋っているせいだけではないだろう。
(俺は本当に彼女のことをなにも知らない)
先日、同級生で集まった際に「好みと違うアクセサリーを贈って恋人に責められた」とぼやく友人を皆で揶揄ったが、好みどころの話ではない。
エレナが普段どんな暮らしをしているのか。
オスカーとだけでなく、家族とも関係が悪いのか。
友人と呼べる人はいるのか。
趣味や食べ物の好みさえ、エレナに関する個人的なことをオスカーはまったく知らず、知ろうとしなかった。
望んだものではなくとも三年も婚約していて、この一年は彼女の家族よりもずっと長く近くにいたはずなのに。
(……これでは、記憶を取り戻す手助けなど到底できやしないな)
ウェスト家で鉢合わせるたびに口論をしていたクリスタベルのほうが、エレナに関してよほど知っているだろう。
また溢れそうになる溜息を堪えるオスカーに、ジェイクが話しかける。
「エレナ嬢は使用人のことも覚えていなかったね」
「あ? ああ、そうだな」
そういえば、ルイーズを見てもエレナは過去を思い出さなかった。
母の侍女であり今は自分の侍女なら、よほど親しく接していただろうに。
「屋敷を見ても反応なかったし。まあ、過ごすうちに思い出すかもだけど、期待はできなさそうだなあ」
「それは医師としての所見か?」
「いやー、勘だよ。医師として気にしているのは怪我のほう。頭の傷はまだ塞がっていないし、肩だって痛みが引いたら回復訓練をしたほうがいいしね。まずはそっちをちゃんと治して、記憶のことはその後でいいかな」
「そうか」
「ねえオスカー。診察は1日おきって話にしてたけど、やっぱり僕も毎日行くよ」
「ジェイク、それは……」
ジェイクがエレナを案ずるのは医師として当然だ。なのに、なにかが気に障る。
記憶をなくしており、外傷も完治していないエレナが注意を払うべき患者であることは間違いないだろう。
しかし、ジェイクの申し出は、それだけが理由だろうか。
ジェイクに対しては当のエレナも構えた感じがなく、肩の力を抜いている気がする。
婚約を破棄する前提のオスカーに気まずさを感じるのは当然だ。
そう分かってはいるものの、なんとなく――面白くない。
「『それは』、なに?」
「……なんでもない。分かった、頼む」
ありえない心の動きを咳払いでごまかす。
ルイーズが明日もまたあの剣幕で責めてくるなら、オスカーが一人で行けば難癖をつけて追い返されかねない。
「医師の診察」は訪問を拒否させない十分な口実になるだろう。今のエレナは争いごとを好まないようだったから、穏便にできるならそのほうがいい。
(そういえば、夢の中での夫は温和な性格の職人だと言っていたな)
たとえなにかで口論になっても気づいたら笑ってしまっていて、喧嘩らしい喧嘩をしたことがないと懐かしそうに言っていた。
特別なことはなくても幸せだったのだと語るエレナは、夫に愛されて幸せな結婚をした妻の表情だった。
エレナは夢を見たと言うが、頭を打ったせいで現実と想像が混ざったのだろうとジェイクは考えているようだ。
(想像にしては、現実感がありすぎる気はするが)
聞いていて引っかかる矛盾や破綻もなく、話すときのエレナの雰囲気も相まって「本当にあったこと」だと、こちらまで信じてしまいそうになる。
話す内容から察するに、時代背景は自分たちより上の世代――祖父母の若い頃に近いようだ。
(……嘘であっても、害がないなら問題ない)
今のエレナの支えになっているのだから、頭ごなしに否定するのも良くないだろう。
だが――過去の行動は消えない。
一時的に別人のようになっているだけで、明日にはかつてのエレナに戻って、また顔を見るのも嫌になるかもしれない。
その警戒も拭えないのにやけに気に掛かって、オスカーの胸は晴れない。
「湿布だけは強引に置いてきたけど、貼り直してくれてるかな」
ジェイクは以前のエレナを知らない。
こだわりなく心配できる友人を羨みそうになる気持ちを、言葉と共に呑み込む。
自分でもよく分からない不機嫌をはぐらかすように、オスカーは脚を組み直した。
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