6章

はやく、帰らないと。         

あいなに、聞かないと。

一段飛ばしで階段を駆け上がる。    

はぁ、はぁ、はぁ。

普段こんなに走らないから、こんな階段ぽっちでも、息が切れる。       

苦しい、つらい。

はぁ、ついた。家までの道のりが、やけに長く感じた。

勢いよくドアを開ける。

「うわっ、一樹さん、随分と早かったですね。」

「-っああ…」

「?どうかしました?」       

「どうかしました、じゃねぇよ。」

「はい?」

「お前、人間?」

「-っな、何言ってるんですか、そりゃあ人間にきまって-」

「嘘だな。」

「え?」

「お前、人形だろ。」

「…」

「正確には、元人形、と言った方がいいかもしれないな。」

「-なんの噂?」

「…は」

「どこで知ったどうやって知ったどこで失敗した!!!!!」

「…バイト先の、店長から聞いた。」

「…どんな人」

ついさっき激情をあらわにしていたのと打って変わり、冷ややかな目でこちらを睨め付ける。

「す、菅原、太一っていう、60後半の、おじいさん、だ。」

「…あー、太一か。ばらしちゃったんだ、そうかぁ。」

「知って、るのか。」

「まあ、太一になら、バラされても、まあ、いっか。随分好き勝手したもんなぁ。ここいらで諦めろってことなんだろうなぁ。いやだけどなぁ。どうせやめないのになぁなにがしたいのかなぁあのじいさんはなぁほんと」 

「聞いてるのか!」 

「…聞いてたとしてこたえる義理はないんだよなぁ。…でももういっかぁどうせいなくなるしなぁ。」

「…」

「いいよ長くいたよしみでこたえてあげる。今まで会ったいろぉんな人の中でいっちばん長くいたからね。あのねぇ、太一はねぇ猫なんだよ。あの子と一緒にいすぎちゃったせいで猫の人格の他に人間の人格まで持っちゃった猫なんだよぉ。あの子の家によくきてた野良猫。認識はお互いしてたけどなんせあっちはにゃーとしか言えずこっちは声を発することすらできない身でさぁ。まあ最後のときはなんとか意識の中に声をとばすことには成功したけどさあ。そっかぁ、あいつ菅原って名乗ってるのかぁそういやあの子の苗字菅原だったなぁ今度からアタシもそうしようかなぁ、太一がどこまで言っちゃったかは知らないけどまあどこでもいっかぁ」

「おち、つけ」

「…-けって」

「え?」

「どうやって落ち着けって?!今までずっとずぅーっっと上手く隠してきたのにあいつのせいでぜーんぶぶち壊されて引っ掻き乱されてもうなんなの?!女神さまは見当違いだし!」

「とまれ、と」

「ずっと一緒にいたんだよ?!アタシが作られた時からずーっと一緒!アタシは一人を知らなかったし一人になるなんて思ってもいなかった!でも!急に終わった!アタシだけは一緒だって信じてたのに!ずっと一人で孤独だった!もう何十年動き続けたかなぁ!一人ぼっちを噛み殺して、のんで!そうやって嫌な気持ちを無かったことにできてたのに!なんの関係もないあの野良猫なんかにぶっ壊されてさあ!」

「落ち着け。」

「どう落ち着けってんだ!-っゔゔっ!」

「……あいな、落ち着け」        

「…ふはっ」

突然、息をつくように笑われた。

「なにか、おかしいか」

「…だって、一樹さん、初めて呼んだよ、名前。」

「…あ」

そうか、こいつを、名前で呼ぶのは、初めてか。かなりの時間一緒にいたのに、俺がこいつを名前で呼ぶのは、今が初めてなんだ。

「あーもう変な感じだなぁどうせもうすぐばいばいするのにいまさら名前で呼ばないでよ調子狂うなぁ未練がましくなるじゃんかぁ」

「…お前にとって、俺離れることは、未練、なんだな。」

「-っあーもうほんとこれ以上へんなこというのやめてもらっていいかなぁおかしくなっちゃいそうだよいやもうアタシはおかしいよ?それでもさぁ、」

「…おい」

「ずぅーっと一緒だった相手が、一人だけ先に死んじゃったんだよ?!アタシを一人残してった。いつまでも一緒って言った、やっと言えた瞬間に!亜弥ちゃんの嘘つき。うんっていったのに。いったのに!赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦せない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さないゆ赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さない赦さないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないおいてくなんてゆるさない絶対ゆるさない一緒にいるんだもんずっと二人でいるんだもん一人だけなんてずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいずるいゆるさないゆるさないゆるさないから」

「おい、とまれ、あいな、とま」

「ーっはぁーっ、知ってるよ、アタシ。あんたがアタシと同類だって。」        

「…は?」               

な、にを                

「アトリエ、左の位置の机にある引き出し-これでわかんない?」          

「…は」                

「あの絵、見たよ。」          

次の瞬間、俺は、自分でも意識しないうちに、あいなの胸ぐらを掴んでいた。    

「おま、え。」            

「そう、そのままでいいよ。そのまま、アタシを、殺して?」            

「っ」                

なんとか意識を取り戻して、あいなを離す。

「はぁーっ…」

「一樹さんは、全部理解した上で、やってくれないんだね。」

「-そりゃ、そう、だ、ろ」     

「…あはっ、そっかー、そりゃそーだよねー。」

 それから何分沈黙が続いただろうか。おもむろに、あいなが喋り出した。

「…アタシは、目のない運転手が、一番、好き。」

あ、あいなに会ったときに描いた絵だ。あのとき、数年ぶりに楽しく絵が描けた、気がした。

…なんだよ、ほんと、なんなんだよお前。いつまでも図々しい奴だよ。        

「…ばいばい」            

「え…あ、おいお前どこ行くんだ!おい!あいな!」               

 俺はあまりに突然の出来事に、呆然として、玄関を走り抜けていくあいなのせなかを、見ていることしかできなかった。

 ようやく叫び声が出せたときには、あいなはもうどこにもいなかった。

                                        

                                                                                                                           

あれからどれだけ経ったか。

俺は今はしがない会社員だ。あのバイトは翌日すぐに辞め、慌てて別のアパートに引っ越した。

その後普通に働いてそこの同僚と結婚して子供が産まれて、普通の日常を送っている。

一度だけ、結婚してから、妻にその話をしたが、嘘ぉ、と笑い話にされて終わってしまった。そりゃあそうだ。あんなこと、日常でそうそう起こるわけがない。

そう確信してから、あいなの話を一人にでもするのも、しようと思うのも辞めた。

あの事件は、俺の記憶の中にだけあればいい。

あれから、あいなにも、太一さんにも会っていない。

それでいい。俺とあいな、太一さんみたいな関係のやつは、グズグズのまま関係が事切れてしまった方が楽でいい。

でも、あの日のあいなの声だけは、いつまでも耳にこびりついて離れない。

思い出そうとすれば、まずあのあいなの声が、生々しすぎるぐらい鮮明に聞こえてくる。

いまも、ずっとあいなは、持ち主の子をずるいといって、泣きじゃくっているのだろうか。あいなに限ってそれはない、とも思うし、逆にそうかもしれない、とも思う。

そうそう、俺は、あの日…あいなが出ていったあの日以来、きっぱりと絵をやめた。今まで描いた絵は、不本意に描いたフツウの絵も描きたくて描いたヘンな絵も、全部捨てた。

それから、絵は描いてない。

手段を無くすと、だんだん気持ちにも諦めがついてきて、今はとりあえず普通の感性で過ごせているから、まあいっか、と思う。

今思い返してみればの事だが、あの時の俺にとって、あいなは、かなり大きめな存在だったのかもしれない。

-あいな中心で物事を考えている時が多かったから。


このことは、俺の記憶の隅の小さな箱にいれておいている。

普段はみもしないが、時々、感傷に浸りたくて引っ張り出す。


そうして、俺は今日も、凡庸な空の下を歩く。




              

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