5章

 最近、あいながおかしい。

 やけに飯を食べたがらないし、前なら考えられない程テンションが低いし、冬服はタートルネックしか着ないし。

 鉛筆立ての位置が、家を出てきた時と違ったり、何に使ったのかわからないロープが落ちていたり、包丁が、まるで洗った直後のように水がついていたり。俺は、朝は面倒くさいから、買ったものを出すだけなので、包丁は使っていない。それなのに、だ。

 -恐らくあいながやったのだと思う。でも、明確な証拠がないから、確実にそうとも言えない。…し、思いたくない。それに、そんな事をする意味がわからない。なんの需要があって、鉛筆立てを動かし、包丁を湿らせ、ロープを放り出さねばならないのか。考えれば考えるほどわからなくなる。何か共通点でもないものか。

「ゔーん…」

「どうしたんだ、一樹くん。そんなに唸って。」

「あ、店長。こんにちは。」

「こんにちは。で、どうかしたの。休憩中に、こんなところで唸ってるなんて。」

 俺は、人目につかない店の裏にいた。本当は煙草を吸うつもりで来たのだが、ふと、あいなの事を思い出してしまった。

 そーいやあいつは、普段、俺が家を出ている時何をしているのだろうか…?

 いやあんなボロ家に貴重品は置いておくわけがないし金も今持ってる財布に入ってる分しかないから、特に何されても困らないが…。かといってそのままあいつを家に置いておくのは不用心だろうか。

「おーい。」

「うぇっ、あ、すみません。」

 やば、店長がいるの忘れてた。

「いや、それは平気さ。それより、君、大丈夫かい?」

「…大丈夫っすよ。」

「大丈夫じゃないね。」

「はい?」

「年寄りの勘をなめちゃいけないよ。そう単純な事で悩んでいるわけじゃあないよね。」

「…どうして、ですか。」

「さあ、どうしてだろうね。」

 なんだ?このじいさん。なんの関係もないはずなのに、なにか知ってる、ような。

 …俺、自分で思ってるよりちょろいのかな。

「-あの、ですね-」

 それから俺は、あいなの存在、どうやってあったのか、最近のことを、所々端折りながら、手短に話した。いや、話してしまった、の方が正しいのか?関係ない人に、意味のわからない話を、べらべらとしてしまったわけだし。言葉にしてみてわかったが俺とあいなって相当変な関係だな。

「つうわけなんですよ。-っても意味不明ですよね。」

「-一樹君、こんな噂を知っているかい。」

「え?」

「昔々…といっても、そこまで昔ではないんだけどね。戦争がはじまるころのお話さ。一人の女の子がいたんだ。なんてことはない普通の家族のもとで、近所によく来る野良猫なんかもいて-ごくごく普通に、幸せに暮らしていたんだ。女の子には、とても大事にしていた人形があったんだ。小さい女の子の人形がね。お母さんに作ってもらった、とても大事な人形だったそうなんだ。二人はいつも一緒だった。女の子は毎晩その人形を抱いて寝ていた。-そんな毎日を過ごしているうちに、人形にも人格が芽生えてしまった。人形も、女の子といること,一緒に眠ることを楽しみにしていた。二人は、お互いのことが大好きだった。-でも、このお話は、幸せなまま終わってはくれない。やがて、戦争が起こった。」

 こんな、不思議な話を、店長は、真剣そのものに語る。まるで-

「女の子も、被害にあった。虫も憎めないような優しいお父さんは戦地に駆り出され、残ったお母さんと人形と三人、幸せだった生活を壊された。そんなある日、女の子は、逃げている最中にお母さんとはぐれてしまった。でも、あの人形は一緒だった。彼女たちは、逃げるときも、ずっと一緒だった。女の子は泣きながらお母さんを探した。ぼろぼろの擦り切れた靴であちこち走り回った。

 でも-」

 食い入るように聞く。なんだこの話。聞くたびに不思議な高揚感が襲ってくる。

「お母さんは見つからなかったんだ。」


 -絵を、描きたい。

 今なら最高のものが描ける。いつぶりだろう、こんな気持ち。 

 ああ、そうだ。最後に感じたのは、あいなに会った時だ。

「女の子は絶望していた。そんなとき、声が聞こえた。」

 -大丈夫。ホラ、アタシがいるでしょ。アタシだけは、最後まで一緒だよ-

「そう、自分の手の中から、手の中に抱きかかえている人形から、聞こえたんだ。女の子は、戸惑った。けれど、すぐ、嬉しくなった。自分は一人じゃない。この子がいる。そう思ったとき」

 くる、くる。何が、くる。

「女の子の上に、空爆が落ちたんだ。」

 -きた。

「一瞬だった。人形は、女の子の手から吹っ飛んだ。そうして、女の子だけが死んだ。きっと、跡形も残っていなかったと思う。その子がいた証明なんて、辺りに飛び散った血ぐらいだよね。-まあ、そこが燃えちゃってたら意味ないんだけど。」

 店長は、実際に見たことのないものを語るのは難しいよね、と、乾いた声で呟いた。

「人形の女の子は、人格の中で、これ以上ないってほどないた。でも人形だから涙が出てこない。神さま、神さま、いるなら出てきてって、ずっと願った。 

 そうしたら、女神さまが出てきた。

 女神さまは、可哀想に、善悪の判断ができなくなった人間のせいで、お前のような心優しいものやお前の持ち主のような小さな娘がしんでゆく、なんと嘆かわしいことだ、お前も、さぞ辛いことだろう、恨ましいことだらう、お前の願いをひとつ叶えてやろう、ただし、ひとつだ。際限なく与えては、人間のときの二の舞だからな、さあ、願いをいえ、と人形に言ったんだ。そうしたら、人形は-なんていったと思う?」

「…わかりません。」

 正直早く続きが聞きたかった。こんなところで会話を挟まなくていいから、早く。続きを。

「じゃあ女神さま、アタシを殺して下さい、あの子とおんなじとこに行かせて下さいって言ったんだよ。

 -でも、女神さまは、それは叶えられないと言った。死は、命あるものにしか与えることができない。でも、人形に命はない。ないものは奪えない。

 そうしたら、今度は人形は、自分に命を与えてくださいっていったんだ。

 そうしたら死ねるって。でも、女神さまにはそれも無理だった。神が命を与えられるタイミングには厳しい規制があって、できなかったんだ。代わりにと女神さまは、人形を動けるようにした。姿形を人間そのものにして、ご飯を食べたり、泣いたり、笑ったりできるようにしたんだ。でも、人形の名残も勿論あった。だから、年を取らないし、成長しないし、死なない。人形がそうなると、女神さまは消えてしまった。

 -それから、その、元人形は、ずっとずっと、死ぬ方法を探しているそうだよ。」

「-に、人形、に、苗字って、ある、んでしょう、か。」

「ないよ。」

 -苗字は?-

 -ないよ-

「女の子自身、年齢がわからないから、自分が幾つか聞いてくるらしいよ。」

 -幾つに見える-

 -じゃあ、そう。アタシは、6歳-

 おい、嘘だろ。いやまてよ。単純過ぎないか、考え方が。あれはきっと、冗談-じょうだん-

「悪いね、こんな、変な話聞いてもらっちゃって。でも、聞いてもらった方がいい気がしたから。」

 それじゃあね、と、店長は店に戻っていった。

(死にたがっている-)

 ロープは、首吊りに使える。包丁でも、首や心臓を突けば、死ねる。鉛筆立てには、ハサミやカッターも入っている。使えば、多少は位置が移動するはずだ- 

(おいおい、待ってくれよ)

 あいなが、人形-?


 その後は、全然集中できなくて、頭を下げて、早く帰らせてもらった。


 あいなに、聞かないと。


「はぁ…」

 だめだ。痛くない。なんであの人は、痛覚を与えてくれなかったんだろう。

 -痛かったよね。アタシも、少しでも同じになりたい。いつも二人一緒だったじゃない。あんただけ、なんでだめだから。赦さないから。

「…他にものないか、探そ。」

 もうこの家にあるものはあらかた使い切った。

「ん…?アトリエ、開いてる…」

 希望がついえた部屋。期待はずれの、いやな部屋。

(でも…)

 もう一回だけ。見てみよう。

「ん?あそこ、前見てない引き出し…」

 そっと、開けてみる。

「っ!」

 なにこれ、絵?

 顔をを抱えた、首から上のない人の絵、肩から切り落とされた腕が水槽に浮かんでいるのを、右肩から下がない女の子が見ている絵

 、目のしきつまった箱の絵…。他にも、沢山。血、虚無、身体、笑顔、涙…。

「みつ、け、た。」

 ふふっ。


 そこには、笑顔で一樹と話していたときの顔はなかった。


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