4章
その日は朝から雨が降っていた。部屋全体がじめじめしていて、なんとなく気分の悪い日だった。
こんな日は、絶対…とまではいかないが、十中八九悪いことが起きる。アニメでもドラマでも小説でも、そういう展開がお決まりだ。
「朝だよー。起ーきーてー」
ついこの間、全く同じようなやり取りをした気がするのは俺だけか?若しくは気のせい…まあどうでもいいか。いやこの家…というか部屋には俺とアイツしかいないからだけだとアレか?
昨日大柳に絵の事を聞かれた衝撃?の余波みたいなものがのこっているのだろう。
「へいへい。」
まだこいつと暮らして9日…ぐらいだったか?
(随分経ったものだな)
「冷たっ!」
「ん-ああ、雨漏りだろ。」
「ほんっとボロだね。」
「うるせぇよ」
えーっとコップコップ…ガラス…は万が一割れたら怪我するな…プラスチックなかったかな…これ…は、陶器だ。違うな。こっち…は…
「ひぇっ?!」
背中ですっとんきょうな声が上がる。あいながまた雨漏りの襲撃を受けたらしい。
お、プラスチックあった。
「今コップ持ってきたから。」
嫌な気分の時程嫌な事は招かれてくる。その機会は図ったようにやってきた。
朝ごはんのパンを食べ終わったらしいあいながいきなり言ったのだ。
「時に一樹さん、あのカギ付きの部屋ってなんの部屋なの?」
-思わずインスタントコーヒーを吹きそうになった。咽せているせいか顔が熱い。いや、咽せているせいだと思いたい。
「え、わ、ちょっと大丈夫?」
「-っふー…いやびっくりしただけ…」
「それはそうと、アタシ、あそこ入ってみたい。」
-今度はコーヒー飲んでなくて良かった。
(ったく、こいつは…)
心臓に悪いったらありゃしない。
「てゆーかあそこって何の部屋なの?」
「…俺のアトリエ?」
「なんで疑問系なの…」
「なんでだろうな。」
「でもアトリエかぁ。見てみたいなー」
うっ。きたか。子供特有のお目目キラキラ光線。眩しい。目がッ…身体が焼かれる…ッ。
「…はぁ…見るか?」
「やたー!見る見る!」
…まだ気が乗らない。重い腰を上げて、寝室に鍵を取りに行く。
えーっとどこだっけ。確か棚の3段目の右奥に…
あ、あったあった。
(久しぶりだな)
この鍵を使うのは。おふくろの言った通りになってしまった。
-あんた、どうせしばらくしたら、絵なんか描かなくなっちゃうわよ。真剣さが感じられないもの-
言われた時は、ふざけんな、そんな事はないと抵抗したものだが。
あの頃の俺が今の俺を見たら、絶対こういう。
なんだこのていたらくは、と。
(つくづくダメな奴だな。)
「一樹さぁーん。はやくー」
「わぁーってるよー」
アトリエに入る。久々に感じる、絵の具の匂い。道具達のせいで、全体的に茶色っぽい雰囲気の、俺のアトリエ。
「わぁー、ここが一樹さんのアトリエかぁー。なんか、不思議な感じー。」
「イメージないってか?」
「そんなこといってないじゃん。」
あ、これ綺麗、とか言いながら部屋の中を散策している。思い込み丸出しでしゃべらないところ、大柳よりはるかに話しやすい。
「一樹さーん、この引き出しの中には何が入ってるの-」
「-っそこは駄目だ!!!」
「うぇっ?」
「-あっ、いやあの、えーっと、あ、ホラ、危険な道具が入ってるから!ハサミとかカッターとか!俺切り絵もやったりするから。危ないから。とにかく、開けたらだめ。」
嘘だ。切り絵なんてやってない。高校の頃、やってみようとして、めんどくさ過ぎてやめた。それに、カッターもハサミもテレビ台に置いてある鉛筆立てに突っ込んである。
本当は-
「ふーん。なんかめんどくさーいって言ってやめそうだけど。」
「っ、お前、俺を馬鹿にするのも大概にしろよ。」
前言撤回だな。
ごめんごめんと形だけ謝って、あいなはまた散策に戻ってしまった。全く、心臓に悪い奴め。まあ、こういう部屋が物珍しいのだろう。
それにしても探り方が細かいような…まぁいいか。俺も小さい頃、親父の部屋に潜り込んでは、何か面白いものがないか探してたもんな。それと同じような感じだろ。
はぁ、実家が懐かしい。ん?4ヶ月だと懐かしむにはまだ早いか?
「お前、いつまでこの部屋にいるんだ?」
「別にいーじゃーん。」
「駄目っつってるわけじゃねーけど…」
「じゃ続行ー」
「おい…」
どこまでも自由奔放な奴め。もう少し謙虚になれよ。
「あ、今なんか失礼なこと考えたでしょう。」
「そんなこと考えてませーん。」
「嘘ぉ。…ま、いっか。」
「…ねぇ一樹さん、ここ、他に棚ないの?」
「お前の目に見えてるもの以外にはねえよ。」
「…そう。」
そういうと、あいなはアトリエを出て行ってしまった。
「おーい、散策はもう終わりかー?」
「…そんなとこ。」
「…何処いくんだ?」
「…ちょっと、散歩」
「へーへー。7時までな」
「…わかった」
世話の焼ける奴だ、全く。
-少しだけ、あいなの声のトーンが落ちたように思えたのは、俺の気のせいだろう。
アパートから、少し行ったところの路地裏で、あいなは膝からかくりと崩れ落ちた。
一樹さんに言われた7時まで、あと、1時間…いや、そんなにないかぁ。
「無かった…」
-希望が、ついえた。
何も無かった。期待していたものは、なにも。あそこしか残りがなかっただけに、ショックは大きかった。
(あんな目をしてる位なら、モノの一つや二つ置いておいてくれればいいのに)
それが、身勝手なことなんて、わかってるけど。
でも…さ、
ぽたっ
「あ、れ-」
ぽたぽた。わぁ、アタシ、今、泣いて、る…。
何年ぶりだろ。頬を伝う粒々の水が、水の温度が懐かしい。
そういや、ここ数日は、一樹さんの証拠を探すのに必死で、ずっとやってなかったな。度胸がなくなっちゃってたら面倒くさいな。…まあ平気か。
涙を無理矢理袖で擦って拭う。
顔は凄い熱くなっていて、頭がぐわんぐわんする。
「…もどろ」
もうあそこは、『かえる』場所じゃない。
つい昨日までなら、かえろ、とぼやいていたであろう自分が、酷く滑稽に思えた。
「もどりましたぁ…」
「ん、どうかしたか?」
「-いえ、別に!」
たった数日だというのに聞き慣れた声が、跳ね上がる。
やっぱり、さっきのは、俺の勘違いだったのだろう。
…そう信じたい。
(ん、信じたい?)
なんでだ?俺は別に、こいつの保護者じゃないし、こいつが気落ちしようがどうだろうが、別に関係ないはずだ。それに、いつまでもここにおいてやる気はないし、どこかでこいつも出ていくだろう。…確証はないが。
-こいつが来てから、色んなことがあやふやなまま進んでいる。
(まあ、こんなのも、悪くはない、かな。)
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