六話

 ここ数週間の私は、幸せに埋もれるかのような心地で過ごしていた。アレクと交わした約束通り、私はヘレネとアダムを連れて、深夜に幸運のうさぎ亭へ通った。そこにアレクがいる時もあれば、いない時は従兄の方に呼びに行ってもらい、一緒に食事をしながら楽しくお話しをして過ごした。最近の出来事からご家族のことまで、笑ったり呆れたりしながらアレクは表情豊かにお話ししてくれた。私も日々見たこと、感じたことなどを話して聞かせた。もちろん、私の素性を隠した範囲でだけれど。でもアレクは興味があるみたいにじっと聞いてくれた。やっぱり金持ちの暮らしは俺達と違うな、なんて笑っていた。どうもアレクは、西地区外の人間とは距離を感じるみたいで、特に裕福な人間にはそういう傾向がある。雑貨店を営んでいるし、アレク自身はそこまで貧しくはないはずだけれど……。もっとお話しして、その距離を埋めないと私の気持ちは伝わらない。アレクには表面だけでなく、内面のことも知ってもらわないと。そうしていつか、思いが通じ合えれば――そんなことを願い、私は今日も城下へ向かう支度をする。


「……ではエレオノール様、私共はこれで失礼いたします」


 外出先での公務を終えて、私を城内まで見送った護衛隊は、丁寧に会釈をすると入り口へ戻って行く。


「待って、アダム」


 背中に呼びかけると、すぐにその顔が振り向いた。そこに私は手招きする。


「……どうされましたか」


 歩み寄って来たアダムに、私は周囲の様子を見ながら小さな声で言った。


「今日、城下へ行くから、お願いね」


 承知いたしました、といつものように返事が返ってくるものと思っていたのに、アダムはすぐにそう言わず、なぜか考えるような表情を作った。


「何か、都合が悪いの?」


「そうではないのですが……」


「何? はっきり言って。……まさか、もう一緒に行きたくないっていうの? でもあなたもあそこの料理は美味しいって――」


「そういうことではないのです。ひとまず、こちらへ……」


 アダムは周りの目を気にしながら、人気のない廊下の隅へ私を誘導した。


「……では一体何だというの?」


「実はつい先日、隊長に呼び出され、注意を受けたのです」


「注意……?」


「深夜、城下を出歩いている私を見たと、報告があったそうなのです」


「護衛兵は夜に出歩いてはいけないの?」


「休暇や前もって届け出た時間ならば問題はありません。ですが届け出の場合は、午前零時までに戻らなければならない規則があり、エレオノール様と城下へ向かうのはそれよりもさらに深い時間帯……届け出では許可を得られないので、私は無許可で外出をしていたのです」


「そう、だったの? 私のために……それは、ごめんなさい」


「謝らないでください。私も休暇を取ればよかったのでしょうが、数日置きに休暇を取ったり、家へ帰らず兵舎にいるのは不自然に思われるかと、避けてしまいました。やはり無許可はよくありませんでしたね……」


 私のわがままなお願いのせいで、アダムに迷惑をかけてしまっていたなんて……。


「近く処分が言い渡されます。ご一緒したい気持ちは十分にあるのですが、このような状況ではそれも叶わず……誠に申し訳ありません」


「こちらこそ、申し訳ないことをしたわ……あなたの処分について、軽くなるように私が――」


「それはおやめください。そのような些細なことから、エレオノール様の外出が知られないとも限りません。私とは無関係という立場でおられるほうがいいでしょう」


「けれど、あなたは私の護衛兵なのだから、疑われることは――」


「注意されたことで、私には一つ気になることがあるのですが」


 私は首をかしげてアダムを見た。


「何が気になるというの?」


「城下で私を見たのが誰かはわかりません。ですが、隊長に報告が行くぐらいですから、身近な者のはずで、つまりエレオノール様のお顔も見知っている可能性が高い」


「そうかもしれないわね……それで?」


「私はエレオノール様とご一緒している時は、常にお側に付いておりました。ですから、私を見た者はエレオノール様に気付いているはずで、そのお顔を見ていてもおかしくはないのです。けれど隊長はそのようなことは一言も言わず、聞いてもこなかった」


「目撃した者が見ていなかったからではないの? 西地区の道はどこも暗いし」


「確かにそうかもしれませんが、暗い中でも私の顔は見えていたわけで、どうも腑に落ちないのです。……あるいは、エレオノール様の存在に気付いてはいるものの、あえて伏せているのかも……」


「知りながら言わなかったと? だとしたらなぜ言わないの?」


「大事にはしたくなかったか、エレオノール様の名誉のためか……いろいろ考えられますが――」


 アダムは私を真剣な目で見ると言った。


「もしかするとエレオノール様のお忍びも、すでに誰かに知られている可能性があります。城下へ行かれるのはしばらくおやめになったほうがいいのではないでしょうか」


 一瞬ドキリとしたけれど、私は笑って言った。


「か、考え過ぎではない? 絶対に見られたとは言い切れないのだし、きっと、大丈夫よ」


「だといいのですが……けれど念のため、ご注意だけはなさってください」


「あなたがそう言うのなら、わかったわ……」


 アレクに会いに行っていることが誰かにばれているかもしれない――それは私を少しだけ不安にさせたけれど、でもだからって怖じ気付くことはない。注意はしてみるけれど、大人しく部屋で休む選択肢は私にはない。アレクには毎日でも会いたいのに、それができなくなるなんて考えられないし、考えたくもない。きっとアダムを見かけた目撃者は私に気付いていないわ。城下に王女がいるなんて思わず、普通の民だと思って見過ごしたのよ。だから報告もしなかった。ばれてなどいないわ。不安になることもない。いつものようにアレクに会いに行かなければ――思考を前向きに変え、私は部屋へ戻った。頼みのもう一人であるヘレネには、どうか一緒に付いて来てもらわないと。


 けれどその夕方、私の部屋に現れたヘレネは、険しい表情を浮かべて声をかけてきた。


「エレオノール様、お話ししたいことがあるのですが」


 ソファーでお茶を飲んでいた私は、それをすぐに置いて顔を上げた。


「ちょうどよかったわ。私もヘレネにまた頼もうと思っていたの。城下へ一緒に――」


「そのことに関してなのですが……」


 私の言葉をさえぎって言ったヘレネは、こちらに静かに近付いてから言った。


「もう、ご一緒できそうにないのです」


「……え?」


 アダムに続いてヘレネまで……消していた不安がまたよみがえりそうだった。


「なぜ? り、理由は何なの?」


「どうやら、夜な夜な城下へ出ていることを、上の者に知られてしまったようでして……」


 私は驚いてすぐに言葉が出なかった。ヘレネもばれてしまったの……?


「……もしかして、注意でも受けたの?」


 聞くとヘレネは力なく頷いた。


「まさにその通りです」


「実はアダムも、同じように注意を受けたらしいの。処分が下されると……」


「アダムも……そうでしたか」


「これまでは平気だったのに……なぜ知られて……」


「わかりません。ですが、幸いエレオノール様については何も指摘されることはありませんでした。おそらく私一人で深夜に城下へ行ったのだと思っているのでしょう。その点はご安心ください」


 そう言われても、すぐに安心できる話ではない。アダムの時もそうだったけれど、ヘレネも誰かに目撃されながら、その側にいた私の存在は報告されていない。これは偶然なの? それとも別の意図があるの? どちらにせよ、付き添ってくれた二人がばれたのなら、私もいずれ……いえ、もうすでに……。


「こういう状況でして、規則違反の外出をしたとして、私も処分を受けることになりました」


「ど、どうなってしまうの?」


「おそらくは、減給か謹慎……その上でエレオノール様のお側からは外されてしまうでしょうね」


「そんな! 嫌よ! すべて私が悪いのだから、あなたが罰を受ける必要なんて――」


「私は自らの意思で、知られてしまう危険も承知でエレオノール様にお供したのです。罰を受けるのは仕方のないこと。エレオノール様の責任ではありません」


「でも、私が付いて来てほしいなんて言わなければ、ヘレネはこんなことには……」


「いいのですよ。私は後悔などしておりません。エレオノール様のお助けになれたのなら、どのような罰であっても納得して受けます。知らなかった美味しい料理も食べることができましたし」


 そう言ってヘレネはいたずらっぽく笑って見せた。彼女はどこまでも私に優しい。


「ごめんなさい、ヘレネ……ごめんなさい」


「そんなお顔をなさってはいけません。私の心配をするよりも、ご自身の心配をなさってください」


「自分の……?」


「そうです。残念ながら私は、もうアレクシス様の元までご一緒することはできないでしょう。けれどエレオノール様は私やアダムがいなくとも、お独りでもお会いに行かれるおつもりではないのですか?」


 私は小さく頷いた。ヘレネはやっぱり私の気持ちをよく理解している。


「あのような危険な場所へは、できれば行ってもらいたくはありません。けれど私はもうお止めする立場ではなくなります。ですからもし行かれると仰るのならば、私共のように見つからないよう、より慎重に行動なさってください。いくらエレオノール様であっても、このようなことが知られれば両陛下も黙ってお見過ごしにはならないでしょう。外出を禁止になさることもあるかもしれません。そうなってはアレクシス様にお会いできなくなってしまいます。そのような悲しい結果を生まないよう、城下へ行かれるのは十分な時を見てからのほうがいいでしょう」


 行くな、ではなく、気を付けて行けと言ってくれるヘレネの言葉には、私への愛情が詰まってる気がした。そんな彼女には感謝とお詫びの念しかない。


「ありがとう、ヘレネ。あなたの気持ち、この胸に刻むわ」


「お側を離れても、エレオノール様のお幸せを、いつまでもお祈りしております」


 ヘレネは寂しくも優しい笑顔を私に見せてくれた。もうこれからは独り……心細いけれど、私の思いはアレクの元にある。これを断ち切ることはできない。気を付けながら、それでも会いに行かないと。あの明るいお声や笑顔に、何度だって触れたいもの――私はヘレネの言葉を励みにして、恐怖や不安を振り払い、城下へ向かう気持ちを作り直した。次はいつ行くべきか、昼も夜も頭の片隅で考え続けていたある日のことだった。


「……どのようなご用でしょうか、父上」


 謁見の間に行くと、正面の玉座には父上が険しい表情で座っていた。その隣にはお義母様もいる――今日の朝、用件もわからないまま父上に呼ばれた私は、こうして謁見の間にやって来たのだけれど、今もなぜ呼ばれたのかわかっていない。こんなふうに父上に呼ばれるなんて数えるほどしかなく、あの表情を見るに、いいお話ではなさそうな予感だけはある。一体、何のお話だろう――若干の緊張を覚えながら、私は父上を見据えた。


「元気なようだな、エレオノール」


 重く通る声が私に届く。


「はい。毎日健やかに過ごしております」


「そうか。しかし、その度が過ぎているようだな」


「……え?」


 眉根を寄せた顔で父上は言った。


「皆が寝る時間に、城下へ出向いて遊んでいるというのは真か」


 心臓がギクリと震えた。まさか、父上がそのことを知っているなんて――


「い、いえ、それは……」


「違うのか? どうなのだ」


 どうしよう。父上に嘘なんてつけない。でも正直に言えば、もう城下へ……アレクに会いに行くことが……。


「エレオノール、答えなさい。陛下がおたずねしているのですよ?」


 お義母様が心配そうな顔で私に言ってくる。……けれど、どうして二人は私が城下へ行っていることを知っているの? アダムが言っていたように、結局私も目撃されていたということ……?


「その前に、一つお聞きしてもいいでしょうか」


「何だ」


「そのお話は、どなたからお聞きになったのですか?」


「下から報告を受けた。一部の者の間では、お前を城下で見たと噂になっていたそうだ。……そうだな、レオノーラ」


「はい。これ以上、聞き捨てならない噂が広がらないよう、陛下のお耳にお入れしたほうがよいと思ったので」


「侍女のヘレネと、護衛兵のアダムが処分を受けたのは、その噂の影響なのですか?」


「ああ、その二人はエレオノールの供をしていたそうね。止めずに一緒に行くなど、あるまじきことよ」


「それは違うのです。あの二人は私の願いを断り切れずに、仕方なく――」


「だとしても、上司に報告はすべきだった。伝えず黙っていたことは処分に値するわ」


「そんな……」


 私達の行動は、いつの間にか全部知られていたのね……。


「そのように言うということは、エレオノール、城下へ出向いたことを認めるのだな」


 厳しい目が私を見つめてくる。


「……認めます。私は、城下へ行きました」


 二人は残念そうに溜息を漏らす。


「で、でも、遊びたいがために行ったのではありません!」


「では何だというのだ」


「………」


 運命の人に会いに行っているなんて、絶対に言えない。


「エレオノール、嘘はいけないわ。正直に言いなさい」


 そこまで正直に言ったら、アレクには二度と……。


「……わかった。それがお前の答えなのだな」


 そう言うと父上はおもむろに立ち上がった。


「私に言えないような目的で行っていたということか」


「父上、その、誤解はしないでください。私はそのような――」


「誤解をされたくないのならば、はっきり答えたらどうだ。城下へは何をしに行っている」


 ……駄目。好きな方がいるなんて言えば、アレクにも迷惑がかかるかもしれない。父上とお義母様には言えない。


「答える気はないようだな。いいだろう……今後、公務以外の外出はしばらく禁止する。その間にもし同じことを繰り返せば、その時は血のつながった娘であっても、容赦ない対応をする。その覚悟でいるのだぞ」


 そう言い残し、父上は謁見の間を出て行った。


「エレオノール、よく反省なさい」


 お義母様も父上の後を追うように出て行った。取り残され、しんと静まり返った中で、私はただただうなだれた。また会いに行くつもりだったのに、会えなくなると言えずに部屋でじっとするしかないなんて……。きっとアレクも、私がまた来ると思っているはず。何度も会って、楽しくお話しして、お互いのことがわかり始めた矢先に、こんな突然の途絶え方って……。もう一度アレクに会いたい。いえ、会わないといけない。そして今までのいろいろなことに対して、お礼を言わないと。一方的に押しかけた私を追い返したりせず、優しく付き合ってくれたアレクは、私に幸せな時間をくれたのだから。それだけは最後に伝えないと――最後だなんて、言いたくないけれど。


「失礼いたします」


 その晩、本当なら城下へ行く支度をしていたはずだった私は、代わりに占い師のジュノーを部屋に呼んだ。


「遅くにごめんなさいね」


「いえ、姫様がお呼びくださるのなら、私はいつ何時でも駆け付けさせていただきます」


「ありがとう。……座ってちょうだい」


 ジュノーをソファーに促して、私もその向かいに座った。


「……小耳に挟んだのですが、昼間、陛下に呼ばれ、何かお話しをなさったとか」


「それを知っているのなら、話した内容も知っているのではないの?」


「詳しい内容までは……ですが、そのお顔のご様子では、あまりいいことではなかったようですね」


 私は溜息を吐きながら頷いた。


「叱られてしまったの。城下へ行っていることがばれて……」


「そうだったのですか……それで、陛下は何と?」


「公務以外の外出を禁止にすると……もしまた同じことをすれば、容赦はしないと警告を受けたわ」


「では、もうお忍びで向かわれるのは難しくなりそうですね」


「ええ。だからあなたを呼んだの」


 丸くなった紫色の目を見つめて私は言った。


「城下へ行っても、誰にもばれない安全な日を占ってくれないかしら」


「まさか、行かれるおつもりですか? 陛下から警告をお受けになられているのに……」


「次の一度だけのことよ。私の運命の人……アレクに、もう会いに行けないと伝えないと。優しい方だから、きっと待っていてくれると思うの。お礼も言いたいし……」


「それで、その方とは最後になさるのですか?」


 最後という言葉に、私は胸に込み上げたものをこらえて言った。


「……最後になんてしたくないわ。もっとお会いして、笑ってお話しして、優しいお心に近付きたかった。でも父上に言われてはそうするしかないでしょう? アレクに迷惑はかけられないもの」


 私はジュノーを見据えた。


「だから、もう一度だけ、安全に会える日を占って。アレクに無事会える日を」


 ジュノーも私を見つめ、そしておもむろに言った。


「それが、姫様のお気持ちなのですね……わかりました」


 腰に提げた布袋を取ったジュノーは、その中身を机の上に出した。


「状況が状況ですので、より慎重に占ってみましょう」


「お願い……」


 私はジュノーの手元をじっと見守る。色とりどりの石を両手で握り、いつもより長く念を込めると、机に石を転がす。それを三度繰り返して占い、そうして出した日時は、二週間後の夜だった。

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