七話

「なあ、夜食どうする? 買って来る?」


 俺は少し離れたところで賭場の客の相手をしてるお袋に聞いた。


「あー……今夜は忙し過ぎて食べてる暇なんてないね。行かなくていいよ。探せば昼の残りがあるでしょ。それで済ませるわ」


「はいよ。……じゃあ俺もそうするか」


「さぼるんじゃないよ。客にしっかり目、光らせな」


「わかってるって」


 俺は客の間を縫って夜食を探しに向かう。それにしても今夜は久しぶりに大入りだな。普段も客は絶えないけど、ここまで賑わうのは久しぶりだ。おかげで親父もお袋も客の相手で休む暇もなさそうだ。稼ぎも期待できるな。ちなみにここでの俺の仕事は客の監視と雑用だ。時々小細工をして勝とうとするずる賢い客がいたりするから、そういうやつを見つけては叩き出してる。あとは喧嘩の仲裁だ。酒が入った客はとにかく喧嘩っ早い。それで賭けに負ければ大暴れし始める。そうなる前になだめはするけど、言うこと聞かないやつは兄のマキシムと一緒に殴り倒して賭場の外へ放り出す。暴れる酔客の対応はそれが一番手っ取り早い。大入りの今夜もすでに何人か放り出してるけど、怪しそうな客はいないか……?


「お、いたいた。アレク!」


 呼び声に振り向くと、そこにはジョサイアがいた。その姿に俺は思わず小さな期待を抱いてしまう。


「……ジョサイア、何か、用か?」


 そう聞いた俺をジョサイアはにやついた顔で見てくる。


「白々しいな。何で来たかわかってるんだろう?」


「な、何となくはわかってるけど、聞いてみないと……」


「大丈夫だよ。お前の思ってる通りだ。……俺の店で、あの娘が待ってるよ」


 笑いそうになった自分を自覚して、俺はすんでのところで平静を装った。


「そうか。久しぶりに、来たんだな」


「何かっこつけてるんだ? ずっと待ってたんだろ?」


「べ、別に、待ってなんか――」


「おいアレク、客を見てろよ。何遊んでんだ」


 ふと見ると、横にマキシムが立ってこっちを睨んでた。


「あ、マキシム、悪いんだけどさ、ちょっと抜けさせてもらってもいいか?」


「はあ? 何で」


 これには代わりにジョサイアが答えた。


「いつもの彼女がお呼びなんだよ」


「彼女? ああ、前に助けてやったっていう女か。そういや、ちょくちょく呼び出されてたな。進展してんのか?」


「俺達はそういう仲じゃないから」


「じゃあどういう仲なんだよ」


「どういうって……知り合いだよ」


 これにマキシムとジョサイアは冷めた視線を向けてくる。


「意気地がねえな。前に踏み出せよ」


「そうだよ。気持ちを伝えないと女ってのは――」


「なっ、何で俺がエリーを気に入ってるって前提なんだよ!」


「だって可愛いって言ってたじゃねえか」


「そうそう。アレク、お前顔とか態度でバレバレなの、気付いてないの?」


 こんなことを家族や従兄に指摘されるほど恥ずかしいことはない。……俺ってそんなにわかりやすいのか?


「……とにかく、行って来るから、マキシム、しばらく頼むぞ。ほら、ジョサイア行くぞ!」


 俺は小走りで賭場を出て行く。


「忙しいんだから、早めに戻れよ」


 マキシムが背中越しに言ってくる。確かに今夜は早めに帰ったほうがいいだろう。これだけ客が多いと監視の目も多くないといけないし。久しぶりに会うエリーだけど……まあ、仕方ない。


「あっち、奥で待ってるよ」


 幸運のうさぎ亭に入ると、ジョサイアが指差して言った。見れば奥のテーブル席にエリーがポツンと座ってる……一人だけ?


「世話係と用心棒はどこだ?」


「さあね。聞いてみれば?」


 そう言ってジョサイアはカウンターの中へ行ってしまった。……じゃあ、聞いてみるか。


「……アレク」


 席に近付くと、エリーは顔を上げた。俺を見る目はどことなく暗いようにも見える。


「何週間ぶりだ? いつもの二人がいないけど、どうしたんだ?」


 俺は向かいに座りながら聞いた。


「ヘレネとアダムは、もう、一緒に来られなくなってしまって……」


 話す声も弱々しい。何かあったっぽいな……。


「ここに来なかった間に、問題でも起きたか?」


「ええ、残念ながら、そうなのです……」


「それなら無理に来なくてもよかったのに。ここまで用心棒なしで来るのは危ないんだからさ。また代わりの誰かが見つかるまで――」


「あの、そうではなくて、起きた問題は、私のことでもあって……」


「? どういうこと?」


「今日、一人で来たのは、アレクに、お伝えしなければいけないことがあるからで……」


 エリーの声と言葉がどんどん重くなってく。聞いてるだけで胸騒ぎを覚えてしまう。


「……何だ?」


 俺をちらちら見ながら、エリーは重そうな口を開く。


「アレクには、もう、会いに来られないのです」


「え……?」


「こちらの事情で……なので、こうしてお話しするのは、今日で最後に……今まで、ご迷惑もかけてしまったけれど、私はとても楽しい時間を過ごせました。本当にありがとうござ――」


「何で来られないんだ? これまでは週に何度も来てたじゃないか」


「そうなのですが……」


「ひどいことされてたりしないか? 俺は金持ちの家のことはよくわからないけど、何か厳しそうだし、自由を奪われてたりとか――」


「!」


 その時、俺を見るエリーの緑色の瞳に涙が滲んだ。


「……そう、なのか?」


 恐る恐る聞くと、エリーは慌てて目元を拭い、表情をぱっと明るく変えて言った。


「いえ、そんなわけありません」


「でも今、泣いて……」


「こ、これは……アレクがあまりにお優しいので、胸がジンとして思わず……」


 エリーは今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべて言う。


「もうこちらに来られないのは、本当に残念です。アレクとのお話しは楽しくて、時間があっという間に過ぎていました。でもアレクは、これでご自分の時間を過ごせますね」


「何言ってんだ。あんたと食って話す時間だって、俺の時間だ。何度もおごってもらったのも助かったけど、あんたと、こうして過ごせたのも、俺は結構、楽しかったよ……」


 何気なく発した言葉だったけど、これが自分の素直な気持ちなんだと気付かされた。俺は、エリーと会っておしゃべりしてるのが楽しかったんだ。顔を見るたびにまた来たのかと呆れてはいたけど、内心はエリーを待ってたんだ。もう来られないと言われた時、俺は衝撃を受けた。それほどエリーの存在は心の中で大きくなってたってことだ。自分が気付いてなかったのに、マキシムやジョサイアはなぜか先に気付いてたようだけど……。そう思うと俺って、恥ずかしいやつだな。


「……どうしたんですか? お顔が少し赤いようですが」


 エリーが不思議そうに見つめながら言った。……本当に俺、顔に出るらしい。


「き、気のせいだよ……いやでも、一番残念なのはジョサイアかもな。あんた達は毎回たくさん料理を注文してくれるから、上客がいなくなったら残念がるよ」


「私も、こちらの料理はすごく気に入っています。当分食べられなくなるのは心残りですが……」


「でも一生食べられないわけじゃないんだ。俺とだって一生会えないわけじゃない。またいつかここに来られるんだろ?」


 そう聞くと、エリーの顔が曇った。


「そうだと、いいのですけど……」


「そっちの問題が片付いたら、また来いよ。俺はいつでも待ってるからさ」


 曇ってた表情がまた泣き出しそうに歪んでしまった。


「アレク……あなたはなぜそんなに……」


「……ん? 何?」


 小さな声で呟くエリーに聞き返した時だった。


「アレク!」


 後ろから急に呼ばれて振り向くと、そこには賭場で働く仲間の従業員がいた。


「どうしたんだ、そんな慌てて」


 仲間は走って来たのか、乱れた呼吸のまま言った。


「すぐに戻ってくれ! 賭場が、襲われてる!」


「は? 襲われてる? 誰に!」


「グルーシー一家だ!」


 その名前を聞いて、俺は驚きつつも首をかしげた。


「なっ……何でやつらがいきなり?」


「わかんねえけど、とにかく急いでくれ!」


 仲間が店の外へ駆け戻るのを俺は呆然と見送った。この西地区には俺達ベルトロ一家のような〝家族〟がいくつか存在してて、三年ほど前までは縄張り争いで襲撃したりされたりもあったが、一年前、俺達が力でねじ伏せた後、縄張りの境界を話し合いで決め、それからはどこも暴れるような真似は起こしてなかった。グルーシー一家とも裏情報を交換したりして、今じゃ敵というより隣人のような関係になったと思ってたのに……それがいきなり襲撃って、何のつもりなんだ、あいつら。今になって三年前の野望に駆られたのか?


「グルーシー一家だと……? アレク、早く戻れ」


 仲間と入れ替わるようにジョサイアが来て言った。


「ああ……一体、何が起きてんだ? やつらとは平和にやってたはずなのに」


「本人達に聞いて来い。ぐずぐずしてると逃がすぞ」


「そうだな。じゃあ行く――」


「アレク、どちらへ……?」


 エリーが心配そうに俺を呼んだ。……話の途中だったけど、家族と賭場が襲われてるんじゃ仕方ない。


「悪い。俺行かないといけなくて」


「賭場が襲われているというのは、一体どういう……?」


 ギクッとした。伝えに来た仲間の言葉をしっかり聞かれてたか……。


「い、いや、あんたには縁のない話で、知る必要もない。一方的で悪いけど、今日はもう帰ったほうがいい。ここにいると危ないかもしれないから」


「え、でもまだちゃんとお別れを――」


「ジョサイア、あとは頼んだ」


 それだけ言って俺は酒場を飛び出した。


「アレク――」


 エリーの声が呼んだが、俺は構わず走った。こんな大事な話の時に、あいつら……ボコボコにして追い返してやる!


 暗い道を進んで行くと、賭場の客らしき男達が慌てた様子で駆けて来る。それとすれ違い、家に到着すれば、そこでは怒号が飛び交い、大勢の男達が殴り合って暴れる、めちゃくちゃな様子が広がってた。


「壊せ! 壊しまくれ!」


 グルーシー一家と思われる男が大声で仲間を煽りながら、夜は閉めてる雑貨屋を手当たり次第に破壊してた。


「ふざけやがって! 早く止めろ!」


 ベルトロ一家の仲間が怒りもあらわにつかみかかって行く。そうしてあちこちで殴り合いの喧嘩が起きてた。……こいつら、俺達の店をこんなにして、どうなるかわかってるんだろうな。


「しかし女がいねえなあ。どこにいる――」


「ここはナンパするには向かない場所だぞ」


 俺は男の肩をつかんで振り向かせ、その顔を思いっきり殴り飛ばした。そして地面に倒れた胸ぐらをつかみ、睨み付けて聞いた。


「てめえら、何で俺達を襲いに来た」


「……う……」


 虚ろな目が俺を見てくる。ちょっと強く殴り過ぎたか?


「まだ意識飛ばすなよ。もう一発食らいたくなきゃ、はっきり言え」


「……上から、言われた、だけで……何にも……」


 こいつは下っ端か――俺は男を放り、周りを見渡す。とりあえず、なめた野郎を片っ端から片付けていくか。これ以上店を壊されるわけにいかないし――


「きゃあ! 助けて……!」


 その時、女の声がして俺は振り向いた。


「いたぞ、女だ!」


「殺さない程度に遊んでやれ!」


 下卑た男達が取り囲んでた姿に、俺は思わず瞠目した。


「……エリー!」


 怯えた顔が俺を見つけて助けを求めてる。何で付いて来てるんだよ! 頼んだジョサイアは何やってるんだ――俺はすぐに駆け出して助けに向かった。


「ほら、こっちに来い。遊んでやるよ」


「や、やめて……来ないで……」


「エリーに触れるんじゃねえよ!」


 背を向けてた男に俺は跳び蹴りを食らわした。


「何しやが……ぶふっ」


 攻撃が来る前に拳で先制し、取り囲む男達を下がらせる。


「アレク!」


 エリーは震える手で俺の背中にすがってきた。


「危ないから少し離れてろ」


「は、はい……」


 道の端まで離れたのを見て、俺は男達に拳を構えた。


「まさか、女いじめるついでに、俺達を襲ったわけじゃないよな」


「……さあな」


 不敵な笑みを見せながら男はこっちを見てくる。まったく、何が目的なんだよこいつら。


「アレク!」


 その時、ジョサイアが走ってやって来た。


「お前! エリーをどうして止めなかったんだよ!」


 俺の横に来たジョサイアは申し訳なさそうに言う。


「すまない。お前が戻るまで待ちたいって言うから待たせてたんだけど、目を離した隙に出て行かれてさ……抜かったよ」


「危うくこいつらに襲われるところだったんだぞ。無事で済んだからよかったけど……とにかくまずは、この襲撃犯達を返り討ちにする。一緒にやれ」


「わかってるよ。あー、拳振るのは久々だ。なまってなきゃいいが……」


 手や首を振って身体をほぐしながらジョサイアは身構えた。俺と二人ならこんなやつら、軽くやれるだろう。さっさと片付けて賭場にいる親父とお袋達を助けに行かないと。


「おい、全員引き上げるぞ! 引け!」


 グルーシー一家側から突然大声の指示が上がり、俺達と対峙してた男達は臨戦態勢を解くと、後ずさりながらその場を離れて行く。


「お、おい! 逃げるのかよ!」


 周りで殴り合ってたやつらも、それをやめて次々に離れて行く。何なんだ、一体……。


「これ、追ったほうがいいのか?」


 俺と同じように戸惑うジョサイアが聞いてきた。


「勝手に消えてくれるならこっちの手間が省ける。それより賭場へ行かないと……」


 家のほうへ目を向ければ、賭場へ続く通路から小走りに出て来るやつや、顔を腫らして肩を借りながら出て来るやつなんかがぞろぞろと引き上げて去って行く。賭場でもかなり暴れてたようだな。皆、無事だといいけど――


「……マキシム!」


 賭場へ向かおうとしたその時、マキシムが疲れた顔で出て来た。


「アレク、来るのが遅えよ」


「俺は外のやつらをやってたんだ。……怪我はないか?」


「あるわけねえだろ。あんな腰抜け連中相手に」


 そう言う通り、マキシムの顔には殴られた傷は一つも見当たらない。さすが俺より強い男だ。でも両手の甲は赤く腫れてる。相当な回数殴ったんだろう。これが疲れの原因か。


「親父とお袋は?」


「大丈夫だ。……ほら」


 マキシムが振り返った先から、親父とお袋が並んで出て来た。その足取りに異変はなさそうだ。


「……おお、アレク、無事だったか」


「親父こそ、袋叩きにされてなくてホッとしたよ」


「あんな若造集団、赤ん坊同然だ」


「かなり迷惑な赤ん坊だったけどね」


 お袋は頭を抱えながら溜息混じりに言う。


「あいつら、賭場もめちゃくちゃに?」


「ええ。ひどいもんよ。客がいるのも構わず、いきなり押し入ってきたと思ったら、そこら中の物を壊し始めて」


「客を逃がしながらすぐに仲間を呼び集めたが、破壊を止めるのは無理だった。何せいきなりのことで人数が足りなくてな」


 親父は悔しそうに顔を歪める。


「じゃあ、賭場と雑貨屋はしばらく休業か」


「こうなってはな……稼ぎは当分なくなる」


 賭場が開けないのは一家としてはかなり痛い。くそっ、グルーシー一家め……!


「で、やつらの目的は一体何だったんだよ」


 マキシムに聞かれた親父は首をひねる。


「皆目見当もつかない。グルーシーとはそれなりに付き合いもあって、決して悪い関係じゃなかったんだが……」


 親父がわからないんじゃ、俺にわかるわけもない。


「こんなことされて、もちろん黙っちゃいないよな」


「ああ。だがその前に、向こうの目的をはっきりさせるべきだろう。その内容次第でこっちの取る行動も決まる。……マキシム、探れるか?」


「お安いご用よ。とっ捕まえて締め上げてやる」


「そっちも大事だけど、まずは店と賭場を直すのが先だよ。仕事がなきゃ生きて行けないんだからね。ほら休む暇なんてないよ。片付けて」


 お袋に急かされて俺達はそれぞれに散らばった。他の仲間達も大怪我をした者はいないようで、声を掛け合いながら破壊された店の片付けに加わってくる。まあ、死人が出なかったのはよかったか。


「アレク、あの娘と話せよ。じゃないと大人しく帰らないぞ、きっと」


 ジョサイアに言われて気付いた。エリーを待たせてたんだった――俺は急いで道の隅に立つエリーに歩み寄った。


「待たせたな……って言うか、何で付いて来たんだよ。帰ったほうがいいって言っただろ」


「ごめんなさい。でも、ちゃんとお別れの挨拶をしておきたくて……」


「あ、そ、そうか……」


 確かに、話してる途中で別れるなんてな……。


「あの、ところでここがアレクの雑貨店なのですか?」


「まあな……破壊されて店の体は成してないけど」


「では、ここがアレクの家なのですね。見られてよかった」


「見られるなら、普段のましな時に見てもらいたかったけど」


「一体、何が起きたのですか……?」


 それは当然、気になるよな。危ない目にも遭ったし……。


「いや、ちょっとしたいざこざ……いや、嫌がらせかな。ここには悪いやつがウヨウヨいるからさ」


「ここでは雑貨店の他に、賭場も開いているようですが、それと関係が?」


「えっと……」


 完全に賭場の存在がばれちゃったな……。


「何か問題が起きているのですか? 助けになれることは――」


「助けになれることはただ一つ……ここの賭場のことは、誰にも言わないでくれ」


「なぜですか? 賭場は各地にも――」


「その各地の賭場とは違うんだ。ここのは、無許可の賭場で……」


 エリーは瞬きをして俺を見た。


「許可を得ずに、開いているのですか?」


「ああ……信用なんてない西地区の人間が営業許可を求めたところで、役人は鼻であしらうだけだからな。つまり俺達は、いつ捕まってもおかしくない違法者なんだよ。あんたとは真逆の人間……だから、もうここには来ないほうがいい」


 頭ではそう思ってても、俺の気持ちは来るなだなんて言いたくなかった。こういう言葉で別れるしかないなんて――


「酒場でのお話で、アレクは私との時間を楽しかったと言ってくれました。あれは、私への単なる気遣いだったのですか?」


 俺を真っすぐ見つめてエリーは聞いてきた。


「そ、そんなんじゃない。あれは正直な気持ちだ」


「では、私ともうお話しをしたくなくなったわけではないのですね?」


「あ、ああ。また話せるなら、今までみたいに楽しく話したいけど……」


「それならば、なぜ来ないほうがいいなんて言うの? アレクとお話しができなくなるのに、なぜ……?」


 悲しげな顔と声が俺の胸を締め付けてくる。


「……わかるだろ? 俺とあんたじゃ住む世界が違う。あんたをこっちの世界で汚したくないんだ」


「そんなもの、関係ありません。私はたくさんお話しして、あなたのことをたくさん知りたいだけ。それだけではいけないの?」


「エリー……」


 呟くと、エリーは微笑みを浮かべた。


「また名前を呼んでくれましたね。先ほど、助けてくれた時にも……嬉しいわ」


 そう言えば、そうだったかもしれない。何だか気恥ずかしくて名前で呼べなかったけど、無意識に呼んでた。


「こんなことを言って、アレクを困らせるつもりはなかったのですけど……ただ私は、あなたとの関係を途切れさせたくなくて……楽しい時間を過ごした関係を大事にしたままお別れをしたかったの。またいつか会える日を願って……」


 エリーはにこりと笑った。


「わがままを言ってごめんなさい。そしてありがとうアレク。賭場のことは誰にも言うつもりはないから心配しないで。それでは……」


「……エリー!」


 踵を返そうとしたエリーの腕を、俺は咄嗟に引き止めてた。少し驚いた顔がすぐに振り向く。言いたいことは山ほどあったけど、それを言葉に出すにはまだ勇気も勢いも足りず、俺はこう言うので精一杯だった。


「あ……危ないから、途中まで、送るよ」


「ありがたいですけど、私のことよりアレクはお家のほうへ行ってください」


「でも、暗い道を独りで――」


 そう言いながら道の奥へ視線をやった時、その隅に二つの影が見えた。俺が気付いた瞬間、影はササッと道を曲がって消えてしまった。見えたのはほんの一瞬……だけど、二つの影ってだけで俺には十分見覚えがある。エリーを狙った二人組の追い剥ぎ――あいつらに違いない。


「私は大丈夫ですから。気にしないで」


「いや、駄目だ。俺が――」


「アレク! いつまで油売ってんのさ! 早くこっち手伝いな!」


 店先を片付けてるお袋が目を吊り上げて怒鳴ってきた。あれは本気で怒ってそうだな……。


「……呼ばれていますよ。行ってください」


 手伝いを無視するわけにはいかないけど、エリーをこのまま独りで行かせるのもかなり心配だ。どうしたもんか――ふと見ると、離れたところで仲間の従業員と立ち話してるジョサイアがいた。まだ酒場に戻ってなかったのか……ならちょうどいい。


「ジョサイア! ちょっと」


 手招きして呼ぶと、ジョサイアは話を切り上げて来た。


「どうした?」


「頼みたいんだけど、エリーを西地区の外まで送ってくれないか?」


「え、俺が?」


「アレク、私のことは本当に――」


「いいから。そのほうが絶対に安全だから。……自分で送りたいけど、お袋をこれ以上怒らせたくないんだよ。いいか?」


「まあ、今日はこんなことがあったし、酒場はもう閉めようと思ってたからいいけど……本当に俺が送っていいのか?」


「言いたいことはわかるけど、仕方ないんだよ。今はお前しか頼めるやつがいないんだから。それともう一つ――」


 俺はジョサイアに顔を近付け、小声で言った。


「彼女を見送った後、その後をこっそりつけてくれないか」


「尾行するのか? 何で」


「妙な二人組がしつこく彼女を狙ってるっぽいんだ。その警戒と、エリーの素性を知りたい。わかれば狙われる理由も見えてくるかもしれないし」


「ふーん、面倒そうなことに首突っ込むなんて、お前は恋人思いだな」


「まだ恋人じゃない!」


「まだ、ね……ふふっ、わかったよ。じゃあこれも借りってことでいいな」


「ああ。頼む」


 俺はエリーに改めて言った。


「俺の代わりにジョサイアが送るから。こいつならちゃんと守ってくれる」


「ご迷惑では、ありませんか……?」


「これはアレクの気持ちだ。あんたを危険に遭わせたくないっていうね。だからその気持ちを受け取ってくれれば、こっちはありがたいよ」


 笑顔で言ったジョサイアに、エリーは表情を明るく変えて言った。


「……アレクのお気持ちというのなら、受け取らないわけにはいきませんね。それでは、お願いできますか?」


「任せてくれ。……じゃあ送ってくる」


「気を付けてな」


 ジョサイアとエリーは並んで歩き出す。と、エリーが振り向いてこっちを見た。その顔は悲しむようで泣いてるようにも見えた。これが最後に見るエリーなんて嫌だ。もっと明るく、可愛く笑ってくれないと――俺は自分の口角を指で押し上げ、笑うように促した。それが伝わったのか、エリーはぎこちなくも微笑みを浮かべてくれた。そしてそのまま暗い道の先へ消えた。これで会えなくなるかもしれないけど、二度と会えないと俺は思ってない。いつか、またそのうち、どこかで会えるって信じて俺は待つ。だから笑顔で別れるんだ。俺はエリーに、ちゃんとその笑顔を見せられただろうか……。

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