四話
「率直に申し上げれば、あの方はエレオノール様にはふさわしくないと思います」
部屋のソファーでくつろぐ私の横で、ヘレネが机に焼き菓子を並べながら言った。
「でもアレクは私の運命の人よ?」
「そうであっても、エレオノール様は一国の王女であり、あの方は貧民街の住人。あまりに差があります」
「それはどういう意味? アレクの育ちに問題があるとでも?」
「あり過ぎるではありませんか。貧しい庶民ですよ? 言葉遣いは乱暴で汚いですし、品も作法もあったものではありません」
「そういうあなたは、手づかみで鶏肉を食べていたけれど、あれは品があるの?」
「あ、あれは、エレオノール様が勧めてくださったからで……」
「あんな食べ方でも、美味しかったでしょう?」
「……はい。とても」
ヘレネは気まずそうに答える。
「私もよ。とても美味しかったわ。また行ったら、他の料理も食べてみたい」
ソファーに座り直し、私は机の焼き菓子をフォークで切って口に入れた。
「本当に、またあの方にお会いに行かれるおつもりですか?」
「もちろん。今すぐにでも会いに行きたいくらい」
「少し、お考えになってみては……」
「考えるのはヘレネのほうよ。なぜアレクを毛嫌いするの?」
「毛嫌いというわけでは……ただエレオノール様には、あのような方は合わないのではと」
私はフォークを置き、ヘレネを見据えた。
「ねえ、あなたはアレクの表面しか見えていないのではない?」
「表面……?」
「言葉遣いや所作、身分や生活の場だけを見て、私にふさわしくないと思ってる」
「しかし、それらも大事な要素では――」
「一番大事なのは見かけではないわ。その人がどのような人か……見えない内面でしょう?」
ヘレネは困り顔で押し黙る。
「偶然とは言え、アレクは私を二度も助けてくれたわ。しかも宝石の付いた装飾品を見ても盗んだり奪い取ろうとすることもなかった。それって純粋に私を助ける気持ちがあったのだと思うの。損得で動くのではなく、困っている者がいたから助けた……その精神はどんなものよりも素晴らしいわ。そうではない?」
「……仰っていることはわかります。エレオノール様が見えるものより、見えないものを重視なさることも、偏見を持たない意識の表れなのだと。ですが、あの方が本当に善人であるのか、そう判断するにはまだ早いのでは……?」
「私はアレクを善人だなんて言っていないわ。今のところ、純粋に人助けのできる優しいお方と思っているだけ。その先を知るにはまだ話し足りないし、いろいろなことをもっと知ってお近付きになりたい。何より、アレクが私にどのような印象を持っているのか……」
それを考えるだけで、自然と緊張してしまう。嫌われていたらどうしよう。逆に好印象を与えていたら――その二つがぐるぐる巡って、私の心を落ち着かせてくれない。
「アレクシス様を、そこまでお慕いなさっているのですか?」
「あのお方は、私の運命の人……私の心を恋に導いてくれた、初めての男性なの。ああ、あのお姿を思い描くだけで、胸が苦しくなる……」
切ない感覚がジンと走り、私は胸を押さえた。早くまた、アレクとお話ししたい……。
「エレオノール様がお幸せになられることは、私の幸せでもあります。けれど、アレクシス様との恋など、陛下がお許しなるとは到底思えません。お会いに行かれるのは、やはり……」
陛下と聞いて、私は一気に現実に引き戻された気分だった。ヘレネの言う通り、父上が一庶民のアレクとの交際を認めるはずがない。それどころかこっそり会いに行っているのを知れば、間違いなく激怒すると言える。
「それは、わかっている……わかっているけれど……では、この湧き上がる気持ちをどうしろというの? 強引に押し込めてないものにしろと? そんなこと無理よ。私は恋を知ってしまったの。アレクを忘れるなんて不可能だわ。もしそんなことをすれば、黙ってこの城を出て行ってしまうかもしれない」
「エレオノール様……」
大げさに言っているのではない。アレクへの思いが抱え切れなくなって、本当にそんなことをしてしまう自分が容易に想像できた。
「この先のことなどわからない。でも今、私がアレクに会いたい気持ちは確かなこと……だからヘレネ、引き続き協力をしてほしいの。城下へ一緒に、アレクに会えるよう来てほしいの」
私が目を見てお願いすると、ヘレネはしばらく困惑の表情を浮かべていたけれど、こちらに視線を向けると、うっすらと笑みを見せて言った。
「……アレクシス様とお会いなさることは、私の意に反することとご承知の上でなら、またお供をいたしましょう」
「ヘレネ! ありがとう」
私は立ち上がり、ヘレネを抱き締めた。
「そのようなお顔でお願いをされては、断ることなど私にはできませんよ」
「他の侍女なら絶対に断るはずよ。ヘレネだけは、やっぱり私に甘くしてくれる」
「長年お側でお仕えさせていただき、エレオノール様を甘やかすのが癖になってしまったのです」
「ではこれからも、ずっと甘やかしていいわ」
身を離し、お互いの顔を見合わせると、二人で笑い出してしまった。ヘレネは厳しい時もあるけれど、心根はやっぱり優しい。
するとヘレネは真顔に戻ると言った。
「再び会いに行かれるとなると、心配なのは危険に遭われることです。行くたびに追い剥ぎに襲われているわけで、アレクシス様ではありませんが、そう何度も助けていただく幸運など続くはずがありません。私だけではエレオノール様をお守りすることは難しいですし、何か対処法をお考えになられないと、また同じ目に遭わないとも限りませんよ」
これに私は笑顔で答えた。
「賊への対応は、一つ考えていることがあるの」
「そうでしたか。エレオノール様も、さすがに三度の幸運はないと思われたのですね」
「ええ。アレクに頼りっぱなしではいけないもの。そのアレクに言われた通りにしようと思っていてね」
「言われた通り、というと?」
「つまり、賊より強い者を連れて行けばいいのよ」
きょとんとするヘレネに、私は自信満々に笑って見せた。
数日後――私は馬車で湖のほとりに来ていた。いえ、正しくは私達か。緑に溢れた景色の中で、着飾った女性達が楽しげに話しながらお茶やお酒を飲んでいる。置かれた机には果物やお菓子がたくさん並び、子供達が好き勝手に食べては駆け回っている。
今日は古くからの友好国である隣国の国王一家が、さらなる友好を深めるためにやって来ている。二国間で商業や軍事での新たな協定を結ぶのが目的とされているけれど、こちらに来た最大の目的はずばり遊興と休暇だ。その証拠に父上は隣国王とその王子を連れて、さっさと狩りに出かけてしまった。二人とも狐や鹿を狩るのが大好きだから、もう待ち切れなかったのだと思う。でも友人と趣味に興じるために国を空けるというのは体裁が悪いので、協定を結ぶためという理由をこじつけていると私は知っている。でなければ毎年、何らかの協定を結ぶことなどない。
男性達が狩りを楽しんでいる間、残された女性達は馬車で出かけ、こうして晴れた空の下、優雅に飲食するのが恒例のようになっている。隣国王の妃、王女、王子の妻子をもてなすのが私やお義母様の役目となる。お酒やお菓子を勧め、話を聞いては笑ってあげたり驚いてあげたり……。私は彼女達が苦手でもなければ嫌いでもない。しかし好きというほどのものもなく、友好国である隣国の方だから親しくしているふりをするしかないのだ。隣国の王家と個人的な交流などないし、一年に一度しか会わない方とどう仲良くなればいいのかもわからない。だからこの時間は適当な距離を置き、時間が過ぎるのを待つ時間だと思っている。
「エレオノール、そんなつまらない顔をしてはいけません。お客様の前なのよ?」
皆から少し離れたところで立っていると、こちらを目ざとく見つけた王妃で義母のレオノーラが、つかつかと近付いて来て言った。
「ご、ごめんなさい。つまらないわけではないのですが……気を付けます」
「そうしてちょうだい。わざわざ国王ご一家が足をお運びくださったのだから、愛想よくお相手をしてあげなさい」
「はい……」
「母上! これ見て!」
元気な声を上げながら、弟のミシェルがやって来た。
「なあに? 手に何を持っているのかしら?」
「ラザル王子に、綺麗なガラス玉を貰った! 中に金色の泡が閉じ込められてるんだ」
「まあ、本当ね。綺麗だこと……王子にちゃんとお礼は言いましたか?」
「言ったよ。ありがとうって」
「偉いわね。ミシェルは姉上と違い、お客様と仲良くしているようね」
私のことは見ていないけれど、その言葉は明らかに私へ向けたものだろう。
「姉上も見る? すごく綺麗だよ」
ミシェルは無邪気な笑顔で小さなガラス玉を私に見せてくれた。
「わあ、キラキラして宝石のようね。なくさないよう大事にしないとね」
「うん。宝物にする!」
そう言うとミシェルは走って子供達のほうへ戻って行く。
「……頼みますよ」
お義母様はちらと私を見てそう言うと、ミシェルの後を追うように去った。離れて行く姿を眺めながら、私は溜息を吐いてしまった。
私を産んでくれた母上は、何年も昔に病で亡くなった。その後、新たに迎えた妃がお義母様のレオノーラだった。二十一歳で城にやって来ると、すぐに身ごもり、生まれたのが弟ミシェルだ。母違いの姉弟だから、最初こそは身構えたりもしたけれど、七歳になった今は、その純粋無垢な様子が愛おしく、弟として大事に思っている。
けれどお義母様への思いは、そう素直に行っていない。根底に義理の母という気持ちの壁があるせいかもしれない。しかしそれを抜きにしても、私はお義母様のことが苦手だ。別に無闇に叱ってきたり、私を避けるわけでもないけれど、言葉の端々にどこか、とげのようなものを感じるのだ。先ほどみたいに……。でもそれは私が悪いわけで、お義母様はただ注意をしているだけなのかもしれなくて、それは受け取る私次第とも言えなくはない。
それともう一つ、私はお義母様の目が怖い。こちらに向けられる紺色の瞳は、笑っていても、怒っていても、悲しんでいても、どれも私には同じように感じられた。感情を見せているはずなのに、その奥には全部同じものが潜んでいる……それが何かはわからない。だから私は気味が悪くて、お義母様と会うとどうしてもギクシャクしてしまう。私が小さかった頃を思い返すと、妃になったばかりのお義母様に対して、ここまで苦手意識はなかったように思う。それがいつから変わってしまったのか……もう思い出すこともできない。
またお義母様に注意されないよう、私は笑顔を作ってお客人達の相手をした。よく知らない人の噂話に相槌を打ち、子供達の遊びに付き合い、そうしてしばらく過ごしてから、そっと皆から離れた。このくらい相手をしておけば、お義母様も文句はないでしょう。私はお茶を飲み、ホッと息を吐いた。そして遠くの木陰にたたずむ人影を見やる――今日はもてなすことだけが目的ではなく、私にはもう一つ大事な交渉があるのだ。それだけは絶対に成功させなければ――ティーカップを置き、私は早速人影のほうへ向かった。
「……どういたしましたか、エレオノール様」
急にやって来た私に、少し驚いたように護衛兵のアダムが言った。王家の人間が揃って出かけるのだから、その周りは当然兵士達が守ってくれている。そしてこのアダムは私の護衛兵で、もう何年も私に付いてくれている。外出する際はアダムを始めとする護衛隊が必ずいて、危険がないか目を光らせているのだ。そして今日も、私達の邪魔にならない場所から見守ってくれていた。
「あなたに頼みごとがあって……聞いてくれる?」
「もちろんです。できることであれば何でも仰ってください」
微笑むアダムに私ははっきり言った。
「では、私と一緒に夜、城下に行ってほしいの」
「夜に、城下へ行かれるのですか?」
「ええ。夕食を終えて、皆が寝た頃に……」
これにアダムの微笑みは消え、怪訝な表情が浮かんだ。
「そんな遅い時間帯に……よろしければ、どういったご用で出かけられるのか、教えていただくことは……」
私は周囲に聞いている者がいないか確認してから言った。
「実は、運命の人に会いに行くの」
聞いたアダムは目をパチパチさせてこちらを見る。
「……ご冗談では、ないのですよね?」
「至って真面目よ。城下の西地区に、私の運命の男性がいて――」
「お、お待ちください。西地区と言えば城下でも治安の悪さで有名な場所ではありませんか」
「そうよ。私も二度、追い剥ぎに襲われたわ。そういうところだから護衛兵のあなたに一緒に――」
「エレオノール様、今、何と仰いましたか? 追い剥ぎに、二度……?」
「ええ。襲われたの。でも運命の方に二度とも助けてもらったから無事よ」
アダムは呆気にとられたかのように、口をポカンと開けてこちらを見つめてくる。
「運命の方に会いに行くには、そういう危険を伴うのよ。あなたにはその危険から私を守ってもらいたいの。頼んでもいいかしら……?」
「あの……いろいろとおうかがいしたいことがあり過ぎまして、何から申せばいいのか……」
「何でも聞いて。答えるわ」
「では……運命の方というのは、一体……?」
「ジュノーの占いで見つけた、私の運命の男性よ。王族でも何でもないけれど、とても優しくて、飾らない素朴な人で、魅力的な男性なの」
「城下で暮らす庶民の男性に会いに行かれているのですか?」
「ええ。だって、私の心が運命の方だと確信してしまったから……」
「まさか、その方に、恋心をお抱きに……?」
そうはっきり聞かれると恥ずかしくて答えにくいけれど、私は軽く頷き返した。
「両陛下は、それをご存知なのですか?」
「もちろん知らないわ。私とジュノー、それと侍女のヘレネだけの秘密よ。あ、それとあなたもね」
「そのようなことをなさったら、厳格な国王陛下のお怒りに触れることに――」
「だから秘密にしているのでしょう? あなたも、このことは誰にも言わないと約束して」
「だ、誰にも言えるわけがありません。エレオノール様が城下の男性と、逢瀬を重ねているなど……」
「お、逢瀬だなんて! 私とアレクはまだ、そこまでの関係ではなくて、一方的に私が、お慕いしているだけだから……」
「ですが、いずれはそういうご関係をお望みなのですよね」
「……ええ、そう、だけど」
自分でも顔が熱くなっているのがわかる。口に出すのはやっぱり恥ずかしい。
「そういうお気持ちで、秘密になさるのはわかります。けれど、万が一知られてしまったら、エレオノール様も、私も、ただでは済みません」
「その時はすべて私が責任を負うわ。秘密を守ってくれたあなた達を悪いようにはしない。何なら報酬を出すわ。仕事と思えば――」
「おやめください。任務でもないのに報酬などいただけません」
「でもあなたには秘密を強いることになってしまうし、護衛をさせて危険な目に遭わせてしまうかも――」
「見くびってもらっては困ります。私の仕事はエレオノール様をお守りすることですよ? 敵国の将軍ならまだしも、城下の賊など恐れる対象ではありません。私の剣術の前ではゴキブリ同然です」
「それでは、私の頼みを聞いてくれるというの?」
アダムは苦笑いを浮かべると言った。
「正直に申せば、そのようなことでご一緒するのにはためらいがあります。しかし、危険な西地区へおもむくと聞いてしまった以上、護衛役を務めさせていただいている私が無視して行かせることなどできません」
「一緒に、城下へ行ってくれるの……?」
「腹をくくり、護衛をさせていただきます」
キリッとした表情を見せて言ったアダムに、私は安堵の笑みを返した。
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