ep.Ⅲ-5

 母の思い出はなにもない。

 父はあまり話してくれなかった。

 愛されていたなんて考えたこともなかったエヴォルグは、急に胸が締め付けら得るような思いに襲われた。じわっと涙がにじみ、思わず鼻をつまむように口を手で押さえる。


「読んでいくから聞いててね。『召喚は外世界のものを呼び寄せるだけではなかった。物を運んだり取り寄せたりするのにも使える。先行して人を呼び寄せる手法を帰る方法に使えないか、手近でいくつか試してみる。呼び寄せる側にも魔法陣が出現するのを発見した。消える前に書き写す方法があれば、戻る手がかりになるかもしれない。浮かぶ魔法陣を留めるすべはない。息子が召喚した人が、共に帰る道を見つけ出せますように』書かれてあるのはここまで」


「母さんは、帰す方法の手がかりをみつけてたんだね」

 目をこすり、エヴォルグはページを見つめる。

「みたいね。手近でいくつか試したってあるけど、なにをしたのかわかる?」


 少女の問いかけに、エヴォルグは技法書をめくり、魔法陣の書かれたページを開く。


「近くにあるものを取りに行くのが面倒なときなどに用いる召喚だと思います。小さいものなら、本に書かれている魔法陣を使えます。たとえば」


 エヴォルグは、テーブルの上に食べかけのチョコレートを置くと、少女のいるベッドに戻った。


「見ていてください。これから召喚します」

 ページの上に両手を乗せ、エヴォルグが詠唱する。

「食べかけのチョコレートよ、わが前に現れよ」


 ページの魔法陣が青白く光るのに合わせて、テーブルの天板にも一瞬、青白く光った。

 少女はエヴォルグの手元を見る。

 先ほどまでテーブルの上にあった食べかけのチョコレートが、魔法陣が描かれたページの上に乗っていた。


「便利だね」

「部屋でなくした物を探すときは手間が省けます。この程度なら、ほとんど魔力も消費しません」

「消える前に書き写すって、そういうことね」


 少女は食べかけのチョコレートを手にすると、ワリタボリ技法書のすぐ横に置いた。


「いまの、もう一度やってくれる?」

「いいですけど、こんな近くで召喚するなんて、意味ないですよ」

「だからこれまで、気づかなかったんだよ。きみのお母さん以外は」


 少女はスマホを構える。

 意味のわからないエヴォルグは、言われるままに召喚した。


「食べかけのチョコレートよ、わが前に現れよ」

 先ほどと同じように、ページに描かれた魔法陣の上に現れた。

「これで、なにがわかるんです?」

「よっしゃー、撮ったどぉ~」


 ベッドの上で飛び跳ねた少女は、スマホ画面をエヴォルグに見せつける。

 画面には、食べかけのチョコレートが召喚される映像が映し出されていた。


「絵が動いてるっ。すごい魔法ですね」

「動画撮影したの。召喚される際、チョコの下に魔法陣が出現しているでしょ」


 少女は動画を一時停止し、エヴォルグに見せた。


「召喚される側にも魔法陣が現れるくらい、わかってます」

「だけど、どんな図形をしているのかまでは知らなかったんじゃない?」

「たしかに……」


 ワリタボリ技法書のどこにも書かれていないことは、くり返し読み込んでいるエヴォルグがよく知っていた。


「エヴォルグのお母さんは、このことに気づいて書き残したんだよ」

「母さんが?」


「わたしも召喚されたとき、足元に青白く光る魔法陣が浮かび上がったのを見た。でも、あの部屋の床に描かれていた魔法陣を見たとき、もやもやした違和感があったんだよね。なにが変なのかわかんなくて、召喚した人に聞けばわかるかなって思ってたの。でもついに、知りたかった疑問の答えにたどり着いた。これで、帰れるはず!」


 少女はベッドの上に立ち、腰に手を当てる。

 月光を浴びる彼女の顔には、自信に満ちた笑みが浮かんでいた。

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