ep.Ⅰ-3

 エヴォルグは書物の棚の前に立ち、古ぼけた羊皮紙を束ねた本を一冊、手に取る。

 父親であるヴォルムが召喚する際、必ず手にしていたワリタボリ技法書だ。

 めくりながら、先代たちが書き込んできた文字を指でなぞり、幾何学模様を組み合わせた魔法陣図を見つめる。


「図を描くだけで勇者を呼び出せるなんて、すごいよ。これで戦争も終わるよね?」


 終われば街道封鎖も解かれ、父の病を治せる薬も手に入るかもしれない。

 ベッドで横になっている父親に、エヴォルグは声を投げた。

 ヴォルムは目を閉じている。


「父さん?」

 ベッドの脇へと戻ったエヴォルグは、父親の手を握る。


「息子よ、母さんのことを伝えておく。死んだおまえの母さんも、召喚された勇者の一人だった」

「……まじか」


 エヴォルグは母親の顔を見た記憶がない。

 父親からは、はやり病で死んだと聞かされていた。


「ひょっとして、戦って死んだの?」

「病気で亡くなったのは本当だ。戦場から戻ってからおまえを産んだ。その後、病に倒れた」


 初めて聞かされた事実に、エヴォルグの手から本が滑り落ちる。

 床に落ちたとき、本から一枚の紙がはみ出ていた。

 絵が描かれているのに気づいて拾い上げる。色褪せていたが、見たことのない紺色の服を着た女性の絵だった。


 大きな目。小柄な体形。肩に届くくらいの長さの髪はエヴォルグと同じ淡い茶色をしていて、耳元で結わえられている。

 しかも、風景を切り取ったみたいに細かく描かれていた。


「もしかして、この絵の人って」

 エヴォルグは、父親の顔に絵を近づける。


「おまえの、母さんだ。元の世界では、ジョシコーセーをしていたそうだ」

 ヴォルムは震える手を伸ばし、絵を握りしめた。

「あぁ、懐かしい。白いシャツに青いネクタイを締め、ブレザーとスカートという制服を着た姿で召喚されたあの日の光景を。いまでもおぼえている」


「身につけているのがブレザーとスカートっていうのか。ジョシコーセーっていうのは、勇者の称号?」


「無知で非力なばかりに、たった一つの願いを叶えてやることもできなかった。元の世界に、帰してやりたかったな……」


 ゾーゼ王国の二千年とは、召喚した外世界の勇者に自分たちを守らせてきた歴史の上に成り立っている。

 このまま勇者召喚をしなければ、南下してくる北ベリア帝国に滅ぼされてしまうのは目に見えていた。


「わしに、もっと力があれば……」

「……父さん?」

 エヴォルグは、父親の顔を覗き込む。

 こと切れたヴォルムの目尻から、一筋の涙がこぼれ落ちていた。

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