第三章『ゆらゆらゆれる夏休み』 ⑥


「夏休みが終わったら……もう高三じゃない気がする」

 ふと思ってわたしは言った。

 可絵は聞いているのかいないのか、前髪をさわっている。

「夏休みが終わったら、あとはその残りっていうだけで、高三っていうのは、もう今だけなんやなって、そんな気がする」

 わたしの言葉は、独り言のように空気にそっと乗った。自分が言った意味を考えようとしてみた。でも汗で服がべっとりとして、それが鬱陶しくてパタパタ空気を送る。そうだこの暑さが、なにもかもを奪っていくんだ。高校三年生を奪っていくんだ。“これからの未来”なんて聞き飽きた言葉も、とうとう未来ではなくなって、風が冷たくなって、夏は、暑くて、だから、こわい。かなしい。あいたい。かえりたい。

「恋、ほんまに、うちだって、このまま、こうしてこのまま、大人になれたらいいなって思うのは嘘じゃないで」

 可絵が言った。わたしの髪を撫でた気がした。さっきまでは散々、そんなん甘いわ、って怒っていたのに。

「うん」

 だけどわたしは素直に答えた。


 帰ってすぐお風呂に入った。

 しばらくなにもしないで、入った。今日の汗はぜんぶこのお湯に混じって、そしてまた朝が来て、明日になって、明日は今日になって、今日は昨日になるんだと思った。

 その夜、布団にもぐって、腕に巻かれているミサンガをくるくる回していた。

 部屋は真っ暗にしていたし、それに頭まですっぽりかぶっていたから、ミサンガの色は見えなかった。でも、どこにあるか、分かった。それはさわっていたからじゃなくて、別の“何か”だった。その何かに、名前があったなら、『明日は雨です』と天気予報が言ってくれるように言い表せるなら、楽なのかなあと思った。

 しんと静まり返った家全体に、冷蔵庫の音が鳴る。いつだったか、可絵にその音が怖いと言ったのを思い出す。

 この家に帰ってくるところを、二人とも想像するんだろうか。鍵を開けて、靴を脱いで、リビングのドアを開けるところを。親の顔を目をつむって、描く。でも、その顔は、怒っているのか、その手前なのか、失敗した福笑いみたいに見えない。

 わたしはむくっと起き上がって、電気もつけないまま、洗面所へ歩いた。そしてはさみを取った。部屋に戻り、編まれたミサンガの細い一本を、黄色を、そっと切った。そこから、ほどいていった。するする、するする、面白いように、引っ張るとほどけていく。わたしが、ほどけていく。可絵がほどけていく。この家が。夏休みが。夏の夜が。指の先っちょでほどけていった。

 

 

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