第二章『きらきらひかる夏休み』 ②①
「ときどき思うねん。うちが喋るのをやめたら、ほんまのほんまに、空気になるんちゃうかって。『可絵はあほやなあ』『可絵みたいにのんきになれたらなあ』って家族から言われることもなくなって、ってことは、そんなふうにうちに反応するみんなも話さんくなって、っていうのはな、一時期変なおばさんが家にいたわけ。占い師って言ったら分かりやすいけどな、そんな気楽なもんじゃないねん。カーテンから、玄関の色から、コップの数まで、これはちょっとまずいかもしれませんとか」
「おばさん?」
わたしは両腕をだらんと浴槽の外に出した。
「うん、おばさん。最初はいろいろおかず持ってきてくれててん。うちの家、そんな金持ちじゃないからさ。そのおばさんはオカンのパート先の人やねんけど、おもしろい友達ができたって言うてたから、単純に良かったなーって思ってた。オカンは一時期元気がなくて引きこもりがちやったし、それを見てたオトンも、どんどん空気が抜けたみたいになっていって。オカンを励ますってことが、オトンには難しいことやった。でもそうやんな。励ますって簡単に言っても、元気出せ、っていうわけにもいかんやん、だって元気がないから、元気がないのに」
「うん」
浴槽の淵にうっすら赤いカビがあって、あれはカビキラーという物で取るのがいいのかなぁと考えていた。可絵の声は聞こうとすればするほど、頼りなくなった。だって。とにかく。あつい。可絵。そろそろ上がろうよ。声に出さず強く思った。
「でもそんなオカンが、パート始めて、心配で、やめといたら、無理しんといたらって言ったけど、それを兄弟みんなで言ってしまったから、逆にムキになってんな」
「五人、兄弟やもんな。責められてる気がしたんかな」
わたしは言った。救急車のサイレンがどこかで鳴っていた。
「そうそう。そんな感じでオカンはほとんど裸のまま飛び込んでいったようなもんやってんけど、あ、体調が悪いままって意味な、でもそこに“おばさん”がいて、やえこ、って人で、だからヤエコウっていつのまにかうちでは呼ばれてる。そのヤエコウの話ばっかりするようになった。でもそのときのオカンの顔は久しぶりに見る“生きてる”顔やった」
「うん」
「なぁ恋、なんか、なんかあついな」
「うんあついな」
「もう出なあかんな」
「出なあかんな」
わたしたちは同時に立ちあがろうとした。でもよろめいたのも同時だった。
「やばい、目の前が夜中テレビついてないときみたいや」
可絵が言った。
「なにそれ」
「ほら、ザーザー鳴るやろ」
「それをいうなら番組やってないとき、な」
「細かいなあ恋は」
二人とも両端の壁にしがみついていた。
「とりあえず水飲もう」
わたしは蛇口をおもいきりひねった。そして構わず両手ですくい、のみこむ。「可絵も、いったん飲まな死ぬで」「やばい、一生飲める」可絵の喉が動く。
その後も体を冷やしたり、しばらく脱衣所で寝転んでいた。もう真っ裸なんてことはどうでもよくなっていた。
「なぁ、うちらなにしてるんやろ」
左横、洗濯機にぺっとりはりついて寝転んだままの可絵が言った。
「ほんまに、なにしてんのやろ」
わたしもおへそをさわりながら言った。
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