第二章『きらきらひかる夏休み』 ①③
二人で入る湯船は窮屈なのにとても広々と感じた。シーブリーズの香りがお風呂全体にこもって、わたしは小窓を開けた。そこから夕方の終わりの風がさあっとふいて、わたしたちの行き場のない熱をさらっていくようだった。
「あー、顔も腕も足もなにもかもスースーするー!」
可絵が叫んだ。
「恋も。これ、なんかに似てるなあ」
「プールちゃう? ほら、小学校の頃、プール入る前にしゃがんで、除菌かなんか知らんけど、十秒数えさせられたやろ」
「あー、あったなぁ。あれ、大っ嫌いやった。寒いし。目の中洗うのもあったな」
そう言いながら小学校の頃も、中学校の頃も、プールの授業が世界一嫌いだったことを思い出した。まっしろの肌に毛深い体で、プールに入ると、視線が気になっていつだって走り出して逃げたかった。中学校の頃は、生理だと言って見学ばかりしていた。もちろん、先生にはバレていたと思うけれど、だからといって授業に参加するのはなにかに屈してしまうようで、意地でもプールサイドでみんなが泳ぐ姿を見ていた。
「可絵は、プール好きやった?」
もう忘れてしまいたいのに、ちいさくつぶやく。「え、プール? んー、どうかなぁ、好きでも嫌いでもなかった」
「へぇ。好きでも、嫌いでも……」
「なぁ恋、窓の外、誰かの声がする」
近所の人の話し声が確かに聞こえた。階段を上がる音、車を止める音、そう言われてみれば様々な音であふれていたのに、“ここ”だけが鳴っていたことに気付く。
「誰か帰ってきたんかも」
わたしは言った。スースーする! などと絶叫していたさっきまでの会話を聞かれていたら、いったい何事だろうと思われていたに違いない。そう思うと、プールの記憶はまだ片隅に残っていたけれど、記憶の箱の更に奥の、奥の奥のほうへ。
「恋の背中うちが洗ってあげる」
体こすりを取って、可絵が言った。それはしばらく使われていなかった、わたし専用の物だった。たちまち記憶の箱の優先順位は入れ替わる--母親と、昔、垢が出てくるのが面白くて、真っ赤になるまでこすりあったこと。
「なんか、猿みたい、うちら」
わたしは言った。背中を体こすりが一定のリズムで通る。
「卒業したら、どうしようかな」
わたしはポツリと言った。
「卒業したら、どうしたい?」
可絵も言った。しばらく無言のままだった。さっきまでの大騒ぎは夕日と共に海に帰っていくようである。
「うちは、いっぱい働いて、いっぱい、できひんかったこと、これからする」
“いっぱい”を強調して言う可絵。
「すごいなぁ、可絵は」
「すごいもなにも、やっと解放されるんやもん」
「解放かぁ」
気付けば指先はふやけていて、解放という言葉を思うと、どんどん体が溶けてお湯と一体化してしまいそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます