第一章『夏休みまであとすこし』 ④


 なんでもできすぎ、と言ったけれど、そういえば可絵は、勉強はまるでダメだった。

 高三に上がることができるか際どかったとき、わたしは百均でノートを買ってきて可絵専用のノートを作った。そしてそれを、バイトに持って行くように言った。「どうせ無理やし。もういいねん」--最初はそう言っていた可絵も、進級が近付いてきてさすがに焦ったのか、素直にノートを持ち歩くようになった。バイトも減らして、二人で机を寄せ合い、勉強した。すると可絵はものすごいスピードでテストに出る部分を容量良く暗記していった。可絵の「勉強はまるでダメ」、というのは「まるでしない」からであって、いざスイッチが入ると「もっとはよ、やってたら良かったのに」と思わず言ってしまうくらいだった。


 夏休みまであと一週間になった。

 体育教師でもあり、担任である芳恵ちゃんは(可絵が呼び始めてから、みんなにも浸透していた)黒板に「夏休みの注意点」を書いている。

 とはいえ、真剣に読んでいる生徒なんかいない。芳恵ちゃんもそれを分かっているのか、手に持っているファイルを見ながら機械的に写しているように見えた。

「芳恵、高三の夏休み覚えてるん?」

 男子生徒が言った。生意気にいつのまにか呼び捨てにしている。芳恵ちゃんは大学を出てすぐここの教師になったので、まだほかの先生よりうんと若い。そのせいか、生徒たちも友達のように慕っている。それを芳恵ちゃんがどう思っているかは、分からないけど。

「高三の夏休みかー。待ってやー。なにしてたやろな」

「忘れてるやん。高校最後の夏休みやろ」

「そうやねんけどなー、大学の受験勉強やろ、あとは……」

「バイトー?」

 こんどは女子生徒が言った。

「バイトはしてなかったな。って、私の話はええねん。みんな、夏休みやからって羽目外し過ぎたらあかんで。先生らは、学校にいることも多いからな。電話かかってくるのだけはやめてや」

 開け放った窓からブワーッと風が吹いた。その瞬間、芳恵ちゃんがみんなに配ったプリントが飛んでいって、拾おうと、大勢が席を立つ。椅子を引く音。「うわっ」と追いかける音。「はいはい、いま閉めるから座って」と芳恵ちゃんが呼びかける声。

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