アートフェイス・ニューワールド

渡貫とゐち

個人情報の守り方

 個人情報。


 人がそこに立っていれば、それだけで情報は垂れ流しにされている。


 顔、声、匂い、癖や筋肉の動かし方。

 歩幅、じゃんけんで最初になにを出しやすいか、など。

 一見、無関係に思えることでも、『人間』を構成する一つの要素である。


 一つ一つだけを見れば、全体像は分からなくとも、その小さな一つ一つを重ねていけば、一人の人間が浮かび上がってくる。


 個人情報と言えば、顔写真や名前、年齢、住所などが一般的だろうか。

 身分証明書をみなが重要視しているのは、特に重要な項目が載っているからだ。

 警察官が身分証の提示を求めるのも、見ただけでその人物の大半を理解できるから――、


 だけど、仮にそれらを隠したところで、普通に歩いているだけで身分証に書かれている以上の情報を晒しているわけだ……。

 多くの情報と、それを重ねて見えてくる『人間』は、身分証の少なく、しかし重要な項目で得られる『人間』の情報と同じなのではないか……?



「――すみません、少々お時間、よろしいですか?」

「はい?」


 巡回中の警察官に足を止められたのは、四十代半ばの、薄毛の男性だった。

 度がきついメガネをかけている……、気温が高いせいか、額が汗ばんでいた。


 スーツ姿なので、会社員なのだろう……だけど、なら警察が止めるか?


 見るからに怪しければ、職務質問をすることはあるだろうが、スーツ姿の会社員をわざわざ呼び止めてまで、身分証の提示を求めることをするだろうか?


 するのだ。


 そういう社会である。


 ……おかしなことはない。


 なぜなら、この見た目から分かる情報が、本当に目の前の人間を構成しているのか――そこを疑う必要性が出てきているのだから。


「なんでしょう、これから会社に戻――」


「数秒で済みます。身分証の顔写真だけ、見せていただけますか?」


 男が止まった。

 名前、年齢、住所は必要ない。

 警察官が見たいのは顔写真のみである。


 顔は常に晒しているものだ、聞かなければ分からない名前や年齢、住所は、警察官にさえ教えることを躊躇う人も中にはいるが、常に晒し続けている顔を、あらためて身分証で見せることに躊躇う者は少ない。


 いたとして……、もしかして写りが悪いことを気にしている?

 だったら納得がいくまで撮り直せばいいだけの話だ。


 絶対にできないことはない……、気に入らない身分証の写真をそのままにしている時点で、写真の写り方など最初から気にしていないのだろう……、だから単純な逃げ方なのだ。


 写真さえ見せたくない。


 ……つまり、こういうことだ。


「そのマスク、外しなさい。逃げても無駄だよ、君の癖はもう覚えているから。……平日の昼間から大人に紛れてサボって、なにをするつもりだったのかな? 学校に連絡を、」


「うっさいわ、マジで」


 男の手が自分の顔の皮膚を掴み、力強く剥ぎ取った。


 崩れた顔の皮膚。

 中から見えてきたのは、まだ若い肌をした――少女だった。


 大学生……いや、高校生だろう。


 中年らしいふくよかな体型も、着ぐるみを着ているような感覚だろう。

 見えにくい位置にあるジッパーを下ろして、きわどい格好の少女が姿を見せる。


「――ッ、なんて格好をしているんだ!?」


「は? フィットネスクラブじゃ普通の格好でしょ。この中、熱いのよ……、冷房完備してくれないかなー……。対策してるけど、それでも熱いっての」


「いいから、早くなにか羽織りなさい。ほとんど半裸じゃないか」

「ビキニよりは隠れているけど」


「ビキニは海やプールという環境だから許されているんだ。

 昼間の町中でビキニだったら私たちも注意している!!」


「あ、そう。でも、パーカーとかないし」

「……ひとまず、私ので……」


「おじさんの制服? うぇ……臭そう」

「がまんしろ。あと、私はおじさんではない、まだ二十八歳だ」


 警察官の重たい制服を羽織る少女。


 これでもまだまだ肌色は多いが……半分ほどは隠れていることになる。


「まだ? ……二十八歳で、汗臭い、警察官……」


「人の情報を積み重ねないように。

 まあ、それだけで私の中身が知られることはないだろうが……」


「そうだよね、あたしみたいにその顔も匂いも本物とは限らないし」


「警察官が身分を隠してどうする。さすがに親の名前や性癖などは公開してはいないが、権力を振りかざす以上、最低限の情報は明かしている――。

 私の皮膚を剥ぎ取って別の顔が出てきたら、君たちも、我々警察に頼りたくないだろう? 信用がなくなってしまう」


「こうやってすぐに職務質問してくる段階で信用ないけど。単純に、嫌い」


「……嫌われてもやらなくてはいけないことだ。

 君がたまたま美少女だっただけで、中身が殺人犯だったらどうする。今日にも、明日にも、何人もの人が殺されていたかもしれない。

 それが君自身や、君の親友が犠牲になっていたかもしれないとすれば、職務質問は必要だ。死んでからじゃあ遅いんだ」


「はいはい」

「はいは一回でいい」


 少女が身分証を提示し、見えている顔と身分証の顔写真が一致したことで、警察官は納得したようだ。


「すぐに帰りなさい。学校に連絡はしないから。だけど次はないからね」

「はーい」

「返事は伸ばさないこと」

「………………はい」

「できれば溜めないで言ってくれると嬉しいけどね」


 雑談を交えた後、少女と警察官が別れた。


 羽織っていた制服は返した。

 大きめのタオルがあったので、それを肩にかけることで、なんとか誤魔化している……、本人は気にしていないので、あとは警察官が納得するかどうかだ。


 肌色が少なくなったのを見届け、警察官も「まあこれなら……」と許可が下りた。


 変装用の着ぐるみをまた着ればいいのでは? と思ったが、警察からすれば注意したのに同じ変装をさせて別れることはできないようで――禁止されてしまった。


 タオル一枚で納得させることができたのは、無理難題を先に突きつけて妥協させたからか。


 変装に使っていた着ぐるみは、小さくしてリュックにしまい、背負う。

 小さくなったけど、それでもまだ嵩張るのが不満だ。


 これでも初期に出ていた商品よりはマシになったが……改良の余地はまだまだある。

 企業努力に期待だ。



 警察官と別れた少女。

 警察官が見えなくなった位置で、提示した身分証をぱたぱたとうちわ代わりにして扇ぐ。


 雑な使い方だ。

 だが、それもそうである――紛失しても困らない。


 だって、


 この顔も――皮膚に爪を立てれば引き剥がせる。


 変装の下が本物の顔であるという思い込み。


 身分証の顔写真を見せるだけなら、偽造など容易いこと――

 変装していることが当たり前の社会で、疑うことは重要だが、それでもまだ足りない。


 変装した中の顔が、さらに変装後であることも考えなければならない。



 個人情報は一枚の壁では守れない。


 だから二枚、三枚と、壁を張って守るのだ。


 そこまでして守りたいものが、個人情報である。



 ―― 完 ――

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