3 登校
九月一日。夏休みが明け、残暑がいっそう厳しくなるころ。
陽葵は今までの学ランより動きやすい白いブレザーに身を包んでスクールバスに乗った。
登校よりも輸送される感じだけど、ハイブリッドのバスは静かでいい。
名古屋環状線から瀬戸街道に入って名鉄矢田駅高架下を右折する。そこから矢田川を越えると水原中高の門前に着く。
戦後、今後の日本を支える若者にはよりよい教育をと川沿いに建てられたのがこの学校。普通科に加えて芸能・美術・スポーツの三つの科をもっており、専門学校としての側面ももつこの学校は、現実世界とは思えないくらいの特殊な教育を行っていた。
「おはよう。ちょっと、こっち来てもらっていい?」
校門をくぐったところで待っていた学長の
されるがままついていくと、応接室に押し込まれる。少し雑な気はする。
「この前渡した資料見た?」
「はい」
「特待生としての入学で、君は試験を受けていないけれど、あまり心配しないで」
惠介が世間話として話を挟む。
「一年二組ね」
渡された上は校内地図だった。
押し出されるように部屋を出て仕方なく地図に沿って歩いていき、一年棟三階に向かう。
陽葵は地図に視線を落とす。
初等部、中等部、高等部それぞれが森で隔たれ、寮と運動場、体育館棟、管理棟、自然保護エリアその他諸々エリアがあった。学校法人としては日本一の広さと聞いていたが、ここまでとは。
そんなエリート学校で本当にやっていけるかという不安は拭い切れなかったが、いざというとき陽波のもとへすぐに駆け付けられるのは有難い。
一年二組と書かれた札の教室に入る。
白を基調とした教室内はロッカーが広く、黒板ではなくホワイトボードを使っていた。 制服には緑の差し色が少し入るだけだから殺風景にも感じるがむやみとカラフルなよりはいい。一四番の席に着き、マッハで荷物を片付けてから教室を眺める。
見た感じクラス二十八人の中で男女比は半々くらい。ある程度グループも固まっていて、陽葵が入る余地はなさそう。
小学校六年間ほぼ友達が居なかった陽葵にとってそれは別に苦ではない。
「ねえ」
いつもどおり隅っこで小さくなっていると、上から声がした。というか降ってきた。
向くと、丸眼鏡にパソコンのマウスを模ったヘアピンで黒い前髪を留めた女生徒が仁王立ち。
女子としては恐らく長身で、小柄な陽葵よりも身長が高そう。長い髪は丁寧に梳かされ、ストレートワンレンボブにまとまっている。手にしているポーチにはアニメキャラ。
「土岐原くん、でいい?ウチ
彼女は尋ねる。
一年二組は四月から特別支援学級との交流をしてきたらしかった。たぶん陽葵がここに入れられたのはそれが理由だと思うし、彼女が陽葵のことを前もって知っているのもそれが真相だろう。
「私立の中学に転校とかかっこいいね!受験どうしたん?」
「……」
「……寝不足?」
「いや」
「喋れんじゃん。声、高っ」
「……」
千宝はひたすらしゃべっているタイプの人間らしく後ろから話しかけてくる女子を適当にあしらっ てそのうち自分の席に戻っていった。
陽葵は正直、同年代の人間と話すのが苦手だ。
他人の表情や場の空気の読み方、大人の動かし方はよく知っている。そういう風に育ってしまっ た。
しかし同じ年代の人間との接し方やテンション、流行りがよくわからない。
仲間と協力し、何か課題をクリアしていく中学校生活の中で目下一番の障害ともいえる。
これから先、ここに来たことでなにか変わるものはあるのだろうか。
というか、この先生きていけるのだろうか。
「ねぇ!」
自己紹介とガイダンスを済ませ、陽波を迎えに行こうと教室を出たら、千宝に呼び止められた。
「このあとウチたちと歓迎会やらん?仲良くなりたいって子もいるの」
「無理」
「えっ?!」
これから陽波を特別棟まで迎えに行ってからバスに乗るまで時間はそんなにない。
陽葵が積極的に友達を作りたいわけでもないし、行く意味はない。
「じゃっじゃあ土曜日は?今度の!」
千宝はまだ聞いてくる。
「土曜なら」
そんなにこの人は転校生と仲良くなって青春したいのだろうか。 無理強いで仲良くなって何か得はあるのだろうか。
陽葵はため息交じりにそれだけ言って、千宝からメモを受け取って特別棟に向かった。
陽葵はこれまで、青春というものをしてこなかった。
そんなことをしている余裕がないというよりは、したくないだけ。
友達との関係を良好に保つために遊びに行って家のことをおろそかにするなど本末転倒。それよりはきちんと勉強をしてこれから生きていくうえで大事なことを学んだ方がいいに決まっている。
それでも今回は違った。
千宝の勢いに押されたという反面、自分から土曜と約束した。メモも受け取った。
これまでの陽葵なら、向こうがこちらに興味を示さない様に少しきつめに追い払っていた。
全ては陽葵自身の変化の兆しかもしれない。
ここで変わっても悪くはない。
陽葵の心に、ひとつ目標ができた。
この学校で、人生初の青春をしてみようじゃないか。
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