第8話 バッカじゃねーの?


 広げられたマコロン織物の絨毯見本を、夫人と執事さん、そして公務を終えて客間にやってきた公爵閣下が見つめる。


 四半刻ほどもまじまじとサンプルを見つめたり触ってしていた公爵家の方々が、私を振り返った。


「この絨毯には、いくらの正札をつけたのですか? アリアニール嬢」

「……百シーリンです」

「バカじゃねーの?」


 ロバートさんに怒られました。

 ひどい。


「ではアリア。こっちの豪華なやつは?」

「……五百です。一番高いやつです」

「バカじゃねーの?」


 公爵夫人にも怒られました。

 ひどい。


「で、さっきフルオーダーがどうこうと言っておったな。アリアよ。それの価格がいくらだったか、もう一度言ってみるが良い」

「……八百ですね。あと時間がかかります」

「バッカじゃねーの?」


 モルト公爵にも怒られました。

 ひどい。


「ひどくなどない。これほどの品質のもの、一フィールス出しても手に入らぬわ。それを二束三文で売り出そうとしおって。市場を混乱させるつもりか」


 怖い。

 私はぺこぺこと頭を下げた。

 ジュリアンなんか、部屋の隅っこでちっちゃくなってるよ。


「良い商品を安くというのは商人の良心というか……」

「限度がある」


 ぴしゃりと言い切られた。

 うぐう。


「無原則な値下げ競争によってなにが引き起こされるか、判らぬ汝ではあるまい」

「う。申し訳ありません……」


 安いというのは買う方にとっては歓迎すべきことだ。

 一デーナルでも安く手に入れたいってのは、庶民の偽らざる本音だろう。


 しかし値段を下げるというのは、なにかを犠牲にしなくてはいけないのだ。

 それは品質だったり、製作期間だったり、原材料費だったり、あるいは人件費だったり。


 ほとんどの場合、売り手はなにを犠牲にすると思う?


 品質ではない。

 安かろう悪かろうと納得する人もいるだろうけど、安くて品質の良いものを求めるのが客の心理だから。


 ならばなにを犠牲にするか。

 それは人件費だ。


 ようするに働いている人の取り分を減らせば良いってこと。これが一番簡単。

 品質も変わらない。原材料を作っているところに、頭を下げて頼み込む必要もない。

 職場のためなんだから我慢してくれ、経営陣も辛いんだ。こんな理屈で押し通せてしまう。


 ところが、そうやって給料を減らされた人々は、安い物しか買わなくなる。

 より正確には、買えなくなる。


 そうすると、よりやすくよりやすくって値下げ競争に拍車がかかり、労働者の取り分もどんどん減っていくという寸法だ。


 その段階でやばいと気づいて価格を上げようとしても無理。

 もう消費者には、高い商品を買うだけの余力がない。


 つまり、際限のない過当競争の先に待っているものは、絶望的な不景気しかないのである。


「そこまで判っているそなたが、どうしてこんな馬鹿なことをするのか」

「すみません……」


 私は小さくなってしまう。


「お待ちください。公爵閣下。もちろんアリアは判っていてやっております」


 隅っこで震えていたはずのジュリアンが、決然と顔を上げ近づいてくる。


「汝は?」

「アリアの義兄、ジュリアン・マコロンと申します。以後お見知りおきいただければ幸いにございます」


 うやうやしく一礼し、公爵と正対した義兄の手は、ごくわずか震えていた。

 怖いんだね。

 判るよ。私だって同じだもん。


 相手はフィルスバート王国を代表する大貴族。こちらは伯爵領に店を構えている程度の、小身の商売人にすぎない。

 公爵の機嫌ひとつで、物理的に首が飛んでしまう。


 面識があり、多少の貸しがある私だってびびってるんだから、初対面のジュリアンが怖れないわけがない。

 それでも私をかばって前に出てくれた。


「アリアの意図は、新たな価値観の創出です。公爵閣下」

「ふむ?」


 下顎に手をやり、モルト公爵は視線で先をうながした。

 私はジュリアンとちらりと視線を交わす。

 ここが正念場だ。


「閣下は二束三文とおっしゃいましたが、このマコロン織物は庶民に手が出る価格ではございません」


 公爵にとっては端金でも、普通の生活を送る人々にとってはまったくそんなことはない。


「このブランドは、富裕な平民や伯爵以下の貴族さま方のために立ち上げました。ペールジャー織りに対抗する我が国の武器・・の一つとして」


 朗々と、歌い上げるようにジュリアンが説明する。


 織物といえばペールジャー公国産のものが一番、そんな常識に風穴を開けるためにマコロン織物は誕生した。

 そのための超優秀な職人たちである。


 彼らの技術のベースになっているのはペールジャー織りの技法であり、ニセモノ作りで培われた技だが、そこはまったく問題ない。

 すべての芸術は模倣から始まるのだから。


 アズラル伯爵領の特産品を作り上げる。そして、いずれは我がフィルスバート王国の特産となっていくだろう。

 ペールジャー織りよりはるかに安価で、品質では勝るとも劣らないマコロン織物。


「品質本意。質実剛健。華美さではなく重厚さと誠実さを。こういったものが、マコロン織物のコンセプトになります」

「そしてそれはマコロン商会のコンセプトでもあるのです」





「よし。買った」


 説明を聞き終えたモルト公爵が、ぽんと膝を叩いた。

 庶民の市場を混乱させるような代物ではないと納得してもらえたのは幸いだけど、公爵家に売るようなものじゃないって部分は理解してもらえなかったようである。

 しょんぼりだ。


「ありがとうございます。閣下。どちらをご用意しましょうか」

「もちろん全部だ」

「は?」


「そなたらが持参した絨毯を全部。それと、フルオーダーをひとつ頼もうかな」

「へ?」


 そんなご無体な。

 ここで商品をみんな買われちゃって、しかもオーダーまでされちゃったら、もう王都まで行けないじゃん。

 行っても意味ないじゃん。


「閣下……私たち商売ができなくなってしまいますが……」


 涙目。

 私、涙目だよ。


「むしろな、アリア。そなたに商売をさせないために買い占めるのだ」

「閣下ぁ……」

「これほどの品物が我が領を通り過ぎていくのを、ぼけーっと見送ったのでは公爵家の名折れというものだぞ」


 呵々大笑する。

 やばい。この人本気だ。

 本気で買い占めて、他の貴族や大商人に自慢しまくるつもりだ。


「新進気鋭のブランドであるマコロン織物の初出荷は、すべてモルト公爵家が買った。これほど愉快なことはあるまい。手にできなかった連中の悔しがる顔が思い浮かぶようだ」

「うわぁ……」


 読めちゃった。公爵がなにをやろうとしているか。

 功績のあった家臣や領民にも下賜するつもりなんだ。それに親しい貴族にプレゼントとか。


 モルト公爵って、大貴族の割には優しくて気さくな良い人ではあるけれど、それでも自慢したがりのオススメしたがりなのは仕方がない。


 贈答品としての価値を、彼はマコロン織物に見出したようだ。

 最低でも百シーリンする絨毯をプレゼントしちゃうってのは、庶民感覚とはかなり乖離しているけどね。

 それだけ貴族ってのは、見栄とプライドで生きてるってこと。


「まさか、売りたくないなんて言わないよな? アリア。この私の頼みなのだし」



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