第7話 公爵夫人のお願い

 モルト公爵家にあったニセモノは全部で十七点。

 もちろん一度に購入したものではないし、ひとつの商家から買ったものでもない。


 つまり、公爵家は長年にわたって騙され続けてきたってことである。

 公爵の親とか祖父とか代からね。


 被害の総額は、概算で七十フィールスにも及ぶんだそうだ。

 小国の年間軍事予算かよってレベルである。


「お金のことなんかはもうどうでも良いのよ。アリア」

「どーでもいーんですかー、そーですかー」


 公爵夫人の言葉に間延びした声を出しちゃう。


 七十フィールスってのは、ようするに八万四千シーリンってこと。

 何回も例に出して申し訳ないけど、年収五十シーリンもあれば家族四人がけっこう余裕のある生活ができるんだ。

 七十フィールスだと、ざっと千七百年くらいかな。

 なかなかに、どうでも良くない額だと思うけどね!


「でも、怖ろしくなってしまったの」

「怖ろしいとは?」

宝物ほうもつを購入するのが。わたくしだけでなく、主人も、ロバードも」

「ああ、なるほど」


 夫人の言葉に私はこくりと頷いた。

 こんなに騙されたら疑心暗鬼にもなる。商人はみんな騙そうとしてるんじゃないかって。

 さらに自分の鑑定眼にも自信を失ってしまったのだろう。


 目の肥えてる公爵家の人々を騙そうって代物だ。そのへんに落ちてるような贋作とはわけが違う。

 下手をしたら持ってきた商人すら本物だと信じ込んでる可能性だってある。

 そういう品物を見抜かないといけないのだ。


「それで、アリアがいなくなってから、当家では宝物の購入を控えてきたの」

「え? それってまずくないですか?」

「まずいわ。おおいにまずいわ」


 夫人が頭を抱え込んでしまう。

 貴人がお金を使うのはむしろ義務だ。ため込んでたら経済が回らないからね。

 それ以上に、吝嗇けちだと思われるのはまずいし、財政状況が悪いのかと勘ぐられるのはもっとまずい。


 庶民ってついつい貴族の散財に文句を言いがちだけど、吝嗇で貧乏な領主の下で暮らしたいかって訊いたら、答えは否だろう。

 無駄遣いはしないように、なんてお触れを出す領主様なんて最悪だ。


 なので、貴族ってのは金満家であるように振る舞わないといけない。

 結果として、借金だらけの貴族が量産されるんだけどね。


 ともあれ、モルト公爵家が商人を遠ざけるってのは、ものすごい問題なのである。


「領内の開拓事業に出資したり、街道整備に力を入れたり、交易商人たちに援助したりして誤魔化してきたのだけれど、収入は増える一方なの。これ以上財貨をため込んだら、王国政府にも疑われてしまうわ」


 うん。

 そりゃ増える一方だろうさ。

 モルト公爵家がそこまで力を入れて内政に取り組んだら、郡都トーメンのみならず、周辺都市だって経済活動が盛んになるさ。


 簡単に説明すると、経済ってのはサイクルになってるんだ。


 街道が整備されて交易が盛んになるってことは、それだけたくさんの商人や旅人が訪れるってこと。

 彼らは素通りするわけじゃない。


 飲んだり食べたり遊んだりして街にお金を落とす。そうすると飲食店や宿屋が潤うわけだ。


 飲食店が潤うってことは、そこに食材なんかを卸してる卸売業者が潤う。

 卸売業者が潤うってことは、彼らが商品を買っている仲買人が潤う。

 仲買人に潤うってことは、彼らが作物を買い付けている生産者たちが潤う。


 そして生産者は、儲けた金で新しい道具などを買うことなる。

 そうすると道具を作っている職人たちにも金が回る。

 職人たちはその金を使って、飲んだり食べたり遊んだりと日々を楽しむ。


 そうするとまた飲食店がー、と、どんどん街に金が回り、人が動くようになっていくんだ。


 そしてそれぞれの場所から収められる税がモルト公爵家に集まる。

 永久機関めいたこの好循環を遮断しない限り、公爵家には財貨が集まり続けるんだよね。


 ただ、前述の通り散財は貴族の義務だから、無限にため込んでおくってことはできない。

 それこそ王国から叛意を疑われる可能性だってある。


 こんなに金を貯めてるは反旗を翻して内戦を起こす準備じゃないかってね。

 地方領主が力を付けすぎるってのは権力者にとって最大の悪夢なのだ。


 ましてモルト閣下は公爵だもの。

 王位継承権も持ってるからね。所領があんまり栄えすぎるのも警戒されてしまう。


「だからね、アリア。あなたに宝物の買い付けをお願いしたいの」

「自分たちの商品を売り込みに行く途中だったのですが……」


 大恩あるモルト公爵家のことだから手伝ってはあげたいけど、何日もトーメンに滞在する予定はなかったし、とっとと王都に行って商売を始めたいって思いは強い。

 親方たちだって朗報を待ってるだろうし。


「大丈夫よ。アリア。あなたの持ってる商品は、すべて当家で買い取らせていただくわ」


 そりゃもうにっこりと公爵夫人が笑った。

 こ、この金満家めぇ……。


「い、いえ、マコロン織物は公爵家にお納めするようなものでは……もちろん品質には絶対の自信を持っておりますが……」


 ジュリアンがしどろもどろになっている。

 ほいほいと売っちゃうにはいかないのだ。


 ひとつには商品の格の問題。

 マコロン織物は立ち上げたばかりのブランドで、想定している価格としては一枚の絨毯で下は百シーリンから上は五百シーリンくらい。完全に受注生産となるフルオーダーなら八百シーリンといったところだろうか。


 もちろんかなりの高額で、庶民に手の出るようなものではない。

 それは事実だが、公爵家が購入するようなものでもないってのも、また事実だったりする。


 私たちが客層として考えているのは、平民の豪商とか、爵位を持たない騎士階級とか、貴族だったら男爵くらい。

 ようするに、お金持ちなんだけど格式にはこだわらない人や、あんまりお金は使いたくないけど豪奢なものが欲しいって人たちだ。


「まずは見せてくださいな。良い悪いを決めるのはそれからでもけっして遅くはないでしょう」

「はい……」


 にこにこ夫人とがっくり義兄。

 公爵家を相手にあんまりごねることはできない。

 見せろと言われたら見せるしかないのだ。


 微妙に詰んだなー、これは。


 公爵閣下も夫人も執事のロバートさんも、ちゃんとした審美眼を持ってるもん。彼らの眼をくぐり抜けたあのニセモノたちが異常なだけで。


 そんな彼らに、私やジュリアンの自慢の商品であるマコロン織物を見せたら、本気で買い占められる。

 王都に持って行く商品がなくなってしまう。


 やばいなあ。なんとか一つ二つくらいで勘弁してもらえないかなぁ。


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