第3話 初仕事

 こうして私は、アリアニール・マコロンとなった。


 養父はマルコ。

 ガタイの良い中年男性で、マコロン商会のオーナーである。ちなみに奥さんという人は、三年くらい前に亡くなったらしい。


 義弟のオリバーは十三歳。私より二つ年下で、実弟のセディと同い年だ。

 まだ成人前だけど、御者をしたり小間使いをやったり、けっこう商会の役に立っている。


 そして義兄。

 名をジュリアンといって、私の一つ上だ。

 鳶色の髪と瞳を持った眉目秀麗な青年で、あんまり義父には似てないから、きっと母親似なんだろう。


「美人なお母さんだったのね」

「俺を見ながら母親を想像されるのは、なんだか釈然としないぞ。アリア」


 がたごと揺れる荷馬車の御者台でくだらない会話を交わす。

 商会内では若とか二代目とか呼ばれるジュリアンだけど、身分としては従業員の一人でしかない。

 もっと細かく分類すると、正規商会員ってことになる。判りやすく手代てだいって呼ばれることもあるね。


 ちなみに下には見習い商会員がいて、この人たちは丁稚でっちとも呼ばれる。オリバーの身分はここ。

 十歳から十五歳くらいまでの間、みっちりと商売の基本をたたき込まれる期間なのだ。

 で、一人前になったら正規商会員として認められ、自分の責任において売買もできるようになる。


 さらに上には支配人とか番頭とか呼ばれる身分があって、これは管理職。支店を任されたりもする。


「けど、私がいきなり手代でいいのかしら?」

「十五の娘を丁稚で使うわけにもいかないし、そもそも伯爵家の姫君だしな。格式を考えたら番頭にしたっておかしくないさ」


 しかし、義兄のジュリアンが手代なのに私が番頭ってのは据わりが悪い。

 ジュリアンの補佐役としての手代、というカタチに落ち着いたのである。


 本当だったら、深窓の令嬢として家に飾っておくところなんだろうけど、それではマルコの思惑とは外れてしまうから。

 私は貴族に顔を繋ぐための道具としてもらわれてきたのではなく、ともにマコロン商会を発展させていく仲間として養女になったのだ。


「ちなみに親父は、自分の補佐をして欲しかったらしいけどな。秘書みたいな感じで」

「そうなの?」

「ああ。でもシャマランさんに止められたらしい。「十五歳の秘書とか。自分の歳を考えろよ。この変態オヤジが」って冷たい目で言われたとかなんとか」


 はっはっはっと笑う。

 シャマランってのは支配人の一人であり、唯一の女性支配人であり、マルコと恋仲であると噂されている、アリス・シャマラン女史のことだ。


 あの人、私がマルコの愛人候補として養女にされたって思ってるんじゃないの?

 艶本なんかではよくあるシチュエーションだしね。


 けど、それはあくまでも創作の話だって。

 判ってるのかなあ、シャマランさん。


「嫉妬に狂って嫌がらせとかされたら嫌なんだけどなあ」

「そういう可能性も否定できないから俺と一緒にしたって側面もあるだろうな」


 手綱を操りながらジュリアンが笑う。

 面倒なことだ、と。

 かなりの線で私も同意見ではあるが、シャマラン女史の気持ちも判らなくもない。


 たしかあの人は二十代の後半だから、はっきりいって行き遅れだ。それだけ仕事に生きてきたってことだろうけどね。

 それに、マルコと恋仲だというなら、けっして孤独なわけでもないだろう。

 息子たちとも、うまくやってきたのだろうし。


 そこに異物が入り込んできたら、そりゃあ虚心でいられるわけがない。

 まして若い女だしね。


 私はあんまり話したことがないけれど、その年齢で支配人になれたわけだから、絶対に無能ではないし、人格的にも立派な人だと思う。

 けど、こういうのって感情の問題だから。


「距離を置いておくのが吉かもね」

「そういうことだ」


 領内の、とある小さな村へと向けて馬車は走る。





 アズラル伯爵領の郡都ライールから東へ六日。お隣のモルト公爵領との境界ちかくにある名もない集落。

 それが私たちの目的地だ。


「つーか、潤ってんなぁ」


 ぽりぽりと頭を掻きながら、御者台のジュリアンが感心する。

 横に座った私は軽く頷いた。


 アズラル伯爵領から見てもモルト公爵領から見てもど田舎の、地図に名前すら載っていないような集落の人たちが、こざっぱりとした都会的な服装をして、きちんと石畳の敷かれた道を歩きながら談笑している。

 この光景を不思議に思わない商人は、ちょっと観察力が足りなすぎるだろう。


 どこの田舎でもそうなんだけど、基本的に現金収入は少ない。

 前に、年収で五十シーリンもあればかなり余裕のある生活が送れるっていったと思う。

 あれはまさに都会の話で、農村とかの場合は十分の一くらいの収入になる。


 どうしてそれで食べていけるのかといえば、食料とか家具とか生活に必要なモノは自分たちで作っているからだ。


 もちろん一つの農家で全部作ってるってことじゃなくて、村単位で融通し合う。

 物々交換みたいなものを想像すると判りやすいだろう。


 そして、どうしても村で生産できないものや嗜好品を、たまにやってくる行商人から買い求めることになる。

 そのときに売った作物や工芸品などの代価を使って。


 なので、都会からやってくる商人は、どこの集落に行っても大歓迎されるわけだ。


「でも私たちは見向きもされない」

「彼らにとっては、商人なんて見飽きているんだろうな」


 頷き合う。

 よそ者を見たら泥棒と思え、なんていう閉鎖的な集落の方がまだ現実的だ。荷馬車に乗った商人をスルーできちゃう田舎よりは、ずっと。


「やっぱりここで間違いなさそうだな。アリア」

「一月以上もかけて情報を集めた甲斐があったというものね。義兄さん」

「ああ」


 ジュリアンがにやりと笑った。


 私がマコロン家の養女になって最初に選んだ仕事である。

 すなわち、義兄とともにニセモノのペールジャー絨毯のでどころを追う。


 捕まえて官憲に引き渡すという意味ではない。

 本物に遜色ないほどの素晴らしい絨毯を織る職人を囲い込んでしまうのが目的だ。


 だってもったいないじゃん。

 あれほどの腕を持ってる人に、ニセモノなんかを作らせておくのは。


「十人、せめて五人は引き抜きたいところだけど、どうなるかな」


 下顎に右手をやり、生え始めた無精髭をじょりじょりと撫でるジュリアン。


「そうね。こんなに村が豊かだったら、簡単にはいかないかも」


 こくりと頷いてみせる。

 お金で片がつくというのが最も簡単な話なのだ。

 しかし、この村はかなり潤っている。


 生活基盤インフラがここまで整備されているのが、ひとつの証拠になるだろう。

 石畳や側溝なんて、地図にも載ってない集落にあるようなもんじゃない。

 代官がいる小都市でも難しいし、地方の中核になるような郡都だって、整備されていない都市はけっして少なくないのだ。


「集落の長が指示したのか。それとも、出入りする商人たちがやったのか」

「だいぶ意味合いが違ってくるわね。義兄さん」


 もしも長の指示なら、それは民の生活水準を向上させるため。

 商人たちがやったとするなら、馬車が通行するのに都合良くするためだ。

 やることは同じでも目的がかなり異なる。


「ともあれ、まずは情報収集だな」

「そうね」


 私が指さしたのは宿屋の看板だ。馬のマークもついているから、馬車の預かり所も併設してるってこと。

 これだって普通の集落だったらあり得ないんだけどね。


 旅人の数がそれなりにいないと宿屋なんて商売は成り立たない。まして預かり所があるってことは、そっちの利用者も多いってことなんだから。

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